私の父や兄などは、典型的なアスペルガー翔君群で、

私も、あんな風に自己中になれれば、さぞかし楽に生きられるだろうと思います。

まあ、風俗にハマっていた、20歳前後の頃は、相手の感情をかえりみずに、

一度、会った女性とは、二度と性交渉を持たないと言う、

非常に身勝手、極まりない、ドンファンぶりを発揮していた時期もありましたが、

もし、私が相手の方の感情を感知していないとするならば、

こんなに苦しいはずがないと言うのが、

心理学的側面から、私を、そういう人種の人たちと混同するエセ心理学者の皆さんに対する、

私の側からの、決定的な反証であります。

そりゃ、これだけ、外見上の格差があれば、窮屈な関係になることはわかり切っていることであって、そういう相手の感情を理解しているからこそ、私は苦しんでいるのであって、私自身、窮屈で苦しいからこそ、それが現実逃避に走る、最大の理由になっているわけです。

そういう深ーい事情があって現実逃避に走っている私が、好きで現実逃避に走っているとでも思ってるんですかと言う話であり、そういう私を単なる浮気者扱いして、一刀両断にするような無神経、極まりない人たちのことを称して、アスペルガー症候群と言うんじゃないですかと言う話なわけです。

そういう血も涙もない、自己満足の塊みたいな正論攻撃こそ、アスベルガー症候群の本領を発揮していることの何よりの証拠というものであります。

何か、こう、日本共産党の方たちに、よく見られるような、理想主義と言えば聞こえはいいですが、裏を返せば、全く、現実をかえりみない、そういうところが、極めてアスペルガー症候群的なわけであって、そういう自覚がないところも、また、典型的なアスペルガー症候群の特徴であるわけです。

そういう、正しいことを言っている自分に酔いしれている心理状態のことを称して、すなわち、アスペルガー症候群と言うわけで、それぐらいのことは私も理解していますが、それは、他でもない、年ガラ年中、私を、そういう正論攻撃の的にして、勝ち誇っている心理学者の皆さんのことを意味しているわけです。

そりゃ、短視眼的には、目先の女性に心を奪われていること、あるいは、心を奪われるであろうことを見透かされては、皆さんから軽蔑されても仕方はないかもしれません。しかし、そういう心理と言うのは、当事者意識というものを全く考慮に入れない点が、共産党が自民党を攻撃している時の心理と瓜二つであるわけです。

まず、当事者がどういう立場に置かれているかということを第一に考えることが、アスペルガー症候群と呼ばれる人たちに、最も要求されていることであって、そういう短視眼的な心理学者の皆さんは、全く、そういうことを度外視しているじゃないですかという話なわけです。

アスペルガー症候群の人たちの最大の特徴は、自分がアスペルガー症候群であることの自覚がないことであって、それは、取りも直さず、そういう短視眼的な正論攻撃ばっかりしているエセ心理学者の皆さんのことであるわけです。

まあ、苦しいとか、苦しくないとか言う感情は、非常に主観的なものであって、共有するのは、そんなに簡単なことじゃないかも知れないです。「人生は苦しくて当たり前だ」と、一般論で片づけられた日には、身も蓋もあったもんじゃないですが、実際には、非常に特殊な状況に、私は置かれているわけです。

一方的な恋愛感情しか知らなかった、10代の頃には、恋愛が、こんなに苦しいものだとは想像もつきませんでした。しかし、ひとたび、事情が相対的な関係から成り立っていることに気づいた、その時から、そういう苦しみが生まれるのは、自己陶酔型のイケメンの人たちには想像もつかないかもわかりませんが、私は、そういう関係性の実態を真正面から受け止めているがゆえに、そういう苦しみが生じるわけです。

それが、自分自身が、紛れもないアスペルガー症候群の典型みたいな人種の分際で、人を、差別したいが一心で、自分のことを一切、かえりみずに、何の関係もない人をアスペルガー症候群呼ばわりするとは何事かという話なわけです。

まあ、身内のことなので、あまり、認めたくはないですが、冒頭に申し上げた通り、私の父や兄などは、男尊女卑の権化のような人種で、世界は、男を中心に回っていると信じて疑わないような人たちです。なおかつ、私自身にもそういう時代があったことは否定はしません。しかし、それとこれとは全く話が別であり、そういう身内や、自分の過去を尺度にして、人を差別するのは大きな誤解と言うものであります。

まあ、確かに、今、お付き合いしている方は、これまでの方たちとは違って、自己犠牲型の性格の方なので、男性の立場としては、甘え始めると際限なく甘えることになりかねない危険性をはらんではいるので、まあ、カサンドラ症候群的だという指摘には、一面の真理はあるとは思います。しかし、相対的な関係性から起こっている現象を、私の一方的なわがままが原因で起こっていると解釈するのは、当事者意識の欠落と言うものであり、自己犠牲型の性格が災いして、被害妄想に陥ってもらっては、私としても非常に困るので、その辺は、もうちょっと客観的に考えていただきたいところです。

 

※ギリシャ神話のカサンドラ