まず帰って良かった。
母の状態は悪かったけど、会いに行って良かった。
阪神高速に乗って、私の運転で、
薬を抜いている母は、キツい中毒患者の、禁断症状が出ている状態で、
細くなって身長もさらに縮んでいて、
おかあーさーん!あはは🤣めっちゃ縮んでるやん!ドラえもんのスモールライト使ったみたいになってるー!
と努めなくても爆笑して抱きしめて、
私が爆笑してるもんだから、母も笑えてくるみたいで、
そう、無理やりにでも笑っていくしかない。
実家に着くと、父がそわそわしていて、
「今日の朝も(母から)電話かかってきて、「私もう我慢でけへん。暴れる。暴れるねん。」て切れた。一番酷い時に来たな。大変やぞ今日は。」
と父がビビっている。
そうか、父は一人で耐えていたのか。
父のことも支えないといけなかった。
一番最悪な時は、2年前に経験済みだ。
それから一時離れていた私は、英気が養われ、元気だ。
どんな状態の母でもどんとこい。受け止めたる。
冒頭に戻る。
父が受付を済ませている間に、
さっさと病室見つけて入る。
いきなり大きい声で爆笑しながら現れた娘に、
拍子抜けしたのは母の方で、
先生にいいお酒持ってきたで。
私の好きな南部美人にした!
看護師さん達にも私の好きなクッキー持ってきたから渡しにいこー!
とナースステーションに行き、
いつもありがとうございます。
と手渡す。母は、私の前ではちゃんとお母さんになる。母とはこういうものだ。
私だって母だ。
娘の前では母になる。
お母さん、めっちゃ頑張ってる。
大丈夫。良くなってるよ。わからんくらいの小さい進歩が身体に起こってる。
先生も支えてくれてるし、私たちもずっとお母さんのこと祈ってる。
状態は一進一退で、
「薬を打ってくれるよう先生に頼んで!!」
と泣きながら電話がかかってくる。
先週、先に訪れた2番目の妹から、
「お姉ちゃん、私もお父さんもお母さんを責めてしまった。一番頑張ってるのはお母さんやのに。地獄の辛さの中必死に生きてるのはお母さんやのに。」
その言葉で今回単身で帰阪することを決めて、
母とみんなを笑わせに行くと決めた。
母がしんどいというまで笑わせて、最後も抱きしめて、また今月妹の子が産まれたらまたすぐ来るからね!と言って、大きく手を振って別れた。
その夜は、父と3番目の妹夫婦と地元の居酒屋で、たくさん注文して、たくさん飲んで、
とにかく喋り続けたのは私。
ぜんぜん喋り足りないと言って帰ったのも私。
父も、妹夫婦も、母のことで萎縮して、疲れが見えていた。妹は妊婦だからよけいに疲れていた。
だからそこ、
もう、早く甥っ子に会いたい!
早く出てこーい!とお腹に話しかける私。
もう十分な大きさらしい。
人間の身体は良くできている。って思って、
出産は楽しい。二人の思い出が出来るよ!
と励ました。
スーパーに寄って、次の日に作るメニューの材料を買い込み帰宅。
帰宅後、息子とビデオ通話。
泣き出す息子。
加工して励ます。
あれ励ます日か今日は。
なら良し。
次の日早起きな親子は7時に朝ごはん。
冷凍庫にあった牛のテール。
うむ。煮込むか。
テールスープや。圧力鍋もある。
蒸し鍋と、じゃこ飯と、きゅうりの浅漬けも仕込んでおいた。
妹夫婦も再度登場。
みんなで食べて、父は細やかに動いてくれる。
食後のコーヒーと洗物もしてくれた。
昨夜は私のマシンガントークだから、今日は聞く番。
やっぱりお産のことが心配で、お腹も差し込んで痛いらしい。
二週間後に産まれるわ。
とテキトーに日にちを決めておいた 笑
そして午後2時、バタバタと用意をして、
新大阪に向かって、
今新幹線の中。
トーキョーでは、犬達と家族が待っている。
疲れている夫がいるんだろう。
今度は夫に労いの言葉をかけよう。
こころよく大阪に送り出してくれてありがとう。
いつも夫に私も、私の家族も支えられている。
一瞬でも実家のみんなが元気になったと思う。
自分も元気でいられるようがんばろう。