戦争が終わる気配のないウクライナ。
開戦後まもない2月24日、ロシア軍は、ウクライナの首都キーウから北に約130キロの地点にあるチェルノブイリ原子力発電所を一時占拠した。
後の報道で、原発では放射能物質が漏れる恐れのある非常に危険な状況だったことが伝えられている。
戦争前のチェルノブイリ原発(グーグルマップより)
チェルノブイリ原発では、ウクライナがまだソ連の一部だった1986年4月26日未明、爆発事故が発生した。
発生した火災は、ヘリコプターによって約5000トンの砂や鉛がまかれて鎮火するまで10日もかかった。
大量の放射性物質が大気中に放出され、北に約10キロに国境で接しているベラルーシや、ロシア、さらにヨーロッパ北部など広範囲に放射能が拡散した。
当時、8000キロも離れた日本でも水や母乳から放射能が検出された。
原発から半径32キロの範囲が立ち入り禁止区域となり、現在も放射能が残っていることから人間が居住することはできない。
2016年には炉心や建屋を丸ごと覆うシェルターが完成した。
放射能の漏洩を防ぐシェルター
事故当時、原発のすぐ近くにある労働者の町プリピャチの住民には、事故の詳細は知らされなかった。
身分証明書と3日分の食糧を持参しての避難命令が出たのは翌日の昼ごろ。
「3日後には我が家に帰れる」と思っていた住民たちはバスで約50キロ離れたスラブチッチに避難したが、1週間後には半径32キロ圏内に住む約12万人にも避難命令が出て、いまに至るまで故郷に戻れた人はいない。
放射能汚染によって住めなくなり、地図上から消えた町や村は500にも上るとされている。
2010年12月、ウクライナ政府によって「放射能レベルが低くなったから」という理由で原発周辺への立ち入りが許可され、キーウの旅行会社によって国内外の観光客向けのツアーが企画されたが、直後の測定では依然として高い放射能が検出された。
参加者は、見学後の健康については自己責任を持つという誓約書に署名をする。
そんな危険と隣り合わせの状況でも、人類史上類に見ない災厄の現場を肉眼で見ようとツアーに参加する人が相次いだ。
原発からわずか約4キロともっとも近い町プリピャチは、人っ子ひとりいないゴーストタウンと化した。
原発作業員ら5万人いたとされる人口がゼロになり、郵便番号も消滅。
高層マンションや学校、病院、公園などは廃墟と化した。
特に、プリピャチ遊園地は負の歴史の遺産として有名だ。
事故から約1週間後にオープンを控えていた遊園地で、一度も回ることなく放置された観覧車が悲劇のシンボルとなっている。
観覧車がシンボルの遊園地
また、遊園地の南側、原発の西側に位置する森林地帯は、松の木が高レベルの放射線を吸収して生姜茶色に変わったことから「赤い森」と呼ばれている。
放射能汚染を示すマークが立つ赤い森
そんなプリピャチにはグーグルマップかグーグルアースで安全に旅をすることができるのだが、ある1枚の写真がネット上で話題となった。
市内にある朽ち果てた郵便局での写真。
建物の内部から撮影した屋外の写真に、不気味な人影が写っているのだ。
グーグルマップで確認できる正体不明の人影
白いローブのようなものを頭からかぶり、こちらに向けて右手を伸ばしている。
顔ははっきり確認できない。
その姿は、まるで亡霊だ。
ネット上では、
「何かの銅像では?」
「誰かが住んでいるんだよ」
といった憶測が飛び交ったが、真相は現地に行ってみないと分からない。
とにかく戦争が終わることを祈りたい。