http://www.amazon.co.jp/%E6%AA%B8%E6%AA%AC-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%A2%B6%E4%BA%95-%E5%9F%BA%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4101096015
中学の時だか、高校の時だかの教科書に作品名だけ載っていたような気がする。気のせいか。最近、ふと思い出して、本屋に寄って短編集の単行本を購入した。表題作の「檸檬」、いやいや、私は長い間大切なものを忘れていたようだ。こういうものに早くに出会っていなければいけなかったんだ。珠玉の短編ではないか。
肺病病みの作者が見た、一筋の光明、あるいは癒し。それが、檸檬なのだ。小林秀雄が絶賛したというこの短編に、私も清き(?)一票を投じたい。実は、こんな心象風景を描く感性ってのが、私の理想とする作家魂なのだけれど、自分には無理だとわかっているだけに、酷い嫉妬を感じると共に、書棚の宝箱に永久保存しておきたいというアンビバレンツな衝動に駆られるものだ。
「私の心を終始圧さえつけるえたいの知れない不吉な塊」なんて、そんな厄介なものに出くわしたくないが、人間すべからく似たようなオブジェクトを抱えているんじゃないかな。ちきしょう、べらんめい、くそったれ。あれ、これって大阪男の魂の雄たけびなんかな。梶井の作品を読んでいたら、同じ大阪出身の町田康を思い出した。何なんだ、大阪。この空気がこんな作風を生み出すのか。文学には「情けなさ」が必要だと思うが、正に彼らはそれを十二分に備えている。
足の小指を2度も家の箪笥に打ち付けてその都度骨折した大阪の女性を知っているが、大阪は「情けない」が似合う土地柄なのかも知れぬ。情念は、たぶん全国レベルで言うと「必要以上に」めらめらと湧き出ている人が多いと思う。「おさまっていない魅力」が大阪人にはあるんじゃないかな。生きよう、突っ込もう、けちょんけちょんにいてこましたろう(でも昨日の敵は今日の味方)。そんな風情が嫌が応にも漂うのだ。
何はともあれ、梶井の「檸檬」は素晴らしい。この先、思い出したら読み返す短編のひとつになること間違いない。ただ、病的な香りが強いので、真に病んでいる時に読むのは避けたほうが賢明かもしれない。