私は癌になったことで、
落ち込んだ事がない。
なので、泣いて過ごした事もない。

強いて言えば、しこりを見つけた時。

あの時はサァーーーッガーン
ってなりましたよ。

触った感じでヤバいって思った。
だって石みたいなんだもん🗿

すぐに病院に行って生検もしましたが、
その時には既に、癌と言われる覚悟が
できていた気がします。

なので、結果まで生きた心地がしない
という事もなく、
すんなり癌である自分を
受け入れる事ができました。

癌と言われたら、もっと
落ち込むんだろうと想像してた。

でも、いざなってみると、
まぁ、しゃーない。
治療するしかないんだから。

すぐにそんな考えになりました。



癌になって、
なんで私が⁉︎
と思った事もない。

なぜなら、
癌になってもおかしくない程の
辛い出来事があったから。

鋼のメンタルを持つこの私が
メンタルボロボロ。

そりゃ、癌にもなるよねー。

心当たりが有りまくり。

ちなみに、
その出来事から半年後くらいかな?
左胸が痛くなり、病院に行ったら
『乳腺症だね〜』
と言われました。

ストレスが原因と言われ納得!
でも、その頃から癌は
育っていたのかもしれません。




人生には試練がつきものだ。
誰もがその時々で様々な試練を抱えて
生きている。

その中で、たまたま今の私の試練が
乳がんなのだろう。

そう考えると、癌の人とそうでない人の
区別なんて無いのかもしれない。
試練ごとに一括りにするのは
何か違和感を覚える。

そりゃ、癌じゃない人は羨ましい。
でも他の人は他の人で、
別の試練があるのだろう。
私は私で、
自分の人生を歩むしかないのだ。

どんなに泣いても喚いても、
誰も代わってくれない。
逃げても何も解決しない。
試練は自分で乗り越えるしかない。

それぞれに、それぞれの試練を
乗り越えればいいのだ。

誰かに助けてもらう事があっても、
結局、自分自身が強くならなければ
いけないように、
人生はできているように思う。




癌で死ぬかも。

私だってそう思うこともあります。

でもその後に、
いや、死ぬのはみんな一緒なんだから、
癌で寿命が短くなったかも。
が正解か?
なんて、しょーもないことを考える。

そして、
『癌で死ぬかも』
と未確定の事で悩む事が、例えば、
『交通事故に遭うかもしれないから
外に出ないようにしよう』
と言ってるのと同じ事のように
思えてくるのだ。

何かに怯えて
生きたい様に生きられない事は
人生を棒に振ってしまう事に
繋がるのではないか?

何のための長生きだ?

そんな事を考えていると、
死ぬ事を悩む意味が
だんだんわからなくなってくる。

また落ち込まないで済んだ。




人生では、どうしても
諦めなきゃならない事がある。

自分の力ではどうにもならない事だ。

その事に囚われてしまうと、
やはり病んでくると思う。

スパッと諦めて他の道を探すのが、
1番落ち込まずに済む方法だが、
そうできない事なんて、沢山ある。

頭でわかっていても、
心の制御なんてできない。
どうにもならないのだ。

抜け出す方法は2つ。
時間の経過と共に心が癒えるのを待つか、
どうにかして希望の光を見つけるか。

私は希望の光を見つけるのが
得意なのかもしれない。

あのメンタルボロボロの出来事の時は
八方塞がりに感じられ、
やっとのことで見つけた一筋の光を
離さないので精一杯だった。

でも、今回のステージ2の乳がん、
今私が置かれている状況では
まだ光が束になっているように
見えるのだ。
どちらかというと、
黒い闇の方が一筋といった印象。

まだ一筋にしか見えない黒い闇に、
人生振り回されるなんて御免だ。

どこまで闇が膨らめば落ち込むのか
私にもわからないが、
今の段階では、まだ落ち込まない。
大切なのは今だ。

諦めなければならないものが
沢山あっても、
諦めなくていいものも沢山ある。
そして、辛い経験の中で
得るものも沢山あるのだ。
目を向ければ、光はそこら中にある。

『視野を広く、思考を柔軟に。』
それが、メンタルのダメージを
最小限にする方法のように思う。

長生きできるに越した事はないが、
死ぬまでの時間をどう生きるか、
そちらに重きを置けるように
なったのも、
癌を患ったからなのかもしれない。




そんなこんなで、落ち込まずに
ここまで来てるのだが、
ポジティブなのもネガティブなのも
人それぞれ。

泣きたい時は思い切り泣けばいいし、
心に蓋をする必要なんてない。
無理にポジティブに過ごす事もない。

まずは心の声を聞くのが先決だ。

誰だって、辛く苦しい時間は嫌だ。

ただ、悩み苦しんで戦った事は、
後々、大きな財産になる。
逃げずに立ち向かった人ほど、
得るものは大きいように思う。

ただ楽しいだけの人生では、
人間に『奥行き』なんて出ないのだ。

そして、自分が成長した事で、
今まで得られなかったものに
手が届くようになる。
成長する前には、大抵、
その存在にすら気がつかないものだ。

わかりやすく言えば、癌でいう
キャンサーギフトだろう。

そして、癌に限らず、辛い経験には
必ずギフトがついているのだ。
目を向けないのは勿体無い。

ただ、
ギフトと一言で片付けられない程、
得られるものは多種多様で、
もっと複雑で重みがあり、
本人の気付きによってのみ得られ、
得られた本人でしか実感できない。

その境地に辿り着かないことには
到底、理解などできないのだ。

まぁ、簡単に手に入るようでは、
ギフトでもなんでもないのだけど。



段々と気持ちが落ち着いて来てから、
自分がどうしたいのか、
自分がどうなりたいのか、
各々で自分の心に問い掛ければ良い。

明るく過ごしたいと願うのも、
無理に元気を出すのは疲れると思うのも、
どちらだって、自分の心が望むもの。

生き方は一つじゃない。
自分に与えられた時間をどう過ごすか。
決めるのは自分自身だ。

それに、心なんて、
自分の思い通りにならないのに
他人がとやかく言う領域ではない。

ただ、私は、
もし、辛いと泣いている人がいたら、
手を差し伸べれられる人間でいたい。
そう思っています。