蝶となる日を夢見つつ☆多田晴美 -33ページ目

蝶となる日を夢見つつ☆多田晴美

これまで長い間
人の話を聞く場に関わってきました
現在は、1対1で
立ち位置を確認する時間だけを
静かに続けています

私が23才の時に
祖母が亡くなるまで
実家は、7人家族でした。

祖父母、父母
私と、4才と5才下の弟。


私を産んだ後の母は
弟が生まれるまで
幼稚園教諭に復帰して

弟が生まれてからは
2人が年子ということもあり


私は
大正生まれの祖母に
育ててもらっていて
ほぼいつも一緒。

スイカ好きな所が似ていて
お風呂は、祖母と入っていた記憶があります。


初孫でもあり
実際に「いい子や、いい子や」と
よく言ってくれていました。




そんなに可愛がってくれているにもかかわらず…


嫁である母のことは
あまりよく言わないのです。
(ずっと仲が悪かったわけではないです)


それで、私は幼いながらも
7人家族の中でも
母(嫁)だけが
血の繋がりがないんだなぁ

他人なので→別扱いをされる

と、思っていました。


そして
小学生ぐらいには


自分も結婚すれば
嫁の立場になるので

長男の嫁にだけはなりたくない
と、考えていましたね 笑


その祖母も
私が中学生の時に
脳疾患で倒れ
左半身不随で寝たきりに。

ちょうど10年後に
亡くなるまで
家に病人がいる家庭でした。



祖母と最後に話した時に
私に言った言葉は
「ほんとうは優しい子やって知ってるから…
あんたはいい子や」

どうしてそんな事を言うのか?
よくわからなかったものの


毎晩、飲んで帰って遅いのを
知られていないと思い込んでいたけれど

バレていたんでしょうねー?


心配かけてごめんね。
おばあちゃん。
でも、そんなに心配するような事はなかったはずよ~
たぶん…

 

家族④ 祖父 へ

 

 

 

 

12才の時に
描いてもらった絵


まさか今
ブログのタイトルにするとは
当時は
思いもよらなかったわけですが



昨年末から
今後の方針を考えはじめたら

「蝶」 と

「変化変容」 が

キーワードとして
出てくる出てくる!
 


そして
思い出すのが

この絵と

タイトルの
【 蝶となる日を夢見つつ 】


蝶が

さなぎから
変化するように


夢を叶えるために必要な
 

変化も
受け入れながら

生きていきたい。



大きな夢に限らず

どんな
小さな夢だって

叶えられれば

人はもっと幸せになる。



何かがあっても

どんなに小さな1歩でも

進んでいこう!


そう思っている人たちと

一緒に

私も成長していきたい!

 


そんな
想いを込めて

ブログタイトルは

【 蝶となる日を夢見つつ 】に

しました。




12月末に、夢と古い価値観について書いていました。
 ダウン
https://ameblo.jp/hiroisora3/entry-12569579994.html

今回は、父について。

ひと言でいえば
「頑固!」

めっちゃ頑固!


言い出したら聞かないものだから
その頑固さに
大変だったこと数しれず!!

決めたら、曲げないから
「もぉーー!!」って
なってたことが多かったのに


最近思うのは
私、父に
めっちゃ似てるような気がするー笑




一見、柔和なイメージだけど

これが正しいと思えば
弁も立つので、押し切るし

親戚と縁を切る
なんてこともしている。
(これはこれで、私にも影響があり
のちのち嫌な思いをすることに)


何があったのか
具体的なことは言わないので
わからないのだけれど

母のことがかわいそうだったとは
言っていたので

母の人格を
父なりに守るためだったんだと思う。


そういう風に
何か大変だったことも
絶対話さなくて

終戦を子供の時にむかえた父は
母と違って
食べるものもなくて
すごく苦労したそうなのだけれど

母にも
具体的には絶対話さなかったと
聞いています。

 

 

1人暮らしになっても
頑固で
父が「こうする」と決めた事に
振り回され気味だったけれど

残りの選択肢から
ベストなものを選ぶしかなく

自立していて
ラクと言えば
楽だったかもしれません。



昭和の
高度成長期時代からサラリーマンで
がんという病気になりながらも

忙しく働きつづけて
育ててくれたことには

本当感謝です。



その話が出たのはこちら
 ダウン
「起業への道のり 2」母の入院③ 父のカミングアウト

 

 

家族③ 祖母 へ

 

 

 

そう言えばどんな母だったかは
最初に書いただけでしたね。
  ダウン 
「起業への道のり1 」起業のきっかけになった起点


私は、過去より
これからの未来の方に意識がいくタイプ
ということもあるし

母が亡くなったのは
16年前ということもあり

今では、ふっとした拍子に
思い出すような感じです。


母とは
仲が悪いということは、なかったけれど
とくに仲がいいということもなく

性格も考え方も違うので
話題が合うわけでもありませんでした。


私が結婚して
子供も出来てからは
ようやく女同士だからわかる
話ができるようになった感じです。


それで
世代的なものが強いのですが

おとなしい性格だったこともあり
専業主婦で
自分の楽しみのために何かをすると
いうことが
 

ほとんどなかった(ように見えていた)
母は

私にとっては
反面教師のようなものでした。



私たち子供や
家族のために生きるのではなく

自分が満足のいく
したいことをして
幸せでいてほしいと
思っていました。

自分を犠牲にしている(ように見える)
そんな姿は見たくなかった。

もっと自由に生きて
自分のしたいことしたらいいのにと

ずっとそう思っていました。



私からみて
祖父母とも同居。


家の中は
その世代の価値観も
色濃く影響をしていて


私も
女の子はお嫁にいくから
を、前提に
母からも
育てられていました。
 


個人の個性ではなくて
性別だけで
決めつけられる物事の多さに
辟易し

小さな反発をしても
世間体が悪いと
抑え込まれ



それでも
親を想う気持ちはあるので

近所から
何か言われるようなことをすれば

親がかわいそうかと思い
私自身
結局は、がまんしていた20代。

 


そんなこんなで

母は
私には、嫌われているぐらいに
思っていたようで

入院中に
私にできることはなんでもやるよ
という姿勢の私に

「そんなに親のことを思ってくれているとは
思っていなかったわ」
と言いつつ


「ありがとう」
と、言ってくれたのですが


そこまで、勘違いされているとは思っていなかったので
驚きましたねー。

 

 

家族② 父と私 へ

 

 

 

私の仕事の復帰

これは、今なら
すごくベストな選択したと思えます ^ ^


義務と責任から考えたら

母の葬儀の後には
復帰するべきでしょうし

母を看取る理由で
休ませてもらっていたので

実際、そろそろ出てきてもらそうですか?という
打診もありながら

父の状態が良くないことを理由に
伸ばしてもらっていました。



実家へは、通ってたものの

仕事へは行こうと思えば
どうしても行けないことはない状態
だったと思うので

すぐに復帰しないことに対して

ずっと罪悪感を持っていたのですが


いや
私も、そうとう疲れていたんだと思います。

心身共に元気だったら
行けたものね。
たぶん…



無理しすぎなかったからこそ

その後も続く
父の生活にも
関わっていけたとも思えます。



最初は
週4日~3日だった実家通いも
少しずつ減らしていって

職場復帰した時は
週2日ぐらいだったかな


その後は、週1ペースで
続けました。

 

 

「起業への道のり4 」
家族① 母と私 へ

 

 

 

 

 

母の怒涛の入院と死の悲しみよりも

家事経験なしで
1人暮らしがはじまった父の生活

こっちの方が
これから何年続くかわからなくて

めっちゃ大変やん!!
と気づいた時のショックは…

さておき


健康にも関わる
食の問題。


本人が考えた
基本の食事は、インスタントやスーパーの惣菜
冷凍食品の頒布会のお惣菜。
(この頒布会は、よくぞ見つけたな!とは思いましたけどね^ ^)

まぁ
「体によくなさそう」
とは、思いましたが


私が
もっと料理をするのが好きだったり
作り置きの技でもあれば
(拒否もされていた)
違ったかもしれませんが

これ以上は無理
したくないしできない状態。


宅配弁当は
受け取り時に家に居るのが
定年後にはじめた畑仕事の
作業に影響するので、イヤがりました。



じゃあどうする?ってなったら

とりあえず
食べれる状態にはなっているし

本人に、意思がある以上
それでいいと従いました。


だいたい頑固なんで
自分がこうと言ったら
ムスメのことなんて、聞きもしません 笑



私、その頃は
在宅のヘルパー(訪問介護員)だったので

高齢者が困ったときに
どんな支援が受けられるかや
疾患の知識はありました。


それで
色んな方を見てきてもいて

健康に気をつけて
すごく食事も気をつけている人もいる反面

食べて、すぐ死に至るわけではなければ
持病があっても
ラーメンばかり食べている人もいて

その誰の言うことも聞かない人を見ていて
思った


私の結論は

それを食べて
すぐ死に至るわけでなければ

作れない
他の手段を使うのはイヤという意向も含めて
本人が食べたいものを
食べるのが一番いいという考え方です。



それでも
朝昼晩と1人で過ごし
食事も1人は

さすがに寂しいのではないかと思い


私が実家へ行く時は

着いてから
お昼ご飯を作って
一緒に食べるようにしていました。

その時
少し多めに作って
置いておくお惣菜分は

「食べるから置いておいて」と

言っていたので


嫁にやった娘に
これ以上の迷惑はかけれない
と、思っていたのかもしれません。


母と同じ昭和11年生まれの父は
嫁・嫁ぎ先という考え方が、しっかりありました。

 

1人暮らしになった父⑤ 職場復帰は少し待ってもらっていた へ

 

 

 

人ってすごいねー!

どうにかしないといけない
と、なれば
どうにかするもんなんだ。
 

生まれてから68年間
家事いっさいしたことが無かった父も

一人になれば

どうにかしはじめます。


もちろん
やってみたら
すごく家事が、できた!

なーんて

奇跡のようなことは起きないのですが







洗濯は

洗濯機の使い方が
わかるようになれば

軽くクリア。


掃除は

早い時期に
ロボット掃除機の「ルンバ」を購入。


私が多めに作って
持っていくお惣菜は

「食べないといけないものがあるのは
プレッシャーで嫌だ」
と、早々に拒否されていたこともあり

一番の難関の家事は
食事、料理


これも
早い時期に

ご飯だけは、炊けるようになり

他は
自分で考えたようで

インスタントのみそ汁を購入したり

冷凍で毎月、惣菜が届く
頒布会を利用するようになりました。


「そんな食生活、体に悪いやん」

そう思いました?


私も、それは思ったのですが
その後どうしていたかは
次に書きますね。

 

1人暮らしになった父④ 高齢者の食生活 へ

 

 

 

父は家事をしたことがない。

それよりも
元気がないどころか

気落ちして
ほとんど食べない。
 

 

実は、私
20代の時に

近しい人が自殺したという経験もありまして

どうにかしないと
「父も死んじゃうかも!?」

という強迫観念にも、かられていたんですね。


それと
母の入院中の苦しんでいた様子も
激しすぎて

すぐには
忘れられないぐらい
鮮烈で

思い出しては、ツラい状態でした。




もしかしたら
そんなに必死になるような
状態ではなかったのかもしれないけれど

「父を長く一人で置いておいてはいけない」
「ご飯も食べれるようになってもらわなくては」と

行けるだけ
実家へ行きはじめます。


その時
小5の息子は夏休み中

サッカーの日は
私も幹事で行くので


それ以外の
週4日~3日

息子を連れて
車で、約1時間の
実家へ行っていました。


母の入院から
葬儀

実家通いも始まり

2件の家事をしているような状態。


精神的に疲れているなか

普通に睡眠不足で

赤信号で
車を止めたら

ふっと意識が無くなるような
そんな生活をしていました。
 

1人暮らしになった父③ 意外や意外! へ

 

 

 

 

母が旅立ち
泣くヒマもなく
葬儀の準備

実家のある
私が生まれ育ったところは

四十九日の法要までの間も
毎日お墓参りにいくなど
いろいろとすることがある地域で

地域の決まり(風習)があることや
親戚関係で
すごく大変なことが
いっぱいあったのですが

それでも

一番、大変だ!!

と思ったのが


父が今まで
一切、家事をしたことがなかったこと。

なんと言っても
母は、専業主婦でしたからね。
 



母の入院中は
どうしていたかというと

母の容態が悪くなり
痛みも激しくなってからは

病室で
付きっきり。


それこそ、最初は
夜だけ帰っていたのですが

高齢になってきていたこともあり
車の運転が危ないと思ったようで

自宅に戻るのはやめたのです。


その付き添っていた時は
母の容態が1日中悪いときもあり

そういう時は
ご飯も食べに行かずに
ずっとそばにいる父。


母のことを思ってだったのでしょうが
あのすごい状態の病室に
ずっといる父の

執着なのか
精神力があるのか
なんだったのかは
わからないものの

今、振り返っても
凄まじさを感じます。


それでは
父の方が倒れてしまうんじゃないか?
精神的にまいってしまうんじゃないかと

私が、遅い時間にしか病院へ
行けないときにでも
行っていたのは

たとえ少しの時間でも
母から父を離す目的もあったのです。


余命宣告をされても
最後まで

母が家に帰って来れるのを
信じて

家の工事も頼んでいた父。


すっかり気落ちしてしまい
ほとんどご飯を食べなくなりました。


ここから父が亡くなるまでの10年
私の実家通いが
はじまります。

 

1人暮らしになった父② 実家通いは週に3,4日からスタート へ

 

 

 

 

 

雨の日も好きです。

今日は、朝から
よく降っていました。




雨の音以外の音が
掻き消されて

家の中も

体も


その内側まで静かで


全身が

静かに

静かに


静寂になる感覚がやってくる。



雨の日が

好きと

感じる瞬間です。