決して穏やかではない私の父(82)です。タイトルに寄せて言うなら、全てにおいて激烈で、瞬発力抜群です。人の思惑など意に介さずなので、人前で感情(大抵は怒り)をあらわにするのは平気。いつでも臨戦態勢。よせばいいのに挑発にのる。その割に小心で、威を貸してくれる虎を切望しているようなところもありました。常識や流行に左右されてたまるかとの思いも、そばにいる者には伝わってきました。説明は、するのも聞くのも苦手なため、病院や役所が大嫌い。仕事は体で覚えたようです。


今回は私が目のあたりにした、そんな父の善行を書いてみようと思います。


私は20〜30代は、一人暮らしをしたり実家に戻ったりを数年単位で繰り返していて、実家に戻っていた時は、いい大人でしたが両親と時々スーパーへ買い出しに行ったりしていました。その時のことです。スーパーの中では大人3人でべったり歩くわけはなく、つかず離れずといった具合にそれぞれ歩いていたのですが、ふと少し離れた所にいる父を見つけました。何やってるのかな?と近寄らずに見ていたら、赤ちゃんを抱っこした(抱っこ紐で)お母さんが押していたカートの車輪が、ショーケースの下の凹み部分に挟まってしまったのを、父がいろいろ動かしながら取り外してあげていました。そして、お礼を言われていました。これが、善行①です。


善行②は、私が一人暮らしをしていた時期ですが、両親と3人で奥多摩方面に何か(忘れてしまいました)を見に行った帰りのことです。山の中の、カーブが延々と続く道を車で走っていたら、大きな岩の前に駐まっている車と、それを取り囲むようにオロオロした様子の60〜70代の女性が3人立っていました。それを見た父、少し通り過ぎた所に、(母と私も乗っている)車を駐めて、走って事情を聞きに行きました。3人の女性は友人同士で、その内の一人が運転していて、その大きな岩にぶつかってしまい(幸いケガ人はなし)、その時はJAF(警察だったかな?)が来るのを待っているところだそうでした。そうこうしているうちに父がいる時にJAF(警察?)の人が来て(その間、母と私は車で待機)、車(少しへこんでいたかも)はJAF(警察?)が引き取ることになり、女性たち自身は帰っていいということになりました。でも駅まで歩ける距離じゃないしどうしようかとなり、父が、「じゃあ、自分の車で奥多摩駅まで送りましょう」と言って、女性たちを奥多摩駅まで送ることになりました。3人おられたので、母と私もいて一度に全員乗れず、2往復(正確には1.5往復)しました。一度目は、女性①、母、私。駅についたら、その3人が降りて、父が再び現場へ。そして女性②、女性③を乗せて、再び駅へ。そして、女性たち3人は合流でき、父にお礼を言って、電車で帰っていきました。その時に父が住所を聞かれていたようで、後日、父へのお礼の品を持って、女性たちが実家にみえたそうです。


父に対しては、さまざまな感情を抱いてきましたが、この2つの善行のことを思い出す時、この父の子で良かったと思うのです。