生きてきて
傷付かない人なんて
いないと思います。
自分が
この
『今』を生きてるってことは
今まで何度か深く傷付いた出来事などを
結果
『乗り越えた!』
んだろう。
だけど
もしかしたら
もしかしたら
それらは
乗り越えた!と思っていても
乗り越えたように思っていても
乗り越えた!どころか
ただ
蓋をしてしまった
と言うことがあるのかもしれなく
それは
深く傷付けば傷付くほど
振り返りたくない事だった、ってことだろうし
振り返りたくない…ってこと、は
ちゃんとその時の自分の
色々な感情を
置いてきてしまってる、ってことかもしれなく
蓋をして
無かったことにし
見ないようにしていて
それが…
年月が経っても
シャボンのように
モヤモヤモヤモヤ…と
あらゆる『場所』であったり
『人』であったり
『場面』であったり
『箇所』であったり
したりするのではないでしょうか
私は
病気で倒れたとき
周りを責めてもいたけども
奥底で
これは
罰だ、
自分の中で思っても
ました。
それは
お母さんを
ちゃんと看なかった
オカンをちゃんとみなかった
と言う罪から。
私は病気を
受け入れないといけないし
病気になって当たり前なんだ、と
何処かで思ってました。
その自分にも
ちゃんと迎えにいきました
「病気なんてね?
罰でもなんでもないんやで
もう捨ててしまい♪
捨ててええんやで?
自分から さよならしよ~~♪
それでもって~~
もう自分の人生生きようやっ♪」
ってね。
そしたらね?
放心状態なった(笑)
ぽけぇ~~~~…
横たわるベッドから
自分が浮くようなふわふわした
軽さを感じた。
そして
『最大の気づき』。
この『幸せになってはいけない理由』とは
誰でもない
『自分自身が作り出したもの』だと言うことを。
思い出せば
悲しいこと
理不尽だったこと
痛かったこと
悔しかったこと
怖かったこと
苦しかったこと
たくさんあったけど
それらを
思い出させる『場所』『人』『場面』が
よぎる度に
『可哀想な自分』
ってのを思い出し
また
それらを(可哀想な自分)確実にしていくのだ。
そして
そんな自分に気付いてくれない周りの人を勝手に憎み
その憎みも半端なく
どうして…どうして…
を、繰り返してた。
可哀想な自分
頑張ってた自分
を
愛してほしかったし
見てほしかったし
認めてほしかったし
誉めてほしかったし
ヨシヨシしてほしかった
でも
誰もしてくれないじゃん…
そう勝手にすねて
恨んでた。
人に発信もしてないのに。
自分から周りに
『してほしい』と、発信してもないのに。
会いにいかなければ。
あの時の自分に会いに行って
自分が自分で
認めてあげて
誉めてあげて
ヨシヨシ、抱き締めてあげたら
なんだ…
私って…
幸せになっていいんや!!!
幸せを幸せ、って罪悪感無しに感じていいし
もう既にある幸せ、が
いっぱいやんーー!!!
温かい光が
上から自分に降り注ぐように
死んでないか(笑)?私!!
みたいな天国に行ってしまう感覚だった(笑)。
シャボンは気付いた
気付かせてもらった
それは
シャボンが見た夢、から始まった。
夢で見た滝のように
流れ落ちるように
イヤなものが
自然と流れていく感じだった。
これからも
少しずつ
自分を迎えにいこう、と思う。
父親の事も
もっともっと
色々な自分を置いけぼりにしてしまってると思うから。
そしたら
自分がもっと
自分らしく生きられると思うから。
心が軽くなり
モヤモヤが無くなり
スッキリ。
花壇の花も
後ろめたさもなく見ることが出来
和室の仏壇も
申し訳なさのモヤモヤした感もない
私…
幸せに焦点合わせてええねんやん♪
幸せを感じてええねんやん♪
病気を捨ててええねんやん♪
そんな気持ちになったんですね。
ほんと不思議な感覚です。
罪の意識を感じながらも
自分を責め
人に発信もしてないのに
周りに分かってもらえない苦しさから
勝手に周りを憎み
可哀想な自分、を作り出し
それでいて
その可哀想な自分、を利用し
そんな
地獄の悪循環だった
ループから抜け出せなかった
のだと思います。
少しオーバーワークで
身体はしんどいですが
今まで感じた事のない爽快感で
今は心が軽くなりました。
戻ること。
とても勇気がいることですが
とても大事なこと
なんやなぁ。
これらの事を
実は
長女のひより、と
長男の次郎に
あるきっかけで話しました。
それらの事は
また
ここに残しておきたいと思います。
テーマに
『気付き』を追加。
これは
まだまだ迎えにいかないといけない事があるので
少しずつ迎えにいった自分の事を書いていこうと思います♪