三連休、暑いしあまり予定を入れずのんびりしてました。
今日から、仕事。でも在宅だから、少しのんびりです。いろいろ決めなきゃいけないことあるし、作らなきゃいけないものもあるので、気合い入れなきゃ。
父が倒れて半年、どんどん悪くなるし、実家も余裕無くなって 責められたり、罵倒される日々
コロナ回復して、施設に移すことが具体化してきて、少し落ち着いたみたいです。
病院で、痴呆がすすみ、体力が急降下して今は経管栄養。三月末に転院させられた時、介護施設に移してくれるよう頼んだのに動いてくれず、病院に言われてやっと6月末から動き始めて今に至っています。
先日お中元を送ったら、珍しく母から連絡がきました。お礼と、桃を送ったと。父の話しは出ず、尋ねたら変わり無いことをつっけんどんに言われました。
普通の話し、近所、親戚の噂、人に対する意見はスラスラと話す母。
なんだか虚しくなりました。
私は遠く離れて別に暮らしています。経済的にも独立しています。だから、一緒に暮らす母、姉と同じことは出来ないし、出来ることは限りがある。それを引け目に感じていました。
でも、引け目に感じることは無かったと、その時気づきました。母は受け入れられていないし、自分が嫌なことは断固として拒否しているし、父に対して何かしてあげたい、どうしていくことがいいか考えることすら嫌だったんだな、と分かったから。
病院に言われて、転院させて。帰りたいとごねるから面会にもいかず病院に任せ、3か月過ぎて、出ていけと言われ、初めて動く。しかも自分達のスケジュールで。
文句を言われるから、手伝いたいと出来ることをしたけど、それも拒否。感謝すらないし、手伝わないと責めたことを訂正すらない。
自分達の狭い世界で、自分達のルールに従ってみんな生きているわけじゃないんですよね。
私も、病院も、役所も。そして父自身も。
でも、それが分からない。分かりたくも無いのかもしれない。
父が心配だから、嫌われても罵倒されても我慢してきました。母、姉のことも心配だから、出来る限りのことはしてきました。
でも受け取る側の準備が無ければ、意味なかったと気づきました。
出来ることだけすれば良い と距離をおいたら楽になりました。
姉は介護に入る前は、老後一緒に暮らそうと話てたけど、懸念してた通り、無理だとはっきりして逆に良かったかもしれない。
いろんなことが全てリセットされ、空っぽ状態。
空虚です。
でも、ここから作って行かなきゃね。
これからは、1人で生き、1人で死ぬ人生を豊かにすることを真剣に考えなきゃ。
自分で考えることを放棄したら、どうなるか
分かった半年でした。
追伸
65歳になる元夫。61から始めた植木屋の仕事辞めて、年金生活に入るみたいです。彼のことだから、遊ぶ計画沢山なんだろうな。羨ましいです。
でも、病に倒れたらとか、考えて無いと思う。子供達の足を引っ張らず生きてくれることを願います。
離婚出来て良かった。人って変われませんね