よく男女間でもめ事になると言うか、下手をすると別れる原因にもなりかねない問題として目にするのが、「本気なのかどうか」という問題であることは、よく知られているケーズだと思います。

今朝、昨日の市議会議員(男性)の同士の女性議員の方が駅前で、「お前次第だ」というようなことをおっしゃられておられましたが、昨日のやんわりとした男性側の意見とは、打って変わって、女性側の厳しいご指摘を頂いたような形であります。

私と似たような性格の男性の一例が、JD・サウザーという米国のシンガーソングライターですが、彼は過去に2回、結婚して、2回とも離婚しておりますが、だいたい、彼みたいな優柔不断な男性は、そういうことが理由で離婚したであろうことは想像に難くないところであります。

何か、ステージで MC をするところを見ていても、冗談なのか、本気なのか、よくわからない、のらりくらりとしたところが、英語がわからない私にも、よく伝わってきます。

そういうことを称して、「甲斐性なし」などと言ったりもします。

彼がデビューした理由と言うのも、後に、ヴァージン・レコードの社長として大成する、デヴィッド・ゲフィン氏に説得されたことであるというエピソードがあり、「冗談なのか、本気なのかわからない」、その後の人生を決定づけているところだと言っていいでしょう。

「本気でなければ、こんなに苦しいはずがない」と言っても、「苦しい」という理由自体が、信憑性にかけるとすれば、何を言っても理由にならないと言ったところでしょう。

同性のファンとしては、そういう、彼のダメ男なところが、無性にいとおしく感じられるわけですが、他にダメ男の典型としては、太宰治などが挙げられますが、彼の命日である、「桜桃忌」には、今でも多くの女性ファンでにぎわうことで知られている一方で、まあ、当事者となるのと、そうでないのとでは、問題が全く違ってくるのは言うまでもないところでございます。

身近なところでは、女性がいないと生きていけないダメ男の典型が、私の父方の伯母の息子の、私のいとこにおり、彼なども、そういう意味では非常にわかりやすい人物であります。

大学の 0B 会の麻雀大会の話を、先日、伯母が亡くなった折に、私の父としており、2回、優勝したそうなのですが、そんな老人会みたいな大会で優勝するなんて大人げないと、私が言ったら、「何を言ってんだ、こっちは命がかかってんだよ」などとわけのわからない口実を言っておりましたが、今では、私自身が身につまされる状態となっており、それに対する予言のような意味合いが込められていたかもわかりません。彼は、不幸な結婚をして、さんざん、浮気をして、浮かばれない人生を長年、送ってきたのですが、女性の立場からは、そんなことは問答無用で断罪されてしかるべき事実ですが、60過ぎて、二回りも、三周りも年下の女性と出会い、再婚した後は、もはや、つぶしの効かない最後の出会いと言ったところで、もう、そういう過去の面影は跡形もなくなっております。麻雀大会の話をしたのち、人の「縁」というものについて、しきりに熱弁していましたが、その時点では、なんのこっちゃわからん話でしたが、今では、何となくわかるような気がいたします。

昔の彼をよく知っている私としては、その変貌ぶりは、かなり極端に見えるので、彼のいわんとしていることは非常によくわかります。「劇的ビフォアアフター」という、家のリフォームをする前と、した後の状態を比較するテレビ番組が昔、ありましたが、それの人間バージョンみたいなものです。

彼を見ていても、何を言わせても、「本気なのか、冗談なのかわらない」ようなところがあるのですが、たとえて言うならば、もはや、「お釈迦様の手のひらの上の孫悟空」という表現が、今の彼にはぴったりだと言ったところです。

そんなところに来て、「主体性もへったくりもあったもんじゃない」と言ったところで、そんなことは、今さら、言わずもがなの問題であるのは、私も同じことであるわけです。

「主体性が真理だ」という言葉もありますが、そんなことは、もはや問題でなくなるケースと言うのもあるものです。

その点が、あの女性議員の方には、納得がいかないらしいのですが、まあ、それは人それぞれだといったところで、私の言わんとしていることが通じていないとしても、それは仕方がないです。

私にとっては、JD・サウザーのような人物も、一つの男性の理想像を体現しているのですが、その辺は好みの問題も大きく影響する部分だと思われます。

麻雀荘では、夜の部のガチ大戦が、現在、注目を集めておりますと言うことで、私の好きな、「Night」という曲をお送りいたします。

動画としては、昔取った杵柄で申し訳ございませんが、そん点は、ご了承願います。