社内報にこんな事を書きました↓

 

「長く働くということの意味」

 

会社に長く在籍すること、勤続年数が長いこと。

それ自体が評価に値するものだとは、私は考えていません。

 

長くいるのであれば、その時間に見合った成長と結果が求められるべきです。

上を目指さない、変わろうとしない、現状に甘んじているだけであれば、それは評価されるものではありません。

 

私自身、会社員時代はそう考えてきましたし、同じポジション・同じ仕事をただ続けているだけの人に対して、厳しい見方をしていたのも事実です。

 

ただ、今はもう一つの側面も理解するようになりました。

 

どのような仕事であっても、毎日やり続けるということは簡単ではありません。

特に、誰もが注目するわけでもない仕事を、変わらず継続していることには、大きな価値があります。

 

しかし、ここで勘違いしてほしくないのは、

「何も考えずに同じことを繰り返すこと」と「仕事を続けていること」は全く別物だということです。

 

単純に見える仕事の中でも、

昨日より今日を、今日より明日を、より良くするために何ができるのかを考え続ける。

効率を上げる、無駄を減らす、品質を上げる。

そうした意識を持ち続けているかどうかが、その人の価値を決めます。

 

ここでもう一つ、全員に考えてほしいことがあります。

 

オフィススタッフが現場の作業を見て「単純で誰にでもできる」と考えるのは間違いです。

同じように、現場の人たちがオフィスの仕事を見て「座って資料を作るだけで楽だ」と感じるのも間違いです。

 

自分が経験したことのない仕事を正しく理解することはできません。

だからこそ、他者の仕事に対する敬意と、自分の仕事に対する誇りは、同じくらい大切なものです。

 

互いの仕事を軽く見るのではなく、

「それぞれが役割を果たしているから会社が成り立っている」という認識を持つことが必要です。

 

ただ長くいるだけの人と、考えながら長く働いている人は全く違います。

そして後者のような人たちが、目立たないところで会社を支えています。

 

私は、そういう人たちこそが本当の意味で評価されるべきだと考えています。

 

これからは、単に長く勤めているという事実ではなく、

その時間の中で何を積み重ねてきたのか、どれだけ仕事を良くしてきたのかを、より厳しく見ていきます。

 

一人ひとりが、「昨日より今日を良くする」という意識を持ち、

そしてお互いの仕事を尊重し合える組織になれば、

この会社は間違いなく他に負けない、無敵の組織になります。

タイトルの通りのことで悩んでいます。

 

10年前であれば、ここまで真剣に悩むことではなかったように思います。

しかし最近、この問題がどうしても気になるようになりました。

きっかけは、タイ人社員たちの声が、これまで以上にストレートに私のところへ届くようになったことです。

 

ある日、こんなことを言われました。

 

「社長、タイで働くのにタイ語が話せない。だから通訳が必要。

運転もできないから社有車を用意してほしい。

病院に一人で行っても説明ができないから医療通訳をつけてほしい。

しかも病院が指定されない任意の医療保険にも加入してほしい。

私たちには必要のないコストを、ここまでかけて日本人を採用する必要はあるんですか?

一体、何ができる人たちなんですか?

正直、あまり成果も見えていませんけど……」

 

かなりストレートですよね。

でも、言っていることは間違っていない。

私も「その通りだな」と思ってしまいました。

 

さらに言えば、客先における駐在員の役割も変わってきています。

 

一昔前のように

「日本人同士で話をまとめなければ前に進まない」

という時代ではなくなってきました。

本当に「何のために必要なんですか?」

と聞かれると、はっきりとした答えを即座に返せない自分がいます。

 

「アメリカで働こうとする人が、英語を話せないということがありますか?

車を会社に用意してもらう前提で来ますか?

タイに来る日本人(しかも現地直接雇用)がそれでいいんですか?」

 

そうも言われました。

 

……はい、確かに。

 

人材紹介会社の中でも、

こうした点についての考え方や、

候補者に説明する“期待できる待遇”の内容は、

時代とともに変わってきているのでしょうか。

 

正直、まだ私は明確な答えを持てていません。

もし仮に、その人が「タイ人にもできることしかできない」とするならば、

国籍が何であれ、その人材は必要ないのかもしれません。

逆に言えば、

国籍を超えて“その人でなければならない理由”を示せる人材でなければ、

これからの時代は存在価値を問われ続けるのだと思います。

 

そしてそれは、日本人だけでなく、

タイ人にも、私自身にも、同じことが言えるのかもしれません。

 

「仕事ができない人」が口にすること

 

近年、世の中ではこうした言葉をよく耳にします。

 

「フリーランスになろう」
「副業を始めよう」
「会社をうまく利用して、自分のスキルアップを図ろう」

 

「会社に使われるな、会社を使え」と勧めるインフルエンサーも少なくありません。

 

しかし、皮肉なことに、こうした言葉を最も口にするのは、たいてい仕事ができない人です。

 

私はむしろ、『会社にうまく使われること』を意識した方が、成長のスピードは格段に早いと考えています。

どこまで行っても、「組織があってこその個人」だからです。

 

どんなに優秀な人であっても、会社員である限り、外の世界からは「A社の○○さん」と、所属組織とセットで認識されます。

純粋に「個の力」だけで生き抜ける人は、ほんの一握りです。

 

ほとんどの人は、「自分が属する組織やコミュニティにどれだけ貢献できているか」によって評価され、対価を得ています。

独立して社会から評価を得る仕組みも、組織の中で上司から評価を得る仕組みも、本質的には変わりません。

 

会社で評価されない人が、社会で評価されることはまずありません。

むしろ、会社という枠を離れて自力で社会から評価を得ようとする方が、はるかに難易度が高いのです。

 

独立して一人でやっていくというのは、

市場からの評価をダイレクトに受ける立場になるということです。

それは、より大きな「社会」というコミュニティに直接認められる存在になるということであり、極めて高度なことです。

 

したがって、会社員であれ経営者であれ、

「社会の一員として成果を上げる」という点では何も変わりません。

つまり、「個」と「組織」は本来分けられるものではなく、存在するのは**『組織の中の個人』『組織あっての個人』**だけなのです。

 

そして、組織の中で通用する人こそ、独立しても成功できる人です。

この順番を誤ることは、成長の本質を見誤ることにほかなりません。

 


 

「マンモスを山分けする」という本質

 

そもそも、人間が「集団」をつくる理由は何でしょうか。

それは、集団で行動する方が、より大きな成果を得られるからです。

 

いつの間にか「終身雇用」や「年功序列」といった制度が、組織のメリットとして語られるようになりましたが、

それらはあくまで副次的な要素にすぎません。

本来の組織の価値とは、「安全な雇用」ではなく、個人では成し得ない大きな成果を生み出すことにあります。

 

人が集団をつくるのは、より大きなものを動かし、より大きな利益を得るためです。

 

遥か昔、人類は単独では狩れなかったマンモスを、集団で協力することで仕留め、その肉を分け合いました。

一人ひとりが小動物を狩っていた頃よりも、集団で行動することで、より多くの利益を手にできるようになったのです。

 

集団で大きな獲物を狩り、得た利益を分配する。

これが組織の原型です。

一人で動くよりも、集団として動く方が結果的に個々の利益も大きくなる。

 

メンバーが適切に役割を果たせば、利益は最大化します。

そのための手段こそが「集団で動く」ということなのです。

 

大企業ほど給与水準が高いのも、この構造に由来します。

大きな獲物を狩るからこそ、個人の取り分も大きくなる。

それが組織と個人の正しい順序であり、自然の理(ことわり)なのです。

 


日々、社員にこんな話をし続けていますが、 なかなか難しいですね・・・(笑)