どうも
ヒロコスモ
です
ただなんとなく
季節が来たので冷やし中華 みたく
半世紀綴り![]()
今日もやってまいりました
さてー
ちゃぶ台返しの 頑固オヤジ
との
トラウマ編
の昨日から
今日は
父との運動会編
を書いてみよ
私が通った小学校は
家から程近く
当時の歩幅で 歩いて20分程
結構近い なのに...
トロ子
(何するにもトロイ私に父がつけたあだ名)
の私は
トロトロ歩いて通っており
当時はそれなりな距離に感じました
小学生のある日
明日は運動会
父
おい 明日 運動会だからよ
朝 場所取りに行くぞ!
トロ子
え 。。。
(この時点で かなり せっかちな父を
知っている私は 既に嫌な予感。。。)
いつも 父は 約束の時間があると
かなり前に家を出るので
家族は合わせるのが 大変
父
朝 母ちゃんが弁当作る間に
2人で行くぞ!!!(強め)
トロ子
え。。。何時に?
父
4:30位だな
トロ子







え
なーんでーーーーーっ
父
何でってなんだよ!
早い方が良いに
決まってんだろー!(強)
運動会始まる時間から
遡りすぎやん
いくらなんでも
そんな時間に起こされる子供
絶対 私だけやろ
そう思いながら翌朝
案の定起こされ
父と家を出るも
外は真っ暗。。。
だから早いでしょー
父と一緒に歩いて小学校へ着くと
校門は当然閉まっている
父はささっとよじ登って超えて行った
え???
嘘やろ???
こんな身体ぽっちゃりなのに
こんな軽快に行けんの???
そういや父は田舎でヤンチャ坊主
何でもそこら辺の悪事は
自分のせいにされていたそう
そりゃまあ仕方ないけど
木登りや 塀登りも 相当やってただろう
そこでちょっと面食らった私
私も慌ててよじ登ってついて行って
校庭に行くと何枚かだけ
シートが置いてあった
得意気である。。。
うんそーだね
私達は ビニールシートをひき
歩いて家に帰った
何故この時間
まだ暗いし
まだ少しそんな事を思っていた私に
父が言って来た
父は リレーの選手に出る私が
バッチリ見える所に
シートを置きたかったのだ
そーなんだ
うん わかる
嬉しい気もするし
ハートフルではある
そうだとしても
眠いよね。。。
それは黙っておいた
帰ってから少し横になっていたけど
眠いまま登校の時間
運動会が始まる
ほら
やっぱり
眠いのねん
運動会といえばお弁当🍱

私は
お弁当の時間の事で頭がいっぱい
お弁当が早く食べたくて
気になってしょうがない🍱
やっとお弁当の時間
母のお弁当は
3人家族なのに
めっちゃ大きくて
お重にいっぱい色々入ってた
色んなおにぎりと
唐揚げと卵焼きと
何ちゃらかんちゃら
家の卵焼きは甘くなくて
甘くない卵焼きが大好きだった
余裕ある家庭でもなく
母も贅沢でなく
共働きで
父も母も
朝早くから仕事へ出かけ
母は毎日真っ暗なうちに
自転車で出かけて行った
それでも
食事やお弁当は
美味しく楽しくしようと
してくれたんだろうと思う
母は
遠足や こういう時のお弁当が
楽しくて 可愛い
私が喜びそうな仕掛けをして来た
必ずデザートのフルーツを
別の容器で用意して
可愛いピックをいっぱいさしてあり
おにぎりは
コンビニのおにぎりと同じタイプの
絵柄の可愛いファイルに巻いてあって
のりがパリパリバージョンもある
すると
友達覗いて来て
良いなーと言う
小学校二年生から
ずっと友達ユキちゃんが
ある時
私はひろのお母さんが
ずっと羨ましかった
だってひろに理解があって
お弁当がいつも可愛いくて
お料理美味しいじゃん
と言って来た事があった
私はびっくりした
あんなに立派な一軒家に住んでて
自分の部屋があって
箱入り娘のユキちゃんが
え
そんな事思ってたの?
全然知らなかった
私は 父があまりにも
キョーレツパンチ
キャラだった為
キャラだった為あまりにも
母に注目するのを忘れていた
そういえば
あまりにも
父は監視が厳しかったが
母は
私がやりたい事 行きたいとこ
何を言っても
何も疑わず
させてくれようとしたし
父がダメだと言っても
父に嘘をついて
2人の秘密にして
行かせてくれていた
母は心配症な所も結構あった割に
そこは許してくれていたんだ
自分の暮らしから見ると
どっからどう見ても
羨ましいユキちゃんが
それでも希望はあった事を
そっと教えてくれた
どこか
自分の人生が
天然というか 雑というか
物事をしっかり考えるのが
苦手な感じを出して来る
母が
(受け継いでいる傾向多々あり)
運動会のお弁当
何時から起きて作ってたんだろ
私は 朝早く父に起こされ
ふてくされてたけど
起きた時は
いつもとっくに母は起きている
自分も母になり
あのお弁当の偉大さを知る
昭和の母
恐るべし
あんな頑固オヤジと暮らし
頑固オヤジと
ふてくされた娘に
めっちゃ朝早くから
あんなに沢山のお弁当を作る
毎日寒い外で洗濯して
3食の食事を作って
掃除して
仕事行く
家と仕事場
めっちゃ坂道を
自転車で往復し
父の昼食の為に
自分の昼休憩に
食事を作りに帰り
また自転車でめっちゃくちゃな
坂道を登り仕事へ行く
絶対もっと
良い方法
あると思うけど。。。
私は鍵っ子だったから
母の仕事中は
自分の食べ物と
必要な日は 父の分
本当に テキトーに テキトーに
やってた位で
(その頃は 冷凍食品 本当ありがとう
大好き バンザイだった)
母の家事を
率先しては
ほぼ手伝わない
頼まれてやるのは
かろうじて
お料理の手伝いや
食器洗い 洗濯
掃除機
本当にたまにやるだけ
以上
甘えた娘だったねー
。。。
運動会編のもう一つは
父が
でっかいビデオカメラを
担いでやって来たこと
(当時はまだでっかいテレビ局
みたいなビデオカメラだった)
うわ
めっちゃ目立つやん。。。
隠れたい気持ちになった
すると
(当時 父が私につけた もう一つの呼び名だ)
ちょっとまって
色々恥ずかしいよ
私のお父さんって
バレるのも恥ずかしいし
ヒロっぺ
が
バレるのも恥ずかしいから
うつむきたい気持ちを抑えて
手を振る
すると
えーあれ ヒロのお父さんだー
わーーーーっ




ビデオカメラを持って
子供達に
おーい みんなー 映ってるぞーーー
と
声をかけて
ビデオを回して歩いている父の周りに
クラスメイトや 友達達が
男女構わず集まって来た
えーーーー
みんな我先に 映ろうと
カメラに向かって ピースして✌️
父と一緒に
楽しそうにはしゃいでいる
に に 人気者なの???
これは予想外すぎた
へーーーー
凄い集まってる
複雑で恥ずかしかったけど
みんなが楽しそうで
なんだか
嬉しかった
そして
リレーを走る
父はめっちゃ良い位置で
カメラを担いで構えて
私を映していた
楽しそうに
カメラではしゃいでいる みんなと
嬉しいそうに話す父は
すごく 優しかった
帽子を深くかぶって
ケツを突き出して走るから
すぐわかるんだよー
と言いながら
嬉しそうに
家に帰ってから
何度もそのビデオを見ていた
映ってるみんなが
はしゃいでて
男の子も女の子も
普段大人しい子も
楽しそうで
みんなが可愛いかった
大人になって
何度も引っ越しし
テレビもビデオデッキも
使わなくなって
沢山あったビデオテープを
いつのタイミングかで
処分した
カメラに映るのが
いつも
恥ずかしかった私
どんな顔で映ってたのか
今はもう思い出せない
とっておいた方が良かったのかも
今は わからないけど
父は
私を
大切に思ってくれていた
人の家の子供も 大人も
誰かれ構わず
おかしいと思ったら怒るし
出先で怒る父が
恥ずかしくてたまらなかった
父はめんどくさい人すぎたが
あんなにウザくて
あんなに憎めない
あんなに愛嬌のある
人は
なかなか居ない
今では貴重な存在だ
ザ 熊本の女で 本当は気が強く
潔かった母も
次第に諦めて
父を怒らせない様に
そんな風になって行った母も
それに苛立ち
2人の喧嘩を止めながら
結局 父を逆撫でして
止めてんだか
なんだかわからなかった私も
家の人はみんな
家族全員が
不器用すぎて
(みんな違う方向に 極端な人の集まり)
ギャグだった
馬鹿っぽい家族とでも言おうか
裕福から程遠く
賢くもなく
時にあつくるしく
でもなんだか
ハートフルだった
結構なバイオレンスや
結構なトラウマな割に
それでも不思議と
いつも笑いが絶えなかった
バイオレンズでさえ
今や
やっと
ハートフルコメディになった
その今
の
私の中の記憶
忘れた事にしているもの
押し込めてしまったもの
すり替えてしまったもの
無かった事にして来たもの
そういうのがある
仕方ない
...
その
一つずつ
自分は
もうわかっている
あの時のことはもうわかった
あれはもう終わったこと
そう
無理に自分を説得しない
無理に答えを出さない
心の勉強とか
自分の生きづらさが
どこにあったのか
勉強をすると
時に
誰かの教えてくれた言葉が
自分みたくなる
怖くて
味わうことが出来ない気がして
早く答えを出して
わかったふりをする
よくやって
なんか居心地が悪くなる
一体 何になろうとしてるんだよ
私は私
私ってなんだ?
誰でもなく
なにものにもならなくていい
ただ
わかったふりしてきた
どんな私のカケラも
出来る限り
一つでも多く
生きている間に
集めてあげる
そう
私は
トロ子
と
ヒロっぺ
に
約束した
