春に春の音楽を聴かずしてどうするつもりだね?と、創造主が問いかける。ちょっと怒っておられるようでもある。私はおもむろにCDを手にする。「忘れているわけないじゃないですか」。ベートーヴェンは神がかりの楽曲を数多く残したのであるが、それは我々後進のホモサピエンスたちが、美しき調べに癒しを感じ、自らの心身の穢れを効果的に落とすがために与えてくださった偉大なるギフトなのである。社交辞令的に、上司がくれた昇進祝いの「通勤快足」とはわけが違う。(当時の上司さん、それはそれで嬉しかったすよ。めちゃくちゃ)人類の精神と肉体に遍く浸透するパワーを有する、大自然の治癒力と言っても誰も反論する余地は無かろう。反論する者は正々堂々と私と戦いなさい。
63年、ロシアの名手、オイストラフとオボーリンは、極めてチャーミングな演奏をやってのけた。歴史的名演である。私は疲れるとこのCDをよくかけるのであるが、どのサイトを覗いても、ここまで素晴らしいベートーヴェンのソナタはこの世に存在しないと書かれている。いつどんな経緯でこのCDを購入したのか、はっきり言って失念したが、とにかく我がオーディオセットにこのCDがセットされることこの上なく多し。我が身とは言え、無意識の世界には誠に恐れ入る。酔っ払っても、気が付いたら「クロイツェル」や「春」が流れているもの。
音楽の素晴らしさは、意識を越えた部分で認識・把握している、つまりは体が覚えているものなのだ。例えば、鳥の帰巣本能、あるいは、鮭の産卵本能に共通するような、そんな、人間が本来持っている、音楽に対する希求、憧れ、欲望といったものに、ベートーヴェン、そして、オイストラフとオボーリンは見事な返歌を送ってくれた。
もう春が終わりそうだ。過ぎ行く季節を惜しむように、私は「春」を聴く。明快かつ優しきメロディー。この妙なる音階の前に、どんな憂いが存在しようか。我が憂いなど、河童の屁、九牛の一毛。憂うこと自体が罪なり。この上なき神への冒涜なり。逆を返せば、このソナタを前にまだ憂いを感ずるあなた、相当重症ですぞ。悪いことは言わない。しかるべき専門家に診てもらうことをお奨めする。
美、格調、柔軟、深さ。そのいずれをも兼ね備えた演奏を、私はあまりお目にした事がない。このCDを例外として。現代のロックに飽きたとか、つまらんとか、ふにゃむにゃ言うてる暇があったら、こういうものを黙って聴くに限る。音楽の神々の前にひれ伏さざるを得ない事態に陥って、M的な快感を覚えること間違いなしだから。