SNSを読んでたら、自分が怪我しても家族を守った人の記事があり、さめざめと泣いてしまった。

私は守られたかったんだと分かった。


普段は、自分を犠牲にすることは基本無い。

だけど、大きなことや、小さなことでも、自分が我慢して相手の為に動けるか、を決めるのは、本人の中にその思いがあるか、どうかだと思う。

大事なのは、相手の気持ちを受け止め、気持ちに添えるかだ。


父が倒れた時、父は自宅に戻りたかったが、母が受付けず結局介護施設で亡くなってしまった。倒れてから9か月。

最後はただ生きてるだけの状態だったから、もう無理しなくて良いよ。と言ってあげたけど、翌日に亡くなってしまった。


そんな母だから、父が亡くなった後は最低限しか帰省していない。これからはそれが続くのだろう。親子だから、仲良くしたいけど、受け入れられない人に受け入れてと頼むのは間違いだと分かる。


離婚して11年が過ぎたが、あれが最後のチャンスだったと思う。後一年遅かったら、離婚してくれなかった。転職して自分が望む生活が出来ると夢見ていた元夫は好き放題言って離婚に応じてくれた。相手が提示した条件は、とても酷い内容だったけど、兎に角藉を抜きたかった。

藉さえ抜ければ、後はどうにかなるし、どうにかしなきゃと覚悟した。

あれは、我ながら偉いと思った。自分が望むような決断なんて、実現しない。


元夫、母、姉を見ていると、どんなに偉そうに話しても、自分の心の奥にあるものしか行動出来ないんだから、そこを自覚すべきだと思う。

大事なのは、自分の心の奥の気持ちは、相手も同じだということだ。

自分を犠牲にして人を大事に出来ない人は、大事にされないと諦めるべきだ。


又相手を見て、相手に無い希望を望んでも無駄だ。父親のくせに、とか母親だから、とか妻だからとか、肩書きで望んでも、本人が力が無ければ望むだけ、自分が疲れてしまう。


自分の中にあるもの、相手の中にあるものを見極めて生きていくしかない。