幼少期の親との関係性は

大人になって

物理的に離れて住んでいても

ずっと自分の中には残り続ける。

 

嬉しいことも傷つくことも全部

心と体に刻まれながら成長するから

死ぬまで消えることはない。

 

親の姿が目に入らない距離にいて

自分は今幸せに生きているよ!と

イキイキとしているように見えても

 

その裏側には親子関係においての

癒えないままの傷やわだかまり

真っ黒で闇が深い事情などが

びっしりこびりついたままだったりする。

 

どんなにフタをしても

どんなに押し込めても

何かの出来事がきっかけで

いとも簡単に幼少期の自分が顔を出す。

 

どんな自分が顔を出すかなんて

その時になってみないと分からない。

 

だからどんな人にも

大人にならなければ乗り越えられない

幼少期の自分が残してきたものがあって

 

そういう自分は

大人になった後に

突如いつかは出てくるということを

きちんと認識しておく必要がある。

 

この準備が私たち大人は足りていない。

そのせいで扱い方を間違えたりもする。

 

親に言いたかったこと

親に甘えたかったこと

親にしてもらいたかったこと

 

幼少期の自分は

ただ純粋に子供の本能で

親に欲していただけなのに

 

大人になっただけで

親から与えてもらえなかったという

「被害者意識」に変わってしまう。

 

この被害者意識は

年齢を重ねた私たちの親世代でも

いまだに持っているほど強力なもの。

 

だからこの意識は

消そうとするのではなく

扱い方・捉え方を決めておくことで

各方面で起こりがちないざこざも

防げるのではないかと思っています。

 

 

 

 

 

 

というのも

私は親とよく話をするのですが

その時に自分が「被害者ぶってるな」

とはっきり分かる瞬間があるのです。

 

私が親と意見を主張し合う時は大体

 

✓本意が伝わらない

✓望まない形で解釈される

✓否定される

✓上から物を言われる

 

といった流れになり

毎回つらい所だなと思うのですが

 

このタイミングに

幼少の頃に感じた親への感情が

じわじわと出てきます。

 

「まだ分かってくれないんだ」

「応援してくれないんだ」

「欠点しか見ていないんだ」

「聞く耳もってくれないんだ」

 

こういう感じの言葉が

頭の中には浮かんでいて

同時に気持ちとしては

幼少期の感情が混じったものを

感じている↓という感覚なのです。

 

☆寂しい

☆甘えたい

☆抱っこして

☆こっち来て

 

というものに近いと思います。

 

私は長女で弟が生まれた後は

私に構う時間も減りますから

その時に焼きもち?焼いた記憶も

薄っすらあるような気がします。

 

私にとってはこれらが親から

「もっと欲しかったもの」。

 

ここまで自分で落とし込めると

枯渇感が温かい気持ちに変わります。

 

 

 

 

 

 

被害者意識があると

(さらにこじれていると)

多くの場合は親を悪者にしてしまう。

 

親が近くにいなければ

パートナーなどを親の代わりにして

親にしてほしかったことを

ぶつけるようになるんですね。

 

でも残念ながら

親もパートナーもその感覚を

100%理解することはできません。

 

親に対して満ちていない気持ちは

自分で癒すしかないのです。

 

まずは被害者ぶっている自分を

認識することが初めの一歩。

 

私自身、被害者意識に気づかぬまま

他人と生きていこうものなら

絶対厄介なことになっていただろうと

背筋が凍える思いでした。

 

親の前で出てくる昔の感覚が

あまりにも濃厚すぎたから。

 

こんな濃厚な記憶

そのままにしていたら

相当わがままで横柄な欲求を

相手にしていたかもしれません。

 

幸せな記憶もあるけれど

幸せだと認識しているものは

もう達成して完了した過去のこと。

 

逆に何度もよみがえる記憶は

これからいつかのタイミングで

必ず癒えていくものだと思っています。

 

親が生きているうちに

近くにいて話をすること自体

親の年齢を考えたらとても貴重なこと。

 

命の時間は有限であることを

改めて意識しながら

被害者ぶってしまう子供の自分を

可能な限り癒していきたい。