「どんなことがあっても体罰はしてはいけない…」
これが今の世の中の風潮で
なにか事件があるとマスコミは徹底的に体罰を与えた教師やコーチを叩きまくる。
では、文頭の体罰をしてはいけない「どんなことがあっても」とは、
一体どんなことなんだろうか…
今回、都立高校で校内でのピアスを注意した教師が
逆ギレした生徒と口論になり暴行を働いてしまった。
さらに、その映像がSNSで拡散され、あっという間に炎上し、
待ってましたとばかりにマスコミが取り上げることになる。
しかし後に、この件は普段から目をつけられていた生徒が逆恨みして教師に仕掛けた罠であり、
その挑発に教師がのってしまったが故の事件だったことがわかる。
そのことがわかるとマスコミは手のひら返しで今度は生徒を叩き始める…
毎度、この件とは全く関係のない、よくわからない芸能人たちが無責任に好き勝手を言い始める。
実は、この件は教師と生徒の人としてのコミュニケーションの問題だと思っている。
生徒は教師に対して、人として侮辱するような言葉を何度も投げ続けていた。
それに教師は怒り暴力をはたらいてしまった。
誰しも自分の尊厳や存在を侮辱され、
そして、それが度を過ぎていれば怒りを抑えられずに行動に出してしまうことはあるだろう。
学び舎で、感情にまかせて暴力をはたらいた教師には同情の余地もないが、
教師とてひとりの人間である…これは決して体罰ではない。
逆恨みで教師を罠にはめるような生徒達やその親については全くの論外だが、
この件で責められるとしたら、それは体罰としてではなく、
「人として」感情を抑えることができなかった教師の行為なのではないだろうか。