軍事的勝利をたたえて、

軍人が、凱旋(がいせん)式を行う記念のために作られた「凱旋門」花火

 

 発祥は、古代ローマ。

 

 世界的には、

フランスの「エトワール凱旋門」が有名だフランス

 

 日本でも

日露戦争後に、多くの凱旋門が建てられたらしい。

 

 だが、

現存するのは、わずか2基。

 

 1つは、

静岡県浜松市のレンガ造りの凱旋門。

 

 
 

 もう1基が、

鹿児島県姶良市山田地区に、建造された「山田の凱旋門」だ。

 

 

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山田の凱旋門

(高さ4.7m・幅4.9m・門柱との間2.7m)

 

 

 1904~1905年(明治37・38年)、

当時の山田村から、日露戦争に従軍したのは113人。

 

「山田の凱旋門」は、

1906年(明治39年)3月、従軍者の無事帰還を記念して、山田村兵事会が建設した。

 

 上部は、アーチ型に組まれ

中央に縦60㎝・横121㎝の石板が、はめ込まれている。

 

 

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 両側の門柱に、

力強い見事な楷書体で、刻まれている文字は

(左)「明治三十九年建設 山田村兵事会」

 

 

(右)「明治丗七八年 日露戦争役紀念」

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 この門は、

アーチ式石橋の技術を応用して、建築された日本で唯一の石造り凱旋門だびっくりマーク

 

 凱旋門を通り抜けると

案山子(かかし)が、出迎えてくれる??

 

 

 

 はす向かいでは、

『カッパの家族が、遊んでいる』爆  笑

 

 
 

 山田地区では、

毎年、秋に「山田の里かかし祭り」が開催される

 

 その時に、活躍した案山子だろう祭

 

 私は、敷地奥の石段を登った足

 

 

 

 登り着いたと思ったが、

『中間点か? 踊り場だ』えー

 

 踊り場の両サイドには、

日露戦争で使用された、砲弾が置かれている爆弾

 

 

 

 

 振り向くと、凱旋門の後ろ姿が見える気づき

 

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 踊り場の先からは、

さらに、きつい勾配の階段が続くガーン

 

 『この上に、展望台があるのかな』キョロキョロ

 

 『とりあえず、進んでみよう』爆  笑アセアセ

 

 

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 上り切った所には、「山田郷招魂社」が築かれていたニコニコ

 

 西南の役、

日清・日露・大東亜戦争(太平洋戦争)の眠れる勇士1200柱が祀られている。

 

 

 

 
 

 この高台からは、

草木が邪魔で、凱旋門が見えないブー

 

 しかし、

山田地区の風景と、桜島を望むことができるキラキラ

 

 
 
 私は、詰めが甘く
ここぞという機会で、つい失敗してしまう笑い泣き
 
 それでも、
再び凱旋門の下を歩き、駐車場へ向かったあしあと
 

 「山田の凱旋門」は、

パリに比べれば規模が小さく、知名度もそんなに高くないショボーン

 

 けれど、

近代史の重みを感じさせるスポットであったニコニコ

 

 

 最後まで、お読みいただき乙女のトキメキありがとうございますお願い飛び出すハート

 

山田地区の案山子

 

 

それでは、またニコニコバイバイ