~大工棟梁の心意気~

1、はじめに

  日本は古代から 木材に恵まれた土地柄でした。

 有り余るほどの 大量の大木を惜しげもなく伐採し、大量に消費してきました。

 そう言った意味からすれば 「贅沢三昧」に木材を使ってきた民族です。

 しかし、大木を伐採し、それを運搬、製材、加工といった目に見えない処では

 現代人の想像を絶する程に大変な労力と時間を費やしてきた事も事実です。

 

 今回は そんな多大な努力とそれを可能にした職人の技を「埋め木」から

 探ってみたいと思い、テーマに取上げてみました。

 

2, 東京都日野市にある「日野宿本陣」の式台から見た写真を紹介しましょう。

 実は この写真の下部分 つまり、表玄関の式台に施されている

 「埋め木」の超絶技法を紹介します。

 

3、大工の意気地を感じる「埋め木」

  式台の材質は「ケヤキ」が用いられています。

 そのケヤキ板に傷が有った為に 大工は知恵を絞ったのでしょう。

      これは「瓢箪(ヒョウタン)」形の埋め木です。 

大工の腕前と同時に 道具の素晴らしさを実感する事が出来ます。

 

同じく、非常に判別しにくいのですが 蝙蝠(コウモリ)形の埋め木を紹介します。

        判別できますでしょうか?

ケヤキの硬木に 見事な埋め木です。

瓢箪の埋め木と異なり、表面が式台と同じ面に仕上ています。

       (つまり、沈めていません)

これは 瓢箪の埋め木以上に 「逃げが利かない」為、大工の技量が

そのまま現れています。

 

表面が式台と同面(ドウズラ)仕上げになっているために、一見しただけでは

埋め木に気付く事はありません。

仮に気付いたとしても 大工の技量の見事さに目を奪われてしまい、

式台の「傷隠しの埋め木」に 気付く人は少ないでしょう。

 

4,さいごに

 この程度の技量を持った大工職人達が江戸時代後期には 日本全国に大量にいたのです。日本の木造大工の技量が最高潮に達したのは 明治~大正期だと云われています。

それは、一人前の大工が持っていた道具の種類が最も多かった事から その様に云われているのです。

この意見には否定される方も居られますが 大量の道具を入手出来始めた時期が 明治期後半から 関東大震災前後であった事は事実です。

 

皆さんのお近くにある古民家や神社・仏閣に行かれ際には こんな点に注目して

見てみると思わぬ発見があるかもしれませんよ。

                             

    次回も「埋め木 その2」をお送りいたします。