昨日、一日で、四暗刻から、国士無双から、緑一色から、字一色から、九蓮宝燈に至るまで、

ありとあらゆる役満のチャンスに遭遇しては、幻と消えるという経験をいたしました。

特に面白かったのは、マンズの一気通貫の七萬待ちの状態で、

まず、1枚目の一萬をつもって、その時点では、全く想定外だったのですが、

1枚目を切って、2枚目を積もったときに、「やべえ、九蓮だ」と思ったら、

案の定、さらに九萬をつもってきて、「ああ、大失敗だ」と思いましたが、

下家の方が、最後の九満を切ってしまったので、上がり損ねたわけではないという意味では

不幸中の幸いでしたが、上がると死ぬと言われている究極の役満も、

意外と身近に感じたことした。

まあ、ある意味、強迫観念にとりつかれている状態なわけですが、

意識しているのとしていないのとでは大違いだとも言えると思います。

たふん、こういう状況でなければ、九蓮の一歩手前だったことにすら

気づかなかったでしょう。

九蓮を上がって、小四喜だの、緑一色だの、言ってる場合じゃねえよと言いたいところでしたが、今は、何でもいいから、早く上がらなければならんというのは、

取りも直さず、「役満神話」を共有しているがゆえでしょう。

「スッタン」騒動が起きた一昨日の夜は、麻雀卓が壊れて、麻雀が打てなくなり、大あわてをするという夢も見ているので、これは、もはや冗談抜きの深刻な事態であるのは間違いないです。

まあ、こう、ご本人がいるときに、4回連続で、他の人が役満を上がるという変な偶然が起きていながら、さらに極めつけのギャグまで演じていて、自分だけが、ここまで高い意識を持っていながら上がれないという偶然もなかろうと言ったところではありますが、非常に産みの苦しみを感じているような次第であります。

まあ、「神話」というのは、「幻想」の類語みたいな表現なので、あまり、縁起のいいたとえではないですが、上がると上がらないでは、天と地ほどの違いがあるので、まあ、現状においては、「役満神話」という表現に自ずとなると思います。

テレサ・テンの「恋人たちの神話」という、ファンの間ではわりと知られている名曲があるのですが、こういう場合が、「幻想」という意味で使われる場合の典型であり、まあ気楽な独り者の時代には手放しで喜んで聴いておりましたが、今ではちょっと恐ろしい曲でもあります。一応、参考までにリンクを貼っておきますが、別にあきらめたとか、そういう意味では決してございません。