晴れた日に、

桜島と錦江湾を一望できる“隠れた名所”がある太陽

 

 それは、

鹿児島県姶良市加治木町の「黒川岬(くろかわみさき)展望公園」。

 

 私の暮らす鹿児島市からは、

車で、国道10号線を霧島市 隼人(はやと)・国分(こくぶ)方面へ向かう車DASH!

 

 つづいて、

加治木町の日木山(ひきやま)信号を右折。

 

 そのまま、

日木山川に沿って進めば、500メートルぐらいで公園に行く事ができるOK

 

 

 

 
 

 公園から、

日木山川を渡った対岸が、正確な黒川岬だ。

 

 

 

 

 黒川岬には、

ミステリアスな和の雰囲気が漂う気づき

 

 

 

 1549年(天文18年)

日木山川を挟んで、三州(薩摩・大隅・日向)統一を目指す島津氏と大隅国の肝付氏が、激しく戦った。

 

 この戦いは、

「黒川崎合戦」といわれている爆弾

 

 

 

 江戸時代、

初代薩摩藩主・島津 家久(いえひさ)は、黒川岬からの光景を

『浪のおり かくる錦は 磯山の 梢にさらす 花の色かな』

と詠んだ。

 

 
 

 それ以降、

家久の和歌が由来となり、鹿児島湾域を指して“錦江湾”という言葉が、使われるようになった。

 

 大正時代には、

新聞や教科書に、鹿児島湾と錦江湾が併記された📰

 

 1955年(昭和30年)、

厚生省が、鹿児島湾を錦江湾国定公園(現:霧島錦江湾国立公園)に指定グッ

 

 今では、

ごく普通に、錦江湾と呼んでいる。

 

 

 

 

 加治木自体が、錦江の里といわれる。

 

 この地域を

詠んだ歌人は、大勢いるだろう!?

 

 その中の一人が、

与謝野 鉄幹(てっかん)!!

 

 鉄幹の父・礼厳(れいごん)は、浄土真宗本願寺派の僧侶であった。

 

 1881年(明治14年)・鉄幹が9歳の時、

礼厳は、加治木町の性應寺(しょうおうじ)に赴任。

 

 鉄幹は、

約1年間この寺で、少年期を過ごす。

 

 加治木を去る際、

近くの山から、タブの木を寺に移植した🌱

 

 そして40数年後、

鉄幹は、妻・晶子(あきこ)と2人で、性應寺を訪れた。

 

 タブの木は、

現存し、傍の石碑に「明治十五年 與謝野鐵幹手植えのたぶの木」と記されている🖌️

 

 

 

 

 

 幼木を植えた 

記憶しかない鉄幹の目には、巨樹に映ったのかもしれない👀キラキラ

 

  タブの木と再会した喜びを

『老の身の 相見て嬉し をさなくて 加治木の寺に 植ゑしたぶの木』 

 

『見上げつつ 夢かとぞ思ふ をさなくて 加治木の寺に 植ゑしたぶのき』

と詠んでいる。

 

 また、晶子は、

『加治木なる 五つの峰の 波形の 女めくこそ あはれなりけり』

という歌を残した。

 

 夫妻の歌碑が、寺の一角に建てられている。

 

 

 

 

 

 「黒川岬展望公園」は、

2019年(令和元年)に、新しく整備された。

 

 まだ、

知らない人が、意外と多いのでは……??

 

 そういう私も、

ここに、足を運んだのは『今回が、初めてだ』。

 

 

 

 折り悪く、

遠くの景色が、かすんで見えるブー

 

 それでも、

展望台の先には、壮大なパノラマが広がるルンルン

 

 『藍色の海に浮かぶ、青っぽい桜島が・イイ感じだ爆  笑

 

 

 

 この公園は、

今後、絶景スポットとして、人気が急上昇するだろうニコニコ

 

 

 最後まで、お読みいただき乙女のトキメキありがとうございますお願い飛び出すハート

 

 

 

 

 

それでは、またニコニコバイバイ