先のブログ『聖地は意味(暗号!!)を知って参拝を、そして光と闇とを併せ持つ“真ん中の人"に~ブログより!!』に

「自分自分の中に、光と闇とを併せ持って、その“真ん中の人"になりましょう。」

とありましたが、ここでは、その「真ん中の人」ということについて、書いていきたいと思いますニコニコキラキラ


自分自身の内側にある闇を認識することで、闇の中から輝く光を見出すことが出来るのですが、そのためには、一瞬一瞬を大切に、眼をそらさずに心の闇と向き合ってゆくことがとても重要です。

苦しい感情も沸き上がったり、厳しいかもしれませんが、自分自身から逃げないであるがままを受け入れ、乗り越える決意と意志を持つこと、自分はどこに向かいたいのか、どうなりたいのか初心に返りながら、前向きに進んでゆくことで、必ず光の道に辿り着いた喜びに満たされることができるのだと思いますニコニコキラキラ

心の中の闇に向き合うことで、そして光に変換することで、母性が芽生え、開花していきますが、それによって、魂意識を常に真ん中に、あらゆる調和をはかってゆけるようになります。
自分の中の感覚については、痛みや苦しみを、喜びや希望に変化させてゆけるようになるのですね。


そして、光の住人であっても、全なる想いと善なる行いの積み重ねを継続し続けていかなければ、光の住人で有り続けることは出来ないのですが、
この光の住人の足枷になっているのが、
闇の住人を許せないという感情なのですね。

その足枷を外すことが出来たなら、真なる、「真ん中」の光の道へと入ってゆけるはずなのですね。

「許し」の実践なのですよね。

闇の立場についても、すべては、物質界というこの地球地表上の世界のみで、起こっていることではないのです。

宇宙の歴史の約3000億年近く、光側と闇側の立場から、双方の核戦争によって、崩壊、滅亡が繰り返されていた、その光と闇の戦争の総決算の今、この時の地球で、私たちに大切なのは、統合により調和した「真ん中の人」になることなのですね。

私たちが、「真ん中の人になる」には、自分自身の心の中の闇の部分が、必要だったからあったこと、自分自身を守って生きていくために、鎧かぶとのように闇の部分を持ちながら生きてきたことに気づくこと、そして気づいたタイミングが、手放せるタイミングであるので、そんな闇の部分を抱えていた自分を丸ごと認めて受け止めて、まず反省と感謝を自然に抱くような状態になることですよねひらめき電球キラキラ

自分に向き合い、自分自身の心の中の闇を光に変換し統合・融合していくと、私たちの周りに対しても、また私たちが、許せないと想ってしまいがちな、闇の側のやっていることも、彼らの方法論に過ぎないことに、気づきます。

自分と相反するとしても、自分の見方が全てではなく、物事をポジティヴ側から観るか、ネガティヴ側から観るかの視点の違いなのだということに気づいていくことが、大切なことなのですね。

双方の進化の方法論が、対極にあるだけで、実は、私たちの進化の到達点は一緒なのですね。

真ん中に歩み寄ること…双方が、真ん中のほうへと歩み寄る、融合、統合してゆくということが大切なのですね。


そして、なぜ、自分自身の内なる声を聴けることが大切なのかというと、

魂を重たくする悪想念(エゴ・欲望・執着を始めとして心配・恐怖・憎しみ・悲しみ・絶望などのネガティブな想念)が自分自身の心の中にあるか、しっかり見つめて向き合い、光に変換していくことで、光と闇の混沌としているかも知れないけれど、また相反するかも知れないけれど、実は光と闇が表裏一体という中から、自分自身の内なる声を通して、中庸・中道・無・空・ゼロの道を見出してゆくことになるからですキラキラ

表面的な部分による判断で安易に善悪を決めつけてしまうのではなく、かならず真ん中を見出すことです。
中庸・ゼロであることに努めてゆくことで、様々な不安や恐怖・葛藤や対立に巻き込まれたり振り回されることなく、変化変容の波を乗り越えていけるのですねビックリマーク

心と魂の浄化により、個の意識から地球意識になっていくと共に、本質は何か、真理は何かを感じて繋がっていくことになります。
自分自身の中での光と闇の統合・融合により、自分自身がいつも、真ん中、中庸、無、空、ゼロに立ち返り、保つことができるのですねニコニコキラキラ

不動心と冷静さを持ち、あらゆる霊性の智慧を使って魂の中庸・中道を保ちながら、あらゆる争いや対立から離れた、もっとそれらを見渡す視点になっていきましょうアップキラキラ