古事記 天の眞名井での天照大神と須佐之男命の誓い | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

 

 

古事記のお話です。

 

天のまな井のちかい

 

天照大神と須佐之男命は”天のヤスの川”の両方の岸に別れて立たれました。

優しい天照大神は、「私が弟のあなたを大切に思っている心を先に見せてあげましょう」

 

天照大神は、須佐之男命の差し出す剣を三つにおると、それを”天のまな井”の水で清めました。

そして口に含みました。
 

よく噛んで「ぷう」と吹き出しました。

あたりは白い霧が立ち込めたと思うと、霧の中から愛らしい3人の女の子が現れました。

 

「今度はあなたの番ですよ」
 

天照大神はにっこり笑っておっしゃいました。

「では、お姉様の髪の毛に巻いてある玉飾りを僕に貸してください」
須佐之男命は天照大神から八尺の勾玉(ヤサカのマガタマ)の玉飾りを受け取ると、まな井の水で清めました。

 

これを口に入れるとよく噛んでほっぺたを膨らませて、吹き飛ばしました。

あたりに霧が立ち込めました。その霧の中から一人の男の子が現れました。”天のオシホミミの尊”です。
 

そのあとに次々と4人の男の子が現れました。

3人の女の神様は、水の神、5人の男の神様は火の神でした。天照大神は子供たちをみわたして、

 

「男の子は、元はと言えば私の玉飾りですから、私のみ子です。
女の子はあなたの剣からですから、あなたのみ子ですね」

お言葉できちんとおわけになられました。須佐之男命は
 

「どうです。わかってくださったでしょう。僕に悪い心がなかったから、優しい女の子でした。」

 

「須佐之男命よ、よくわかりました。ではしばらくここで遊んでいらっしゃい」と天照大神は弟に言いました。

 

(参考図書:「親子で読める日本の神話」出雲井晶著)

ーーーーーーー
天(あめ)の眞名井(まない)の誓い

 

”宇気比”とは正しい髪の御心そのままを教えてくださいと祈り、神の御心をいただくことです。

 

天照大神の陽の気、天の気を、須佐之男命の地の気、地球がいただくことで地球の生物は生じるのだという思いです。

 

天照大神と須佐之男命の2人の神が、天(あま)の川を挟んで”宇気比”を行いました。

”宇気比”とは、受気日(うけひ)、受霊(うけひ)とも書きます。
物質の塊である地球だけでは生きた生物は存在しないので、命の霊気を受けられたのです。

 

大宇宙の法則である天之御中主神(アメノミナカヌシの神)。その人格神である天照大神(アマテラスオオミカミ)。
 

その天照大神(アマテラスオオミカミ)から、陽の霊気を須佐之男命(スサノオノミコト)は受けられました。

 

地球に陽が吹き込まれる儀式が受気日(うけひ)でした。

須佐之男命(スサノオノミコト)の剣を、天照大神(アマテラスオオミカミ)が、天の眞名井の聖水で振りすすぎ、邪悪な心を清め三つに折って口の中に入れます。

 

その息吹の霧から、多紀理毗売命(タギリビメノミコト)、市寸嶋比売命(イチキシマヒメノミコト)、多岐都比売命(タギツひめのみこと)の3姫命が現れました。

 

次に、天照大神(アマテラスオオミカミ)の”八尺の勾玉(マガタマ)の五百津の美須麻流(みすまる)の珠”を、須佐之男命(スサノオノミコト)が、天の眞名井の聖水で振りすすぎ、邪悪な心を清めガリガリと口の中に入れます。

 

その息吹の霧から、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)が生まれました。
 

この神様はのちに葦原の中つ国(日本)に天降られた邇邇芸命(ニニギノミコト)のお父様です。

 

天照大神(アマテラスオオミカミ)の神霊を宿らされた、天照大神の直系のお方、我が皇室のご先祖様です。

 

そのほか、天之菩卑の尊(アメノホヒノミコト)、天津日子根命(アマツヒコネノミコト)、活津日子根命(イクツヒコネノミコト)、熊野久須毗命(クマヌクスビノミコト)の5男命が現れました。

 

天照大神(アマテラスオオミカミ)は、須佐之男命(スサノオノミコト)に申されました。

 

「5柱の男の子は、神霊の元になったのが私の須麻流の珠(みすまるのたま)で、その珠により成られたから私の子です。

 

3柱の姫子はあなたのものにより成られたので、あなたの子です。」と言葉できちんと分けられました。

 

言葉には霊力があります。言霊の働きにより、人も国も良い言葉で幸せになったり、繁栄したりします。

 

息吹から子供が生まれたと聞くと、荒唐無稽のように感じてしまいます。

神話の世界だからと、仮想世界の話のように感じてしまうでしょう。

でもここに真理が込められています。

 

人は皆、単純に精子、卵子が結合して生まれてくるという、唯物論的な考え方では、理解できません。

 

人は肉体という物質から生まれてくるのではありません。
まず、神の霊気、天の気、地の気の霊気の交流があり、それが肉体に現れてくるのです。

 

魂が宿るという言葉があります。
それはこのことを言っているのです。

 

古代のご先祖様はこのように、生命の誕生を考えていました。

 

このような話を聞くと、何か宗教臭いなと思われるかもしれませんが、これは宗教とかができる以前のお話です。

 

また、精子、卵子の結合で生まれてくるという唯物論者はマルクス、レーニン主義者に多いです。

 

学校で、マルクス信仰者の先生が、生徒に向かって次のように教えていた事例がありました。

 

「君たちは、親のセックス遊びの副産物として生まれてきたのだ。だから、親を恨んでも良い。損害賠償を請求しても良いくらいだ。」と。

 

このように学校の先生から教えられた子供たちは、どのように感じるでしょうか?

 

”自分は汚れたい人間である”、とか”生きていてもつまらない存在である”、とか”自分は生まれてこなければよかっった”、というように感じるのでしょう。

 

そして自分に自信が持てずに、本来持って生まれた才能を発揮することができずに一生を終わってしまうかもしれません。

 

あなたは、この世にうまれてくることはとても奇跡的なことなのです。

 

あなたは、生まれる前に、”幸せに生きてね”、”楽しんできてね”、”たくさんの人に親切にしてきてね”、と神様と約束して生まれてきたのです。

 

あなたは、地球上で必要とされているのです。あなたの持って生まれた才能を活かして、たくさんの人を幸せにすることができるのです。

 

(参考図書:「日本人なら知っておきたい日本の神話」出雲井晶著)