前回、リンダの75年作のアルバム「Prisner in Disguise」から

「Silver Blue」をピックアップした中で

同アルバムに収録されている代表曲を一通り

紹介しているが肝心な曲をすっかり失念していることに

あとで気づいたのだが

それが「Tracks of My Tears」である。

スモーキー・ロビンソンと言う黒人アーティストの

作曲したこれも名曲中の名曲で

なおかつ「Silver Blue」とは対極的な

かなりポップな曲なので

この曲であれば躊躇なく

あらゆる種類のリスナーに推薦できるような曲である。

JD・サウザーの作曲したタイトルトラック「Prisner in Disguise」や

「Silver Blue」と言った当時の楽曲群は

かなり回りくどいラブ・ソングで

私自身、理解するまでに時間がかかったのも

そのためだが

まあその代わりかなり奥ゆかしいところが持ち味である。

それに対して「Tracks of My Tears」は

単刀直入なラブ・ソングで

そういう抽象的なところが全くないが

曲の構造的にかなりテクニカルな

よくできた曲である。

この曲にも素人向けの動画作成ソフト「Movie Studio」を

使ってペタペタと写真を貼り付けて

スライドショー的な動画にしてみたのだが

歌詞の字幕もつけている。

そうやって自分で歌詞をつけて

動画を作ったりしていると

そういう曲の特徴に対する理解と言うのが

より深まるものである。

韻の踏みかたとか曲の展開とか

そういうのが半端じゃなくよくできている。

まあ日本語にすると「涙の跡」だが

私自身はどうかと言うと

今の状況的には涙すら出ないと言ったところである。

が間接的に言うと

麻雀でポンとかチーとして

他人の牌でメンツを構成することを

俗に「泣く」というが

そういう卑屈な手を使って

現実逃避している点では

しょっちゅう泣きっぱなしのような状態と言えなくもない。

それだけではどういうことなのか

よく伝わらないと思うが

まあ相手の方はれっきとした堅気なのだが

ストリップ嬢にたとえると

私はいわゆる「ヒモ」のような状態である。

「欽ちゃん」こと萩本欽一は芸人として

食えなかった頃にヒモをしていたそうである。

昔の芸人はストリップ嬢の前座をしたりしていたので

そういう関係になったらしい。

そういう「ヒモ」をつけるというのが

女性の立場からはどういう心理なのか

よくわからないが

まあ一種の貞操観念の表れではあると思う。

言葉を変えると「金魚のフン」のような状態である。

もちろん欽ちゃんは売れたと同時に

ヒモとして食っていく必要はなくなったわけで

その後堅気の女性と結婚しているわけだが

まあヒモにもいろんな種類があって

単に食えるとか食えないとかの問題で

ヒモになるとは限らないと言ったところだろう。

女性の立場からは他の男性に

余計な誤解を抱かさずに済むという利点もある。

まあ一見してそういうヒモの需要が

あってもおかしくないタイプの人である。

ストリップ嬢がヒモをつける利点というのも

そういう意味だと思うが

まああくまでももののたとえであって

重ねて言うがあくまでも堅気の方である。

しかし一方でそれ以上の需要がないとすると

「つけること自体に意味がある」という論理が

成立してしまうのも事実である。

そうなると私自身の相手をする必要は

必ずしもないことになるので

そうするとどういう結果になるかと言うようなことを

あとは「Tracka of My Tears」と言う歌が代弁してくれている

ような形である。