こんばんは

 

 

 

ヒロです。

 

 

    

初めましての方へプロフィールです

 

 

 

 

本日

 

月に一度のグループコンサルの日でした。

 

 

 

朝起きたら喉が痛くて

 

熱もあって

 

鼻水が止まらず

 

完全に風邪をひきました。

 

鼻をズルズルさせながらの参加となりました。

 

 

 




 

いつもならいらんこと考える意識が

 

今日は働かなくて

 

ただただみなさんのお話を聞いていました。

 

 

 

私は改めて「質問」ってしようと思うと

 

いつもなぜかうまく伝えることができません。

 

「自分がどうゆうことがわからなくて

 

それについて何を聞きたいのか」が

 

よくわからないからです。

 

 

 

「私はこう思っています」の

 

シェアならできるのですが

 

いつもモゾモゾしてしまい上手く言えませんでした。

 

とっても不思議に思っていました。

 

 

 

 

ところが

 

きゃー

 

聞いてください。

 

 

 

 

今日その謎が

 

ぐるぐるに絡まっていた糸が

 

延々に答えなどないと思われたパズルが

 

 

 

 

あー、もう

 

なんでもいいのですが

 

紐解かれました。 ふーっ。

 

 

 

「はいはい、いつもの

 

わかりました!ていいながら

 

全然わかってないやつね」と

 

思ったそこのあなた。

 

 

 

 

そうかもしれないけど

 

そうじゃないかもしれないので

 

続きを読んでください。

 

 

 

わたしが私の質問を

 

「なんかちょっと違うよなぁ」と

 

思いながらしていたのは

 

「これはこう言うことですか?」と

 

正しいか間違いかを確認するための

 

質問だったからだとわかりました。

 

 

 

どう言うことかというと

 

私がしていたのは

 

「私の言っていることが

 

合っているよと承認してください。」

 

そんなスタンスで質問をしようとしていたのです。

 

 

 

 

例えるなら

 

「牛は哺乳類だと思うのですが合っていますか?」

 

みたいな感じです。

 

 

 

私の質問は一見質問のようで

 

実は質問ではなく

 

合ってますよと承認してください!

 

言ってるようなものでした。

 

 

 

 

どうしてそんなことが起こっていたのかも

 

今日紐解かれました。

 

 

 

それは

 

「私は常にどこか欠けている」

 

その思いをめちゃくちゃ持っていて

 

その欠けたところを周りの人に埋めて欲しくて

 

いわゆるクレクレ星人になっていたのです。

 

承認欲求とはわからないように(バレてたと思うけど)

 

「承認してしてよ」と

 

必死で欠けた部分を埋めようとしていたのです。

 

 

 

 

OMG!OMG!です。涙

 

 

 

 

(昨日から多いな)

 

 

 

そしてそして

 

その

 

欠けている

 

と言う考えが

 

どこからやってきたのか?

 

 

 

それは

 

母親を早くに亡くした私は

 

「母親の愛を十分に受け取れていない」

 

そんな大いなる勘違いを

 

大切に大切に持ちつづけていたのです。

 

 

 

 

なんやそれっ!ですよね。

 

 

 

 

 

 

小さな頃から

 

弟や従姉妹の面倒を見るのが好きで

 

当たり前にやってきました。

 

 

 

自分もまだ子供なのに

 

赤ちゃんが大好きで

 

おむつを変えたり

 

ミルクをあげたり

 

お世話が大好きでした。

 

 

 

大人になった今も

 

誰かをお世話することは

 

大好きです。

 

 

 

人のお役に立てたと思うと

 

いい気分になれます。

 

 

 

ただ

 

最近

 

自分でも気づかないうちに

 

自分のことを犠牲にしてまで

 

やっていたことに

 

気づき始めました。

 

 

 

 

 

そのことに気づいてからは

 

犠牲を手放し

 

心から喜んでもらえて

 

嬉しいなぁの気持ちで

 

お世話をしているつもりでいました。

 

 

 

 

 

でもこれも

 

私の本心ではなかったことが

 

今日わかってしまいました。

 

 

 

何回トラップを仕掛けているのでしょうか。。。

 

 

 

 

 

いいですか?

 

いいますよ。

 

 

 

 

14歳までしかもらえてないと勘違いしていた

 

母親の愛=感謝を

 

 

 

誰かのお世話をすることで

 

代わりに

 

もらいに行っておりました。

 

 

 

 

OMG! OMG! OMG!

 

 

 

はーっ

 

めっちゃ隠してたよね。

 

 

 

見つからないわけだわ。

 

 

 

弟や従姉妹のお世話をするわたしは

 

それが当たり前になり

 

「いつも面倒見てくれてありがとう」と

 

言ってもらってなかったことに

 

ようやく気がつきました。

 

 

 

もしかしたら

 

言ってもらっていたのに

 

聞いていなかったのかもしれません。

 

 

 

今思えば

 

とっても助かっていたと思います。

 

母親のわたしに対する感謝の気持ちが

 

なかったわけではないと思いました。

 

 

 

 

「言って欲しかったんやね

 

わたし」

 

愛おしいなぁ。

 

 

 

 

 

 

私はこの世に生まれた時から

 

いや

 

母親のお腹の中にいる時から

 

十分すぎるほどの愛を受け取って

 

 

 

母が亡くなった後も

 

変わらずずっとずっと愛を受け取り続けていたことが

 

わかりました。

 

 

 

それは直接的なものではなかったかもしれません。

 

父親からの愛や叔母たちからの愛に変わり

 

目に見えない大きな大きな母親からの愛を

 

今日まで

 

たくさん受け取り続けていたんだと思いました。

 

 

 

 

今日のグループコンサルで

 

そこに気づかせていただきました。

 

 

 

 

 

 

とにかく

 

今日は

 

勝手に無いと思い込んでいた

 

大いなる勘違いの果てには

 

受け取り損なっていた母親の大きな愛があったことに

 

気づくことができました。

 

 

 

 

こんなこと

 

知らなくても

 

きっと普通に生きていけたのかもしれません。

 

でも

 

心のことを学び出したわたしは

 

死ぬまでに気づけてとっても幸せだと

 

感動しております。

 

 

 

 

鳥居ミコさん

 

そして

 

今日の流れを作ってくださった

 

TKGの仲間の皆さんに

 

感謝でいっぱいです。

 

ありがとうございました。

 

 

 

今日も最後まで読んでいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

image

(phot by  秋月雅)

 

 

 

トリニティ数秘術認定カウンセラー

大石ヒロ子

 

 

 

追伸

 

承認欲求まみれのわ自分に気づいてしまったので

 

これからは与える人になりたいと心に誓いました。

 

だから

 

ブログへの感想とか

 

何か言いたいこととか

 

最後に「くれくれ」を言わせてください。

 

この後に及んでまだ愛を確かめたいわたしがおります。笑

 

 

 

コメントや直接のメッセージなどなど

 

どしどしお待ちしています。

 

よろしくお願いします。

 

 

 

追追伸

 

もし

 

 

お母様へのモヤモヤなんかをお持ちの皆さま

 

「ほっといてくれ」案件ですが

 

直接言える方は

 

お母さまが生きていてくださってる

 

 

すぐ

 

ぜひぜひ素直にお気持ちを伝えてみてください。

 

わたしにはもうできないことなので羨ましいです。

 

言ってみて

 

どうだったかもぜひ教えてください。

 

わたしのように亡くなっている方はお手紙を書くことを

 

お勧めします。わたしも書いてとってもよかったです。