「働くということ」①
働くということについて考える。
僕は今年の4月に就職した。
実際にはもっと前、去年の6月から企業で働いている。
そして働けば働くほど、すごく違和感を感じる。
日本で働くということに、すごく違和感を感じる。
「日本で働く」というよりは、
「資本主義のもとで働く」と言った方が正しいのかもしれない。
「何のために働くの?」
「自分の成長のためさ。」
人は言う。
「個人にとっての『働く』」の意義はさておき、
「働く」ということは、「企業の発展を促進させる」ということである。
各個人が精一杯働き、各企業は発展していく。
そして企業同士は競争し、互いを高めあって、そうやって経済は回っていく。
それが資本主義。
しかし資本主義には、大前提がある。
「モノを作り続け、そしてそれを売り続けなければならない。」という前提だ。
「more and more」という。
つまり、この日本で働くということは、
モノを作り続けることに加担するということだ。
精一杯働いて、企業に貢献すればするほど、
社会にモノはあふれていく。
僕は個人的には、物質的な豊かさと精神的な豊かさ・人間関係の豊かさは
反比例すると思っている。
フィリピンに行って思った。
すごく貧しいバラックの前で、
子供がシャンプーしてた。
水が出ないから雨水をためてシャンプー。
すっごくボロボロの家で、台風が来たら崩れてしまいそうな。
物質的にも恵まれてない。
でもすっごい曇りのない笑顔をしていた。
初めて見たような屈託のない笑顔だった。
モノがあふれると、
人は人を頼る必要がなくなる。
そして人間関係は疎になる。
人間関係が疎になると、本質的な会話量が極端に減る。
そして精神的な豊かさは失われていく。
だから、資本主義の経済の日本で一生懸命働くということは、
すなわち企業発展・経済の発展のためにモノを作り続けるということは、
日本という国における人間関係の豊かさ・精神的な豊かさを
欠落させることになるんじゃないだろうか?
そんなサイクルを回す行為である「働く」ということに、
違和感を感じないで、のうのうと働いていいんだろうか?
働いていて、そんなことを思う。
僕たちは、自分のことばかり考えすぎて、
もっと広い視野で考えることを忘れてしまっているのではないか。
「だから、働くのをやめよう!」というわけじゃない。
しかし少なくとも、上のような問題意識について考えて、
自分なりの答えを持ったうえで働くことが必要なんじゃないか。
今、少し立ち止まって、じっくり考えることが必要なのではないか。
何も知らずに「不」を取ることと、
自分なりの信念で「不」を取ることは、
事象としては同じでも、
本質的にはまったくことなる。
Hirohi's Bar、スタート。
多くのものは「対話」によって深化していく。
自分を深める、自己との対話。
世界を広げる、他者との対話。
内面世界、外部世界、共に対話で深化する。
このブログは、そんな「対話」をテーマに綴るブログです。
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かわもと。