「R&R」に続いて田島のミュージック・ヒストリー。パンク、ニューウェイブにどっぷりと漬かっていた高校時代。怪我していないのに、腕に包帯巻いてレッド・ツェッペリンをやっていた。毎日PILとジョイ・ディビジョンを聴いていた。曲も沢山書いて、高校時代に宅録で100曲。過激すぎて東京を追い出されたスターリンの前座を福島でやった。田島の衣装は白衣。
大学時代オリジナル・ラヴが結成された。その前身は85年のレッド・カーテン。写真の田島が細く若い。「フリージャズ、ソウル、パンクなどが混在する独特のサウンドで注目を集める」。ライブにレコード会社がいくつも見に来たが「やっぱり下手だ、おまえら」と最初の頃は契約までに到らず。同時期にピチカート・ファイヴにも所属。
「当時の話を伺っています」ということで、小西康陽のV。「ヴォーカルとして入ってもらったんじゃなくて、高浪慶太郎と3人の作曲家バンドを作ろうといった感じだった。彼は若くて吸収力は相当なものだった。新しいソウル・ミュージックのレコードを聴くと、しばらくしたら、そのままじゃなくて彼なりのフィルターを通された形で曲が出来ていた。それには本当に吃驚したし、その頃はジェラシーばっかり感じていた」。田島はアレンジをはじめとする、音楽の作り方をこの頃勉強した。
「オリジナル・ラヴが変わらないもの。それはポップであり続けること。田島が考えるポップスとは」というナレーション。田島のポップスとは、やっぱりビートルズ。音楽の優れた内容、そしてそれがリスナーに完全に認められているというポップスのひとつの理想形。「人を傷つけてやったぜ」という「悪」も必要だが、「鼻につくかもしれないけど」「本当に善に向かう説得力のある、人を楽しませる曲が生まれるスペースもある」と説く。続いて、田島がピアノを弾きながら歌う「ショウマン」。ヘッドフォンで聴くとベースがうねりまくっているのがわかる。CDとはまた違った感触。小西がジェラシーしていた、田島が素晴らしいソウル・ミュージックを書く力量がよく出ている楽曲であろう。人をエンターテインするうた。
曲に続き会場からの質問タイム。「最近気になる日本のアーティストは?」という問いにエレファント・カシマシ、椎名林檎、小山田圭吾を挙げる。それから「ロックはスポーツじゃない。俺は弱い、みたいな音楽もあっても良いんじゃないか」。ここは大いに同感。また、「海外で認められたらスゲエみたいな考え方はやめて欲しい」と発言。確か、田島はアメリカでちょこっとツアーやってなかったか。それであまり受けなかったはずだ。(記憶違いなら失敬)。
益子「これから音楽でこだわっていきたいと考えていることは?」。田島「こだわりが無くなっていくこと。虚飾を無くしたい。人の心に本当に響く音楽を作るのは大変だけど、それでも手綱を緩めずにやれたら良いなという希望的観測はある。こだわりはどんどんどうでも良くなってきている。そうだ、今作りたいのはどうでも良い音楽だ」。会場爆笑。結局は、ここだったのね、田島の曲作りの肝は。最近のインタビューとも繋がるのか。「虚飾を無くす」「こだわりを無くす」。そして、「カッコつけない」にも通じると思う。いろいろな飾りや虚勢や肩の力や。それを少しづつ、歳と共に剥がしていっているのかもしれない。「人の心に本当に響く音楽を作るのは大変」という言葉が妙にリアルだった。それを言う時にちょっと眉をひそめたし。彼も胃に穴のあくようなプレッシャーを人知れず感じているのかもしれない。番組は「女を捜せ」で幕を閉じる。
よくよくこの人を見ていたら、からのでかい威圧感と、スウィートな優しさが混在した男、という印象を受けた。マッチョもいけそうなんだけど、いまいちそれに入りこめなくて、女々しさも醸し出していきたいとか。ロマンを歌ったかと思えば、いきなり雄々しくシャウトするとか。いずれにしても、結構「いい人」なんじゃないかな、と改めて思った。少なくとも、曲作りに関しては一貫して誠実で、真摯で、いつもそればかりを考えているプロ意識の高さが窺えた。ま、田島クラスでは当たり前のことかもしれないが。ここに「プラスアルファ」が常に求められているところが、才能のあるミュージシャンの宿命なのであろう。