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いつまでも女々しくて・・・

20年連れ添った妻を自死で亡くした男(hiro)の日記

妻の夢を見た。
このタイミングで。

詳しくは覚えていないが、平穏だった。

揉めるでもなく、罵るでもなく
逆に弁解するでもなく
ただただ普通の時間が流れた感じではあった。


たぶん、俺の思いは読んだと思う。
彼女の言い分もあるだろうけど
今更、何を言われても俺には伝わらない。

言い訳でしかない。

誓い合ったその日から、おじいちゃんおばあちゃんになるまで
ずっと一緒にいるもんだと思っていた。

でも、その思いが、思っていたことが今でも残っているから
今まで辛かった。

その思いを、ちゃんとなくそうと思い
このお盆までに、俺の今思ってることを書いて伝えることにした。

婚姻関係を辞めようというのは
妻だけの理由ではなく、妻側の親戚とも縁を切るためもある。
正直もう関わりたくない。

方法は役所に行って届を出すのか
この先、もしこんな俺でもいいと言ってくれる人が現れるのか
それはわからないけど

いつかその時がきたら、そうするね。


今更なんだが
これからは、誰かのため
奥さんとか子供のためとか、親のためとかではなく

自分自身のために生きていく。

今までそうしてこなかったから
難しいけど
さみしいけど
やってみるよ。



 

この理不尽な状況で、恨みばかりが目立つが
もちろん愛していたし、彼女のことを一番と思ってやってきた。

だからこそ、妻の突然の死の悲しみは
今まで感じたことがないレベルで
気がおかしくなりそうだった。

それでもそうならなかったのは、息子たちが居てくれたからだ。

息子たちの前では毅然とした態度で生活していたが
一人のときは泣いてばかりいた。

それがこのブログの代にもなっている。

女々しく毎日泣いていた。


実は、『気がおかしくなりそうだった』ではなくおかしくなっていた。

それは今でもだ。


後遺症なのか?

普段から人の涙に敏感になってしまい
人が泣いている姿を見れなくなってしまった。

理由はどうあれ、それを見てるだけで動けなくなってしまう。
自分のことでもないのに、涙が止まらなくなってしまうんだ。

叫んでたり、崩れる様に泣いてる姿を見たら
よりこちらも酷くなる。

それはそれは他人様には見せられないぐらいだ。

大丈夫か? このおっさん?

そう白い目で見られてしまうので
動けなくなる前に、物陰に潜む
もしくはトイレまで頑張る。

あれから15年
未だに治らない。



さっそく外食した。
これで今日一日はハッピーなはず。


 

まず金に対して無頓着なところ。

収入が多くても少なくても
それに合わせた生活ができればいいと思っている。

が、そう考えない人が大多数だということを
妻との生活で改めて知った。

お金での裕福ばかりを求めるのは、俺とは価値観が違う。
心のゆとりを求めるべきと思うが
それが、心のゆとりイコール金、ということになる人とは
いくら話し合っても平行線である。
もっと早く気付くべきだった。

もちろん妻には裕福な生活をさせてやりたい
そう思ってはいた。

ただ俺も遊んでいるわけではない。
状況は日によって変わっていく。
それに備えた生活はしてほしい。

それから、俺は仕事での達成感さえあれば
金なんかどうでもいい的(どうでもよくないが)なところが少しある。

もちろん安すぎる対価には毅然とした態度をとるけど。

まあ仕事人間だったことは認める。
それで家庭に対する時間が少なかったのは申し訳ないと思っている。

それから仕事が忙しのに
自分の調整が下手だった。

時間がなくて自分でやれないから人を雇ったのに
使い方がダメだった。


まず雇った社員は言われた仕事ができない。

だが、経験が浅い社員にできないのは当たり前。

仕事がちゃんとできる社員なら

とっくに独立してやっていくだろう。
その辺の理解が足りなかった。

で、できないから指示を入れる。
指示を入れても満足なものが上がってこない。

そんなできてない仕事を、客に渡すわけにはいかない。

結局俺がやり直す。
で、帰れない。
もう先帰っていいよ、後は俺がやるからとまで言っていた。


俺は、経営者には向かないと同業に言われた。

預けた仕事は責任持ってやらせないと

できないなら徹夜してでもやらせろ

そうでもしないと育たない

明日までやっておけと言い

でおまえは帰れよ

おまえが残って手伝うことじゃない

最後は自分でやっちゃうんだろう?

ちゃんとやりきらせないと


この辺が俺のダメなところなんだろう。

それから、仕事の質に対してのギャランティが合っていない。
そんな仕事しか取ってこれない、俺の責任。

それで大変で回らなくなり、人を雇う。
増えた仕事でその社員の給料分が賄えないから

また無理をして仕事取ってくる。
どんどん膨らむ負のスパイラル。

所詮北国の仕事の質と量では

俺レベルではマッチングする需要が少ないのであろう。

東京ぐらい仕事の幅が広く多いと成り立つ。

東京にもツテというか、仕事をもらっていたのだから
さっさと見切りつけて上京すればよかったのかもしれない。
単身赴任にはなるけど。(実は妻から反対されていた)

どっちがよかったのか?

それはそれで新たな問題が出てきそうだけど。

結局、俺に人を見る目がなかったのだ。

しかし、何て人生なんだといつも思う。

だが・・・

他責にしたいが、今あることは全て自分の責任である。


過去には戻れないのだから

じゃあ今をなんとかすればいい。

ただ、1年とか2年先とかそんな遠い先のことなんかわからない
1カ月先すら遠い。
なので1日1日、小さいことでもいい
今日はこれをやったから、これを買ったから、これを食べたから

『良い日だった』と思うことにする。

うん



 

息子たちとの生活が始まって

より節約することに。

育ち盛りなのに、節約せざるを得ないのが
可哀そうでならなかった。

せめて自宅ではなく、どこか他の場所で逝ってくれてれば
まだ自宅を売るという選択肢が残ったのだが

事故物件になってしまったということで
例え売れたとしても、残債がかなり残り
借金しか残らず、それこそ自己破産まっしぐらになってしまう。

なので高額なローンを毎月払いながら
生活も維持していかなくてはならないという
まあまあまあきつかった。

節約は、前にも書いてあるけど
息子たちには、それほど締め付けていたわけではなく
俺自身に『極』がつくほど課していた。

でも、下の子は13歳だったんだけど
それ以来どこか遊びに連れて行ったことは一度もなかったか・・・

ほんと
すまん

ほんで、とにかくやれることは何でもやって
削れるところは全て削った。

おかげでいろんな節約術を覚えたし、発見したよ。

この節約は下の子が高校卒業して就職したときに
一段階楽になった。

でもローンがなくなったわけではないから
厳しいことには変わりない。

そんな生活が12年続いたときに、親父、お袋と順に亡くなった。

それで親父の遺産は全くなかったが
お袋が少し遺産を残してくれ
それでローンを完済できた。

完済せず、それを元手に自らの仕事を復活させ様とも思ったが
俺のことを何もかも知る

唯一お世話になっている人に相談したところ

まず、足枷を取れ

でも、ちょうどローンの残分くらいしかないから
完済してしまったら手元にいくらも残りませんよ

それでも、とりあえず一度楽になれ

そうですかね・・・


考えて考えて、一括返済することにした。
手元にはほとんど残らなかったが
月々の生活はとても楽になった。

雰囲気的には極論月に10万稼げばいい感じ。(実際そんなわけにはいかないが笑)

それで毎度言ってる100万稼いで、その後3カ月は何もしないという生活になると。
(これも実際はそんなにうまく回っているわけではない)

で、生活が楽になっても、長年続いた節約生活が染みついちゃって
何もできないんだよ。

月1の銭湯も、週1にしたっていいじゃん
買えなかった750円の雑誌ぐらい買ってもいいじゃん
たまにはスキヤキを作ったっていいじゃん
もちろん外食だってしたいときにすればいいのに

どれも躊躇しちゃう身体になってしまった。


でもね、病気したときに、このまま死んでしまうのか
という状況に追い込まれてから

もう我慢することを辞めたいと思った。

で、このお盆を期に
今回のブログをウチのヤツに向けて書き
いろんな意味で、もう我慢を辞めようと思う。

欲しい物は買う
食べたいものは食べる
遊びにも行くし旅にも行こうと思う

それから、いつか時がきたら
婚姻関係をやめようと思う。


それで終了する。

 

妻が逝ってから、悲惨な毎日がやってはきたが

妻と余計な喧嘩がなくなり、その部分は解放された。

 

ただ悔しさと辛さと悲しさと

もう言い表せないこの複雑な感情の中で

まじ死にそうだった。

 

でも俺までもが死んでしまったら息子たちは

どうやって生きていくのか

 

自分の気持ちは考えず

息子たちをちゃんと育てなくてと

俺までもいい加減な親になってしまっては

無責任にも程がある。

 

そう、死ぬことはいつでもできる。

やっとの思いで体を動かしていた。

 

朝弁当作りから始まり、家事全般

空いた時間でできる仕事をして家計を回す。

 

とにかく大変だった。

空いた時間でできる仕事なんて大した仕事はできなくて

自分の仕事はどんどんなくなっていった。

 

家計が厳しくて、児童扶養手当が国から支給されて

これが本当に助かった。

全然足りなかったけど

それでも何とかやっていこうと頑張ったが

 

あの日、親子協力してやっていこうと誓い合ったのに

割とすぐに上の子の反発が始まった。

 

要はパパのせいでママが死んでしまって

もう一緒に居たくない。

だけど自分では何もできないから、一緒に生活するしかない不満。

 

いろんな話をしたけど、まるで聞く耳持たずだ。

まあそれは俺だけの言い分だから、認めたくないらしい。

死人に口なしということをよく言われ

 

おまえは、いったい今まで何を見てきたのか?

自分が祖母に預けられ、遊びに行ってる母親を見てきたのではないのか。

 

母親を亡くし、その気持ちのやり場を俺に向けず

文句があるなら、どうどうと面と向かって俺に言えばいいのに

そうすることもしないで問題ばかり起こす。(警察沙汰もある)

 

まあ、俺に文句を言ったところで

全てがちゃらんぽらんな考えや言い分だから

こてんぱんに論破されて言い返せなくなるからだろう。

その支離滅裂な言い分や気持ちを受け止めてやれる包容力は

俺にはなかったけど。

 

じゃあそんなに俺のことがイヤなら

家から出て一人で生活していけばいいんじゃないのか?

そういう決意もなく、できないで

偉そうなことばかり言うな。

 

上の子のこの問題は社会人になってからも続き

まじ親子の縁を切るところまでいった。(今はつかず離れず)

 

それでも

こんな家庭が壊れ、仕事が壊れ、自分も壊れそうで

その中、とにかく息子たちが社会に出て

一人でやっていける様にするまではやらないと

とずっと思ってやってきた。

 

そのため

生きていく上で、免許や資格もいっぱい取得したよ。

普通に生活できていれば、本来全く必要ないもの。

まさか自分がその免許や資格で

こんな仕事をするとは思わなかった。

毎日、やりたくない!って言ってベッドから起きていた。
 

それらの仕事を、生活の糧にしている方たちを下に見ているわけではない。

ただ俺には向いていないのに、それをやらざるを得ない状況になったことに

腹立たしさを感じている。

 

俺がプライドもってやっていたものを全部踏みにじられた。

 

俺の仕事を返せよ!

 

 

 

つづく