一定量の知識は世代から世代へ伝えていかなければならない。当然だ。だが少なければ少ないほどいい。

子供たちに自分で発見させなさい。いいかね。知識は失われる。智恵は決して忘れない。
《ニール・ドナルド・ウォルシュ 神との対話2ー第9章より》


この9章の中にシュタイナーについて書かれていたのでなんとなく気になり、その教育法について勉強してみました。

衝撃的…目から鱗。

「今まで私が受けて来た教育ってなんだったのだろう。」
皮肉なことにシュタイナー教育を私が受けていたなら私の人生はもっと本当の自分を表現した充実したものに違いありません。
魂の開放と自由があり、少なからず今の瞬間まで楽しむことが出来る生き方があったとこの歳になって気付きました。

『数字が美しいものとはだれも教えてくれなかった』シュタイナー学園のHPから目に飛び込んできた最初のこの言葉に学習障害《LD》である私の目からはウロコ、その目から涙が溢れて止まらなかったのです。


ワンストロークペイントの運命的な出会いから20年を過ぎ、今描くグラデーションからは更にサグラダファミリアの設計者ガウディの哲学からも調和、一体感、愛、平和のエネルギーとして感じるものがあり、シュタイナーの色彩論.色彩学からも色と宇宙的繋がりが理解できます。

この歳になってからではありますが…


調和されたグラデーションから外的な美しさだけではなく、何を思うのか、どう捉えるべきか、内的なものや哲学的な表現へと導かれていき、

今ではひとつであるという本来の人間のあり方から現在の分裂した世界の結果までに、すべては繋がってきました。


この流れのなか、今日はシュタイナーの教育論を意識しながらワンストロークペイントの授業を行いました。

カリキュラムの作品は木製のプレースマット2枚。

描く内容は『バラとプラム』


1枚目

前半はテキストの通り、見本通りに全ての生徒に教えるのではなく、知識として基本の技法、デザインをしっかり教え、1枚目のプレースマットに描いてもらいました。


   生徒さん作《1枚目カリキュラムデザイン》

       


2枚目

後半は「今回のカリキュラムに必要なことは全て伝えました」「後は教えた基本的技術や基本的デザインを描いたことで自分はどう感じるのか、そこからどのような次の作品を描きたいのかをイメージしてラフ画にしていきましょう」と伝え、次回はそのデザインを2枚目に描いてもらいます。

《2枚目はまだこれからの為、現時点では作品はないです》


ワンストロークペイントはフリーハンド技法。

人によっては極度な緊張感から手が震える、ストロークにぎこちなさが伝わる作品になります。

手の動き、筆の動き、ストロークから伝わる人それぞれの波動を感じながらその生徒さんにあった内面的方向からの指導を行うように心掛けています。


「頭では理解していても手が思うように動かない」と生徒さんは言われます。

知識を教えただけでは理屈は解っているが、自分の中で納得して描いてないのでその時上手く描けたようでもすぐに忘れてしまいます。

なかなか上手くいかないと思いながらでも、練習するうち、「解った!」とハッと気づき、今までになく筆がスムーズに楽しく動く自分に気付く時が必ず来ます。

それが知識ではなく、自分の内側に入りながら理解する智恵に当てはまると私は考えています。


今までは私も全てテキスト通りガチガチに指導してきましたが、最近は出来るだけ生徒さんには基礎を教えた後、どういう風に描きたいのか、自分が考える色の雰囲気はどうしたいのかをイメージしてもらい、デザインする機会を増やしています。


描けば描くほど、スムーズに手が動き、自信が付き心の開放感からの表現ができるようになっていく。

同じテーマだとしてもそれぞれイメージ、色使い、流れも違う。なんとなく描いた人の人柄、雰囲気がみて取れる、反対の視点からも描いた作品を見て誰が描いたのかわかるくらい奥深い。

つまりワンストロークペイントは自分の映し出す鏡なのです。

そこから自分がどう受け止めて、考えていくのか。


     森永博子作《本来の自分は何を思い出したいのか》


更に本当の自分とは、本来の目的とは。

神との対話、シュタイナー教育論、ガウディから観た色の哲学からの受け取れる人類へのメッセージをヒントにワンストロークペイントの授業を通して、今後も生徒さんを尊重し、それぞれにとって心地よい作品が出来上がるよう、気持ちに寄り添った指導をしながら伝えていきます。


すべての調和と平和を祈りながら。