~何故、現代日本では大規模木造建築が建てられなくなったのか?~

 

1、はじめに

 現在の我々は素人であれ、建築のプロであれ、何故古代から近世まで連綿といてきた大規模木造建築を普通に建てられなくなってしまったのだろうか?

      そんな素朴な疑問を持たれた事が有るのでは無いでしょうか?

 

勿論、国内にも外国にも森林資源 特に大口径の木材が枯渇しつつある現状は理解していますが、本当にそれだけなのでしょうか?

 

大口径の木材が揃わないと云われれば成る程その通りです。

しかし、香川県三豊市指定有形文化財である本山寺木造五重塔(現在平成大修理中)

では 芯柱が数本の継ぎ柱になっています。 又、樹種は槇(マキ)と云われています。

 

同じく国宝・薬師寺東塔の芯柱も中央で継いでいます。

 

つまり工夫次第で方法はあるのかもしれないし、樹種も(ヒノキ)に拘る必要は無いのでは?材料の入手困難だけが主原因ではないように思われます。

 

2,日本建築界の大御所達による「雰囲気に流された決議」とその影響

 a,過去の日本建築学会の動きを振りかえって見ると、そんな事情の一端が垣間見えて

    きます。   ・・可也の無理を承知で要点だけ掻い摘んで以下に紹介します・・

 

【以下は東京大学名誉教授内田祥哉(ヨシチカ)氏の論文「戦後の大工仕事」抜粋による】

 

■  昭和34 年(1959 9月に「伊勢湾台風が本州を縦断、甚大な風水害を受けた

 事が引き金となり、科学技術庁は専門研究者を集めて対策委員会を設置しました。

 

これを受けて、日本建築学会は日本学術会議に意見書を提出する事になります。

その意見書には火災・風水害のために木造禁止という項目が盛り込まれ、

それを含めた九項目が一括して開催中の建築学会近畿大会の緊急集会に提出され、

あろう事かこれが出席者500名による満場一致で可決されたのです。

 

19591025日 日本建築学会ではこの決議をうけ、直ちに学術会議会長を

始め行政研究機関に「檄(ゲキ)」を発するのです。爾来、この安易な決定が日本古来の

木構造の世界に長い足枷を嵌める事になったのです。

 

実は、それまで【戦前の市街地建築物法の条文「社寺建築ニシテ行政庁官ノ許可ヲ

受ケタルモノニ付キ、之ヲ適用セズ」】という項目の適時運用」で対応していたの

ですが 以後、日本の建築界に「大規模な社寺建築は基準法上市街地には建てられ

ない」という現実として一般に周知されて現在に至っているのです。

 

b,そんな中、「画期的な木造の塔」が建立されました。

   それは富山県の「氷見の五重塔(注-1)」です。

 

この工事は現代の日本建築界に於いて「はじめて正式に確認申請を通して建てられた画期的な大規模木造建築」となったのです。

 

3,その後の現実的な対応として

 日本の建築行政に風穴を開けた「氷見の塔」は日本の木造建築に取ってモニュメントとも云える「画期的な建築」となりました。

しかし、現実問題として確認申請を正規に提出し、建築主事達を納得させるためには 

想像を遙かに超える膨大なエネルギーと日数を要します。

そうであれば、今まで通りに建築主事の裁量に頼った「許される範囲内の法解釈」で事を済ませている方が現実的なのです。

 

例えば 奈良県の平城宮跡の整備事業では朱雀門(1999年)の復元に際し、「規定の高さを超える部分を「ペントハウスとみなす」と云った法の解釈、或いは 人が住まない建物であるから「工作物」として届け出る等々、許認可の判断基準や法解釈は紆余曲折を経ていまだに続いているのです。  

             まるで知恵比べの様相を呈しながら・・・・

そこには 時として強力な政治力がそこに介在した事もあったのかもしれません。

 

例えば、住民の強い要望として・・・・・或いは住民の代弁者として 大物政治家達 

が関わった事も在ったかもしれませんネ。    人気取りとして・・・・

 

  要するに、法の運用には そんな匙(さじ)加減も実際には必要なのでしょう。

 

4,さいごに 二つの事柄を記して筆を置きます。

・一つ目は、戦後7080年を経て漸く日本の木造建築、特に大規模建築に新たな光が

 差しつつある事です。

 近年の木材加工技術の急速な進歩により、大断面に加工された集成木材を作る事が

 可能となったのですから・・・それも、狙った部材特性(例えば ヤング係数値等々)を

 確保した材料の製造も一般的な技術になりつつあります。

 

そして、最大の欠点であった燃えにくい木材の登場も画期的な技術開発の一端だと思います。勿論、新たな法整備も含めて・・・。

 

また、技術論になって恐縮ですが「燃え代」と云った考え方の登場は 画期的な解釈だと思っています。

 

・二つ目は、昭和32年の日本建築学会近畿大会の緊急集会で火災・風水害のために木造禁止」決議が正式に満場一致で可決された事について 多くの知識人やその場にいた多くの日本建築学会の会員であった諸先生方が 「我関せず!!」 「あれは 自分の

知らない処で決まった事!」 と云った  無責任な態度をとり続け、

やがて、「これらの決議がなされた事実さえ忘れられている事の恐ろしさ」を 

我々、現代の建築に携わる皆さんには知っておいて欲しいのです。

 

上記の当事者達は ヒョッとしたら我々の恩師やその又先生達だったのですから、その時に安易な態度をとった罪は大きいと思います。

 

      読者の皆様はどのようにお感じになられたでしょうか? 

 

     ★平成2698日発表原稿の一部を抜粋加筆したものです★   

                                 2017.1.14 児玉博文

 

     -1:「氷見の五重塔」    高さ21.5m 堂々とした木造の塔

撮影:児玉博文

民間の個人が家族の供養塔として建立に挑んだ 現代の純木造五重塔  

建立にさいしての最大の難関は 「如何にして建築基準法をクリアーするか?」に係っていたのです。

結論から云うと、専門家で構成された「木造伝統構法五重塔の構造安全性の検討・建築学会」チームによる構造検討を経て、漸く着工に至る事が出来たのです。

 

端的に云うと「日本で最初に建築確認申請をクリアーした純木造五重塔」が2002(平成12)年に富山県氷見市の個人住宅のお庭に完成したのです。