まあ、いろいろ問題は 山積みですが、
優先順位と言う面から言うと、
昨日のブログの内容に問題があったと言うことが、
最も重要なことかと思われます。
ただ、それ以上に重要な点も含まれているので、あえて削除はしないです。
宗教的な夢を見ることは、基本的にあまりないというか、
むしろ、偶像崇拝的な夢を見ることは、しょっちゅうあるのですが、
今朝は珍しく、というか、初めて、イエス・キリストが出てくる夢を見ました。
よっぽど、進退極まった挙句の果てといったところだと思われます。
洗礼前と、洗礼後の違いと言うことが、要は焦点であると思われますが、
「あんな卑猥な歌を引き合いに出すなんて、
洗礼前と何も変わってないじゃないか???」
ということの一点につきると思います。
そういうことを他人に指摘される前に、すでに夢の中で自覚した結果、
まあ、洗礼自体を否定されると、過去の性癖も当然、改善されてないという結論に至るので、
そういう世論との格闘みたいな展開に至ったわけですが、
生まれて初めて、私のご本尊である、イエス・キリストのご登場という顛末にあいなったような形であります。
その点が、進退極まった末の私の本音が出た部分であるわけですが、
洗礼を受けてから、もう、かれこれ、11年か12年くらいになりますが、
進退極まらないと、なかなか、そういう本音が出てこないというところが、
非常に私の性格の特徴をよく表しているところであります。
まあ、そういう意味では、アン・ルイスさんには反面教師的な役割を果たしていただいたような形でありました。
彼女には彼女の魅力と言うのも、それなりにあるわけで、そういう世論を無視して、そういうところまで認めるところが、私の寛容なところだと言いたいところなのですが、まあ、そうとばかりも言ってられない事態に発展してしまったような形でありました。
まあ、言ってみれば、マイナスにマイナスをかけるとプラスになるというような現象かと思われます。
そういうことが、チェーホフの「妻」における、主人公の家出であったり、「決闘」における、文字通りの決闘沙汰だったりするわけです。
まあ、あくまでも結果論ですので、家出すりゃいいって問題でもなければ、決闘すりゃいいっていう問題でもないわけですが、そういう偶然性を、小説と言うフィクションの中で、非常にリアルに描いている点が、この作家の卓越した技であるわけです。
私の現在の心境を理解していない人と言うのは、そういう作品を読んでも、その辺の主人公の心境の変化というものを理解できないんじゃないでしょうかと言うのが、私の最も主張したい点であり、何で、そういうオチまでついているのに、そういうことが問題になるのかが、私には理解できないです。
そりゃ、洗礼を受けていない人たちにしてみれば、そんな洗礼の本質なんて知りたくもないという気持ちになるのもわからないではないですが、そういうのは、情報を提供している当事者にも言えることで、そのあたりに、私の当事者と称している人々の説明責任に対する無責任さみたいなものを感じるところであり、まあ、説明しないのは積極的な悪意ではないにしろ、何かしら白々しい軽薄さみたいのもを私としては非常に感じます。
言いっぱなし、やりっぱなしで、肝心なことは何一つ言わないというのは、ある意味で悪意です。
そんな、業務上の私のフライングみたいな行為は、本質的な問題でないことくらいは、私としてはわかり切っていることで、そういう問題のすりかえみたいなことすら買って出る始末じゃないか。
人をバカにすんのもいい加減にしろよという話ですよ。
問題は私の人格の問題であって、会計上の他の人の仕訳を、パート職員の立場で無断で修正したとかしないとかいうような問題でないことくらい、わかり切ってることですよ。
なので、私はそういうことに関して一切、釈明する必要性を感じないです。
そんな、人の人格を侮辱してなんぼの商売みたいなものは、いい加減にしてくれという話なわけで、一万円やなんぼの仕入れの仕訳の月をいじったとかいじらないとか、そんなことを言っている場合じゃないことくらいわかり切ってるじゃないですか。
第一、仮に私の人格に問題があったとして、なんで、それで仕訳をいじったことが問題になるんですかという話ですよ。
論理の飛躍以外の何物でもないです。
私は、明らかに滅茶苦茶な仕訳をしている、フィリピンパブの差別行為みたいなものを修正させてもらったまでのことで、業務上、ごく当たり前のことをしたまでです。
そんなのは、昨年度の仕訳を見れば、本来、どういう仕訳をするべきかくらいのことはわかるはずじゃないですか。
そういうことを意図的にしないで、やりたい放題のことを業務上している人のほうに問題があるわけですよ。
そんなものは、以前から担当して、どういう仕訳をするかわかってる立場だったら修正するのが当たり前じゃないですか。
問題のすりかえですよ、単なる。
まあ、ただ、パブリックイメージを第一とする当事者の迷惑を考えて、やっぱり、昨日のブログは削除することにいたしました。