また会いたい。 | どろそば屋ひろし(株式会社RIS)とnemecolonの日記

どろそば屋ひろし(株式会社RIS)とnemecolonの日記

株式会社RIS(どろそば屋ひろし )の情報もお知らせできたらと思います。)
✨2015年4月かららーめん情報を社長も書き込みするようになりました✨

以前に具合が悪くなってしまった、猫のぱっちゃんが11日の夜21時頃、亡くなりました。
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前の日の最後の写真

最後の1、2週間はほぼ毎日、帰っていたのに、亡くなる前日に近くの病院(おがわ動物病院)で肺の中の水を抜いて呼吸の心配がなくなったのと、水を抜いた結果、先生とお話をして抜いたものを見せて頂き、「末期の子はもっと血が真っ赤です。ぱっちゃんはまだ末期ではない」とのことと、ぱっちゃんもその日は落ち着いていたのとで、私もいつも一緒に働いているもう1人の従業員にお店を任せっきりでいて、最後までお店にいられないのが申し訳ないのもあり、その日は実家に帰るのをやめました。そしてその次の日は天気もいいみたいだし、ぱっちゃんはお外が大好きだから、身体を温めながらお外に一緒に行ってあげようと考えていて、その行かなかったその日の夜、20時52分頃母から電話がなりました。
ぱっちゃんがないてる。」と、
私は前の日にまだ末期ではない!と先生と話ていたので、まさか?と思い、母にとっさに「病院行かなきゃ」と、いいました。母は「行かれる状態じゃない!」と言ってきました。母は以前から色々な猫の死を見てきているので、ご飯を食べないと、1週間で死ぬとか、動けなくなってから何日ももたないとか、私にはあきらめる事ばかり言ってきているようで、結局母はなんでもダメだ!ダメだ!と言ってきているのだ!とも思ってしまい、私はぱっちゃんが今、末期であるとは信じられませんでした。それとも私は現実から背けようと、信じたくなかったのかもしれませんしょぼん
そして母と話ている時に、電話越しから、ぱっちゃんの鳴き声が聞こえました。
その声は悲しそうで、なんとかしてくれ!!助けて!!っていっているような鳴き声でした。
私は慌てて、母に「帰った方がいい?」と尋ねました。
すると母は「来た方がいいかもしれない。」と言ってきました。
急いで旦那に伝え、慌てて実家に向かおうと車を走らせてから10分後くらいに母から二度目の電話がなりました。
ぱっちゃん亡くなった」その一言でした。
私はどうしたらいいんだか?わからなくなり、「とりあえず、今からそっちに行く」と言いました。
家に着いてぱっちゃんをみたら、ぱっちゃんは横になって苦しかったんだろうと思うように少し口を開けて倒れていました。
私は結局ぱっちゃんを助けることができなかったんだ!とこの時に思いました。

幼いころぱっちゃんは、野良猫ちゃん(母親かえでちゃん)から生まれて、ずっと野良猫生活をおくっていて、周りの猫たちからもいじめられていて、それを母が可哀想に思い、寝る所とご飯を用意をしてあげていました。けしてなつかず、ご飯だけ食べにきて、皆が寝静まると庭に設置しておいた、ダンボールにかえでちゃんと2人で並んで寝ていただけの生活でした。
それがある時、ご飯を食べに来なくなったのです。
母と心配していると、当時同じ時期に同じ野良猫ちゃんで、家の物置に母がご飯、寝床をつくってあげていた、つきちゃんの寝床にうずくまって寝てきたのです。
ご飯をあげても食べてくれないし、様子がおかしいとのことで、心配しいたのですがなついていないのでどうする事もできず、しばらく様子を見ていたら、少し元気になったのか?お腹が空いたのか?次の日右足の付け根から足をぶらぶらさせて、片足でご飯を食べに庭にやってきたのです。
私もなんとか病院に連れていってあげたい思いでいっぱいだったので、母と相談して上手くエサでつって、家の中に閉じ込めることに成功しました。その後、母がずっとエサをあげていたので、少しならさわれるとのことで、なんとか無事にゲージに入れることができました。
それから母が「病院は家から1番近いところにしよう!!」と言う事で、車で2、3分の病院にしました。たがしかし、ぱっちゃんには初めての車、初めての病院と怖かったのでしょう。ゲージから出たとたん、片足が骨折しているのにもかかわらず、病院中走り回ってしまって、そこの院長先生はとうとう、怒ってしまい、ぱっちゃんを蹴っ飛ばし、さらに「こんなんじゃ見れない!!」って怒鳴りつけてきました。母は初めに「人に慣れていないけど大丈夫ですか?」と聞いたところ「大丈夫だ!」と言ったからゲージから出したとのことでした。私はぱっちゃんを連れて行くことだけで必死だったので、そのやり取りはわからなかったのですが、母がそんなんだったら、初めからゲージから出さなかったと言っていました。私は何がともあれ、「骨折をしている猫を蹴っ飛ばすなんて!ひどい!」と院長先生に怒りました。その院長先生は「引っかかれて、危ないから、足で捕まえようとしたんだ!」と言ったので、それが動物を助けたいと思う先生がやることか?と思い、2度とその病院には行くことはしませんでした。
それから、どこにいったらいいかな?と考えいたら、母が「もう一つ、あるんだけど、そこは山王アニマルクリニックと言うところなんだけど、うちからだと、少し遠いのよね?そこは野良猫を扱えるせ先生なのよ。野良猫のボランティアに入ってる病院なんだよ!ただ、車になれてないぱっちゃんには少し遠いから行かれるか?心配なのよ。」と言ってきました。当時、母は、野良猫の避妊で苦労していたので、それで山王アニマルクリニックを知ったそうです。そして一度、  他と動物をそこに連れて行ったことがあると言っていたのです。でも、それはなれている動物でぱっちゃんはどうかわからないから近くの病院がいいと思ったとのことでした。
私は野良猫を扱える先生ならそんないいことはない!そこしかない!と思い、母に「行こう!」と言いました。母も悲しそうに「初めてからそっちの病院に行けばよかったね!ごめんね。」と言っていましたが、そこの病院についたら、ぱっちゃんも先ほどの病院で疲れたのか?野良猫の扱いが良い先生だったのか?すんなり治療が進み、骨折の手術、15万円という、とても高い治療費でしたが、治療をすることに決め、さらにその病院は一ヶ月以上も余計に念入りに見て下さり、その間にぱっちゃんも人間に対する恐怖心もなくなり、山王の先生はお薬をぱっちゃんに簡単に飲ませていて、それほど、人間との距離が近づいていました。なかでも、その病院で1番よく面倒を見ていてくれた女性の看護婦さんがぱっちゃんは気に入ったらしく、その看護婦さんとその病院のおかげで、ぱっちゃんとの信頼関係がますます、良い方向に生まれてきました。もし、そこの病院に最初に行っていても、そこでぱっちゃんが暴れてしまっても、多分この先生だったら、対応できたんだと思います。骨折の入院から退院した後も一ヶ月安静にしていなくちゃいけなくて、何もないお部屋で、母と交代でぱっちゃんの面倒を一ヶ月近く、みていたのですが、治療費は母がだしたのに、私の方が面倒を見る日にちが多かった分、ぱっちゃんは私の事か大好きになってくれました。私もなついてくるぱっちゃんが1番大好きになりました。
それから、ぱっちゃんは病院に行けば治る!と、私たちを信頼してくれていました。
それなのに今回は難しかった。
私たちはぱっちゃんをなんとか助けたく、母も最後の願いで探した、肺癌でも治ったというサプリメント、(コルディM)その会社からの紹介で柏にある、斎藤牧場動物病院ぱっちゃんを1時間30分かけて連れて行き、そこでぱっちゃんの状態や、サプリメントとのことを聞いて、そのサプリメントと先生が調合してくれた、水薬と試したりと、あらゆることをしましたが結局助けてあげることができませんでしたしょぼん
肺癌は助かる確立は少ないけれど、ぱっちゃんがいなくなる事や、ぱっちゃんが助けてくれ?って言っているような顔を見ると、何とかしてあげたかった。
でも肺癌ではないけれど、肺の病気で苦しんでいる父がぱっちゃんが亡くなったあと、「引き延ばすのは可哀想だ!安楽死の方が良かったのでは?」と言っていたらしく、私は結局、ぱっちゃんを苦しめてしまったのかなぁと思ってしまいました。でもそれはそうですよね?父はなによりも肺の苦しさを1番わかるのですから。
最後の病院も、亡くなる前日に行った時、今まで泣いたりなんかしなかったのに体温計を測るだけで泣いた姿がとても可哀想で一瞬『安楽死させてあげてもいいかなぁ』とよぎったりもしていました。
でも、出来ませんでした。
私自身がぱっちゃんに恨まれたり憎まれたりはいいけれど、最後まで私達を信じているぱっちゃんの気持ちを裏切ることができなかったからです。
本当にこれでよかったのかは、わかりません。
相手の気持ちだけを考え、楽にさせてあげることを優先にして、自分が悪者になっても、恨まれても、安楽死を選べる人がいたらそれはそれですごい事だと思いました。
どちらが、正しいのかもわかりません。
でも、「どんな事をしても後悔はするよね?」といつも母は言います。
私は亡くなる1、2週間前からずっとぱっちゃんの様子を見てきていたのに、亡くなる日当日に一緒にいられなかったこと、看取れなかったことが心に残ります。
こんなに早く亡くなってしまうのなら、ぱっちゃんと離れ離れになるんじゃなかったと、思ってしまいます。母には最後までぱっちゃんと一緒にいてくれて感謝しきれません。
そして、13日にお花をいっぱい買って、ぱっちゃんの大好きなジャーキーを買って、母が1番大好きなアラを持ってきて、最後の最後のお別れをしました。ぱっちゃんにお手紙も書きました。
ぱっちゃん今まで一緒にいてくれてありがとう。ぱっちゃんよく頑張ったね。お疲れ様。
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ぱっちゃん大好きです。
いつか、また会いたいな。と手紙に書きました。
私はぱっちゃんと出会えた事が1番幸せでした。
そして母からの知らせで、最後にお世話になったおがわ動物病院からお花と、サプリメントと調合した水薬でお世話になった斉藤牧場動物病院からカードの押し花が届きました。母のみんこのブログに載っています。
こんな風に動物病院からお花やカードを頂いたことはなかったので、私も涙が出てきました。ぱっちゃんもこれで安らかに天国へ行けたかな、ありがとうございましたドキドキ