太宰治と言えば、日本におけるゾラみたいな存在で、

こういう話題になるのは

昔は、私もいろんな作家に手を出していたことの証でもあります。

ただ、ゾラは、作中の人物の行動は派手ですが、

太宰治ほど、私生活まで派手だったとは私は思わないです。

それゆえに、太宰は、自然主義文学であると同時に、

私小説などに分類されたりもしますが、

ゾラの場合は、たぶん、全然、違うと思います。

ただ、厳密には、私小説というのは、

かなり創造の範囲を狭める分野であることを考えると、

太宰を私小説に分類するのはどうかと思う部分もあり、

もうちょっとスケールの大きい作家のような気がします。

「人間失格」は彼の代表作の一つで、タイトルがテレビドラマに引用されたりもしているので、

読んだことはないが作品だけは知っているという人も多いと思いますが、

私は、小説に目覚めた、20代後半の頃に読みました。

小説に目覚めたきっかけと言うのは、ダイソーに百円文庫と言うのが昔あり、

文字も大きくて、何だか小学生向けのシリーズみたいなものでしたが、

一応、純文学を扱っており、

太宰の他に、芥川龍之介や正岡子規なども扱っておりました。

実は、私も最初は日本の代表的な作家から読み始めており、

よく引き合いに出す、海外の大物作家ばかり読んでいたわけではないです。

まあ、小中学校の国語の教科書で扱われているようなものなので、

本来は、その時点で目覚めているところなのでしょうが、

私は小中学校時代は国語という教科そのものに全く関心がありませんでした。

典型的な理系人間で、たぶん、文系人間の方は、

私の文章は理屈っぽぎると思う方も多いと思います。

その辺は、ふと今、気づいたような形なので、

今後の教訓にしたいと思います。

そんなわけで、遅ればせながら、文学に目覚めた私なのですが、

その後は、偏執狂的な文学基地外ぶりを見せております。

その1年後に統合失調症の診断を受けている私ですが、

そういう事実と言うのは、

文章の読解力などには、あまり影響を及ぼすものではないらしいです。

純文学のような芸術性の高い分野との親和性の問題もあると思います。

なので、実用書みたいなものを読むのはどちらかと言うとやはり苦手かもわかりません。

というわけで、「人間失格」ですが、

今、読むとどういう評価になるかは、大いに疑問の余地はあるところですが、

読んだ当初は、「これは紛れもない傑作だ」と思いました。

基地外の頭脳でも、どういうわけか、そういうセンスだけはあるのは、

不思議と言えば不思議な話であります。

太宰の作品はいろいろ読みましたが、どれもこれも傑作ばかりでした。

しかし、何度も言うようですが、あくまでも当時の評価であります。

メンタルヘルスのトップブロガーのkyupin先生がべた褒めしておりましたが、

今、読んだら、「ちょっと、それはどうかな」という疑問の余地は大いにあるところではあります。

それはともかくとして、「人間失格」で印象的な部分はいろいろとありますが、

その中の一つが、主人公が、結核の末期症状に苦しみ

モルヒネを求めてさまよい歩く場面であります。

太宰が活躍したのは、戦中から戦後にかけての昭和の時代ですが、

当時は、薬局でモルヒネが売られていたようです。

ただし、依存性が高く、オーバードーズによる致死率も高いためでしょう、

今では、もちろん、入手不可能であり、当時としても、

薬局で購入するには、いろんな条件付け(たぶん、医師の処方箋など)を必要としていたようで、かなり入手する上でのハードルは高かったようです。

ちなみに、主人公の職業は、今で言うところのエロ漫画の作家という設定でした。

そういう、いろんな精神的な意味での葛藤などもあったのでしょう。

そういうのは私小説作家としての太宰の側面を表しているようなところもあります。

そういう精神的な意味での苦痛をやわらげるのには格好の薬物だったようです。

今で言うところの覚せい剤のような位置づけになると思います。

そこで、主人公が薬局で、店主の後家さんと、モルヒネを売る、売らないでもめる話がでてきます。

そこで、主人公は、後家さんという女性の弱みにつけ込むような形で、半ば、強引にモルヒネを売る条件づくりをすることになるというような話であります。

どういうことかは想像にお任せしますが、まあ、そういうところにも太宰治という作家の特徴がよく現われているような形になっております。

一応、法律上、禁止されており、所持していると刑法で罰せられる覚せい剤や大麻ですが、そういう建前とは裏腹に、いくらでも流通している現状を踏まえると、現在ではモルヒネが全く流通していないのには、薬物としての中毒性がはるかにそれらを上回るものであることが原因していることは、容易に想像がつくところでもあります。

米国のスーパースターだったプリンスは、鎮痛剤のオーバードーズが原因で事故死しておりますが、覚せい剤等にはそこまでの危険性がないことを考えると、たぶん、モルヒネに類するものを使用していものと思われますが、一般人には無縁の話と言えるでしょう。

そういう意味では、小説の上で想像するしかないモルヒネの破壊力ですが、その破壊力たるや尋常ならざるものがあったようで、そういうことが主人公を破滅の道へと導いていくというような過程を描いている、一場面の話でありました。

しかし、そういう人間の精神的な苦痛というものには、ある程度、普遍性があるもので、そういうものを描いている点において、「人間失格」という小説は、太宰の卓越した技を発揮しているわけであります。

そういう意味で、モルヒネと言う小道具は、非常に象徴的な意味合いを持っており、まあ、流通していないに越したことはないなという、非常に恐ろしい薬であるというような話でありました。殊に、その他に類を見ない依存性に裏付けられているエピソードであります。