私は、中学1年の時の第一の事件が元で、

中学2年から3年にかけてクラス替えがなかったのですが、

学校中から、教員も含めて村八分の刑に処せられ、

卒業式の日には、卒業証書を片手にダッシュで家に帰ったものです。

その時は、原因を全く理解していなかったのですが、

20年後になって、ようやく謎が解けたという数奇な運命をたどっております。

原因は、自分の口から言うのも何ですが、

私に恋愛感情を抱いている女子生徒に暴言を吐いたことでした。

その後、高校に進学してから、普通に友達ができるようになったのですが、

その事実も20年後になって、ようやく理解したのですが、

もともとは無差別的な行動が原因だったのですが、

同じ女子生徒を性衝動のはけ口にしたことが原因で、

高校2年の時に、第2の村八分の刑に処せられております。

勤務先の先生からも指摘されたことなのですが、

その時点で、私の社会生活は事実上、破綻しており、

一応、進学校だったので、周りの元々は友人だった生徒たちが、

ほぼ、例外なく、順風満帆な大学進学への道を進んでいく中で、

私は高校卒業後、

新聞配達のアルバイトというアンダーグラウンドな選択を余儀なくされました。

それから、20年の間、客観的な分析をする機会に恵まれなかったために、

その後、いろんな意味で、堕落の一途をたどっていくことになります。

キリストの誕生は、英語で「レベレーション」であるというような話を

フランシスコ修道会の神父様がされておりましたが、

奇しくも、その直後に私の過去のレベレーションが展開されることになりました。

まあ、旧約時代の預言の数々の真意がつまびらかにされるというようなことなのですが、

「reveal」という動詞の名詞形で、真実を覆っている「覆いがはがす」という意味であるというような説明でしたが、まあ、その説明は非常に適切なはずです。

罪深い人のことを、俗に「迷える羊」などと言ったりしますが、

その顛末が、統合失調症の罹患であるというような解釈は、特に間違っていないという意味で、あのウィリアム・ホガースの「放蕩一代記」は真理の一面を表しております。

倫理的な観点からは、そこで「The End」であり、私自身、統合失調症の診断を受けて入院した時は、「全ての希望が断たれた」というような心境に陥ったものです。

そういう観点からは、変に薬物治療が進歩している現状というのは皮肉にしかならないもので、「無駄な抵抗を繰り返すことにしかならない」というのは、その後、障害者求人で、某有名デパートの清掃の仕事で採用され、あらん限りの労働力を提供したにもかかわらず、「君はそんなことで罪が償えるとでも思ってるのかね?」というような世の偏見と言うものを助長することにしか、結果的にはなりませんでした。

「迷える羊」の状態では、そういうことは本来、自明の理というものなのですが、そういう人々の目線と言うのは、一種の不条理としか映らないものであります。

まあ、そういう謎の数々というものが、一瞬にして解き明かされるような展開に、図らずもなったのは、一重にカトリック教会の組織的な力のなせるわざといったところであり、特に、ここでは、個人的な恩義うんぬんということは、もう、これ以上、言うべきではないだろうと言ったところであります。

あっちを立てれば、こっちが立たずというというような形にどうしてもなってしまうものです。

 

転じて、イーグルスの「New Kid in Town」という名曲の話に移りたいと思いますが、

彼らの代表作である「Hotel California」アルバムに収録されております。

76年の作品ですが、「New Kid in Town」と言うのは、取りも直さず、

彼らの盟友である、J. D. サウザーのことであり、「またか」と言わずに聞いていただきたいのですが、

あのロック史上に残るタイトル・トラック、「Hotel California」で幕を開け、それに続く2曲目として収録されておりますが、全く遜色のない、これもまた名曲であります。

J. D. サウザー自身も、作曲に深く関わっており、自身のレパートリーともなっておりますが、同アルバムでは、彼の古くからの親友である、グレン・フライがボーカルを取っております。

サウザー自身がブレイクしたのは、79年に発表した「You're Only Lonely」アルバムにおいてであり、その時代はまだ、知る人ぞ知るシンガーソングライターでしかありませんでした。

この曲は、私が20歳ごろに買ったイーグルスのベスト・アルバムにも収録されていたので、昔から知っていたのですが、そういう事実関係を知ったのは、ここ数年のことであります。

非常に予言に満ちた曲であり、彼の79年のブレイクに先立って、この曲が書かれたという事実は、非常に目を見張るものがあり、その点は特筆に値する事実であるわけです。

おそらく、その背景にあるのは、イーグルスの陰の立役者であった、ランディ・マイズナーのテンションが、前作の「One of These Night」アルバムでほぼ、ぷっつりと切れてしまったことで、そこで残している彼の代表曲である、「Take it to the Limit」という名曲がその事実を象徴しております。

そこで、ジョー・ウォルシュというれっきとしたソロ・アーティストを新メンバーに加えたりといった、迷走を始めることになったところで生まれた火事場の底力的な作品が、「Hotel California」アルバムであるというような解釈を、そんなわけで私はしている次第であります。

まあ、そんな話を、名前と顔が一致しない方たちに、あまりしてもしょうがないので、まあ、そんなわけで、イーグルスが、彼らの時代の終焉と共に、「New Kid in Town」に込めた、「J. D. サウザーよ、今度は君の出番だ」というようなメッセージが、本名、John David Southerを通して語られている点に注目すると、また、違った味わいが出てくる名曲であるというような話でありました。

70歳になって、再起をかけた新作を発表している点からも、遅咲きの天才である、彼の特徴がよく現われており、そういう意味で、非常に面白い曲なのですが、16歳の時の失敗を20年後になって償うことになった私としては、非常に共感する部分も多いという、そんな話でありました。