【親の死に目】から学んだ【非常識】な事 | 自然の色を纏う事は、未来を照らす道しるべ。〜迷った時は自然に聞いてみよう〜

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「自然の中に溶け込んで【野の色】を自分に纏ってみると
もっと人生を楽に生きていけるんじゃないかなって思ってます。

『もっと楽に楽に』
をテーマにブログを綴っていきます。


(最後に『オカルト的』な話もありますww・・・。)
    
    
     

   
お久しぶりです。
    

皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか?
   
    

僕はというと、
私事で恐縮なのですが
    
   
先月10月25日に
実母が永眠致しました。
  

   
とても不思議なのですが
     

「もう長くないだろうから、
生きている間に家に帰って来て最期の姿を見ておいた方が良いよ。」
    

   
と長野の実家から連絡を受けたのが
   
   
『9月の終わり』

    
私の家族全員のスケジュールがなかなかつかず
   

なんとか全員で帰れそうな日が
約ひと月先の
   
『10月24日』
   
しかも日帰りという強行軍^^;
   

   
  
で、いざ
    

帰ろうという当日の朝、、、
   
   
     
【急変】
    
    
の一報が入り
   

   
バタバタとそれなりの支度を揃えて
なんとか帰宅。
    
そこには
    

まだ息をしているけど
   
とても苦しそうにしている母の姿がありました。
    
   
そこから、、、
   

   
僕たちを帰って来るのを本当に待っていたかのように
    
数時間後…。
        

子供達全員が揃って見守る中
息を引き取りました。
    
   
その時間の中で
僕らが見たものは
   

    
【人が死に向かっていく姿】
    

   
【死ぬ間際の涙】
     

  
言葉として聞き取れなかったけど
   
【「ありがとう」という口の動き】
    
   

    
それから、、、
   

   
徐々に呼吸が弱くなって
   
死を迎える瞬間。
   
    

    
【人はこうやって死んでいくんだよ。よく見ておきなさい】
    
   
最後の最後まで
   
【親】として
   
【人】として
    

    
まざまざと
    

【生命の終わり】
   
【生命のバトンタッチ】
    
   
を身をもって最期の教えとして
母の荘厳な瞬間を体験する事ができました。
     

    

    
父親は病院で死を迎えた為

「死に目」
    

に会う事は出来ず、
悲しい思いをした思い出があります。
    

    
昭和50年代以降、医療機関で亡くなる事が多くなり

(参考までに)

多くの方は、
大切な人の「死に目」に会えず

    
辛い思いをされた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
    
むしろ
   
「人が死ぬ」という場面を
体験しづらいのが現実です。
    


個人的には
   
かなり親には心配や迷惑をかけていたし

「おそらく、親の死に目には会えないだろうな」
    
とは考えてました。
     

   
もちろん父と同じように
医療機関で死を迎えるんだろうな
    
とも思っていましたから
半ば諦めていたのですが
   
ある意味
自宅で看取れたことは
良い意味で裏切られた感じです。
     

    
現在の日本では、
   
多くの人が
    
「大切な人の『死に目』に会う事」が大切だと思っています。
    
   
「大切な人の死に目に会えない」
   
という事は
   

「幸せ」や「不幸」という
    
生きている側の
    
【ものさし】
      
で図るのではなく

    
本当は
   
「死にゆくものの側」から
    
「誇り」
「尊厳」
    
を持って最後を迎えさせてあげられる
場所と時間をこちらが作りあげる事
     

が大切な人への恩返しなのではないだろうか
    
と、
    
今回、母親の「死」を見て
僕は感じました。
    

     

     
もちろん状況や条件によって
    

「叶う、叶わない」
  
があるとは思いますが
    
出来うる限りの事をしてあげる事が
    
残される者としての畏敬の念ではないだろうか。
    
と思うわけです。
    
        
   
最後に、、、、

実体験をもう一つ。
    
家族の中で、僕しか見てないのですが
    

   
母が亡くなった2日後。
    
亡くなった父親が
母を連れて行く姿を見てしまった。
     
夢ではなくて、
夕飯を食べ終わってのんびりしている時間に…。
    
   
う〜〜む。。。
    

オヤジの奴、そこまでハッキリと姿表すかねぇ〜〜。
    

その後、母の顔が老人の顔から
とても女性らしい顔に変わっていたのは
認めるけどさ。
    

   
俺に「連れてくでね」(信州弁)
とでも言いたかったのか?
    
それとも何か他に意図があったのか?
ちょっと理解できないでいるけれど
    

宗教家でも霊能者でもないのに

非常識とも言える
人の理解できないものを経験できた事。
   
これは単なる
    
「幽霊話」
    
ではない
別の何かメッセージが込められている気がしてなりません。
    
    
まぁとりあえずは、、、
    
心の整理もできたので
    
Facebook諸々
再スタートしていきます。

御愛顧の程、よろしくお願いします🙇‍♂️