「映画は、監督のものだ」と言う意見は、どこまで一般的かわかりませんが、
多くの映画ファンの認めるところだと思われます。
そういう意味では、音楽では、「アルバムやシングルは、プロデューサーのものである」と言うのは、ある程度、事実だと思われます。
米国を代表する歌姫、リンダ・ロンシュタットのデビューは、60年代にまでさかのぼり、10代ですでにデビューしておりましたが、第一線に急浮上するきっかけになったのは、やはり、名プロデューサーのピーター・アッシャーとの出会いであり、それは、ファンの間では、もはや常識となっております。
アッシャーが初めて、リンダのアルバムをプロデュースしたのは、74年作の「Heart Like A Wheel」であります。
最も注目を浴びたのは、一曲目の、「You're No Good」でありました。
「ユーノーグー、デューノーグー、デューノーグー、ベイビー、ユーノーグー」と、ひたすら、「Your're no good」を連呼するサビが印象的ですが、全体の歌詞の意味は知らないので、
何が、一体、「You're no good」なのか私も知りませんが、今の私の心境としても、何となく身につまされるようなところがある曲であります。
その後、アッシャーがプロデュースして、75年「Prisoner in Disguise」~76年「Hasten Down the Wind」~77年「Simple Dreams」と、名作を立て続けに発表し、押しも押されぬ、女王的な地位を獲得したリンダですが、その立役者が、ピーター・アッシャーであることは言うまでもありません。
一番、売れたのは、78年作の「Livin' in the U. S. A.」ですが、その頃には実質的に下火になっており、80年代にロック/ポップス路線に限界を感じた、彼らは、アメリカン・スタンダード路線に転向して、4枚の力作を発表しております。私は、最初、そのあたりの作品は、イマイチ、ピンと来なかったのですが、アメリカン・スタンダードに限らず、80年代には80年代のリンダの魅力があることを、フェイスブックのファン・グループに参加してから、実感するようになりました。
その後、80年代後期の一時期に、さらに、一転して、彼女の父方の祖父がメキシコ人であるという背景から、スペイン語による、メキシコの歌唱曲にはまって、2枚くらい、アルバムをリリースしておりますが、その辺に至っては、私は未だにチンプンカンプンなのですが、グループのリーダーの方たちを始めとした一部のファンは、その辺もかなり高く評価しておりました。
そういう、すごーい遠回りをしたのちに、ついに、再び、ロック/ポップス界に返り咲くことになった復帰後、第一作にして、奇しくも、アッシャーの最後のプロデュース作となったのが、89年作の「Cry Like A Rainstorm, Howl Like the Wind」アルバムであります。そういう意味では、ピーター・アッシャーの有終の美を飾った作品といったところであり、リンダ自身のテンションも、70年代の最盛期の頃に劣らぬ気迫を見せております。
ちなみに、これがアルバムのジャケットです。
とにかく、目力がすごいですwww。
「やっぱ、宣材写真は目力だなあ」というのは、身近な例でも、地元の麻雀荘の新プロジェクトの写真で実感いたしました。その辺はプライベートなことなので、話だけにとどめておきます。
しかし、あの写真はよくできてると、正直、思いました。
そんな、「Cry Like A Rainstorm」アルバムですが、私の中では、ファンになってから、じわじわと存在感を増してきた作品で、一番、最初にハマるきっかけとなった曲は、76年の「Hasten Down the Wind」のうち、3曲を作曲している、彼女のごひいきのシンガーソングライター、カーラ・ボノフ作曲の「Troble Again」という曲で、当時はまだ、ファン・グループに参加する前でしたが、不眠症が完治して、現在、勤めている会計事務所に再就職したのちの、精神的には非常に安定している時期で、休日にドトールの窓際で、ボケーっと一人、外を眺めならウォークマンで、アルバムを再生している時のことでありました。
何か、言い訳のように何度も繰り返し言っていることですが、私は一人の時期はむしろ、精神的には、今よりもずっと安定していたのは、公然の事実のはずなのですが、誰一人、そういうことをちゃんと証言してくれないのは、どういうわけなんだろうというのが、私としては、最も腑に落ちない点でもあります。
もし、一人でいることが、今ほど苦痛だったとしたなら、そんなボケーっとウォークマンを聴いている余裕なんかあるわけがないじゃないですかと言う話なんですが、まあ、それ以上、言うと、火に油を注ぎかねないので、この辺にしておきます。
そこで、雷に打たれたように、ショックを受けた曲で、その辺に、私的な男女関係の背景など、当時は全くなかったことは言うまでもないことなので、単純に、カーラ・ボノフと言う作曲の才能と、リンダの表現力、そして、ピーター・アッシャーの天才的なアレンジメントの、いわば、三位一体の結晶といったところであり、ハマった理由は、単純に、「ポップだったから」ということに過ぎません。
しかし、後に、ファン・グループに参加して、下手くそな動画を作っているうちに気づいたのは、そういう楽曲の説得力の背景にあるのは、やはり、「Hasten Down the Wind」の頃から受け継がれている、カーラ・ボノフ独特のキャラクターのなせるわざだという点でした。
まあ、男性の立場としては、そんな一方的な主張をされたらたまったもんじゃないと言いたいのはやまやまなのですが、女性には女性、男性には男性の立場というものがあり、そういうことを言うからには、私としても一方的な主張をするわけにはいかないことは言うまでもありません。
まあ、一言で言うと、「男運のない女性」の典型であるわけですが、彼女としても、好きでそうなったわけではなく、たまたま、そういう星の下に生まれついた結果のリアリティというものが、そういう楽曲を生み出しているに過ぎません。当然、男性の立場からしてみれば、「男運がない」と言われた日には、存在自体を否定されているも同然なので、感情移入するにしても、ほどほどにしていただきたいと言うのが正直なところですが、まあ、事実の一面は表しているかもしれませんので、あくまでも、「ほどほどに」楽しんでいただきたいといった作品だと言うのが、現在の心境で、最初に聴いた当時とは全く状況が違うことを、ここでは是非とも強調しておかないと取り返しのつかないことになりかねない、危険な曲だと言うことを理解していただいた上で聴いていただきたいところであります。
ちなみに、共作者のケニー・エドワーズが、リンダに、「You're No Good」を歌うことを提案したという興味深いエピソードも残っており、そういう楽曲とリンダには、ある種の親和性があることをうかがわせる話であります。