人は等しく生をうける。
果たしてそれは正しいのだろうか?
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(akizouさんによる写真ACからの写真)  

苦労は長女だけではない。

A子の看病のために

いろいろ犠牲にしないといけない

家族は必死で

近所に理解を求めた。

長女が幼稚園で熱を出しても

親は迎えに行けず、

近所の方に協力を仰ぎ

長女を迎えに行ってもらった。

何故ならば

A子からそばを離れるわけにはいかないから

そばを離れることは「死」を意味していた。

常にA子を見ていないといけない


体温調節が大変だった。

A子は自分で体温調節が出来ない。

夏はアイスノンを

脇と足の付け根に置いて

体温を冷やさないと


熱中症になってしまう。


繊細な気を使う看病が

家族ができる唯一の道だった。


そう生かせると

決断したからには、


家族は、それぞれ

別の意味で1つにまとまっていた。




家族は周囲の理解に支えられ

日々を過ごすのだった。



A子の体調に気を使いながらも

両親は長女の行事には

必ず顔を出していた。


父親は平日になんとか休みを1日もらい

その日だけは家族揃って食卓を囲んだ。



近所の方と一緒に

2人の子供を支えていた。


「なんとかお願いします。」
「ありがとうございます。」
「いつもすみません。」

母親の必死さ

それが成せたわざである。


(第10話へ続く)

※この記事は取材をもとに作っています。
※会話等はフリーライターhiroの創作です。