○
「コンプレックス」だとか「障害」を取り除いたり改善することを目標にして、それが取り除かれたり改善したら「はい、ここからが自分の人生スタート」っていうんじゃなくて
「問題があっても取りあえず大丈夫。色々あるけどそれも含めて自分の人生。」
そうシフトしていって、生き甲斐やら夢に向かうプロセスを楽しめるようにする。
現段階でのセラピーに対する私の持論。
問題を無くそうなんて、今ではちっとも思わない。
それよりも、人生どれだけ楽しめるか 面白いこと出来るか。
まあこれもこれから変わっていくかもしれないけど。
今は園子温が心のバイブル。
コンプレックスの原因突き止めたからってそれがどうした
人のオーラの色が見えて前世が分かったからってそれが何だ
人に言われた事よりも自分の中でずっと鳴り響いてる小さな、だけど自分に根気強く訴え続けてる声を大事にしろ。
嫌なもんは嫌なんだよ つづき
そしてその度に「自分て、こんな人間だったんだ」と新しい発見があったりする。
「嫌い」とか「嫌だ」っていう感情は、つい自我が押さえつけたりしてしまいがちだけど
それこそ、自分にとってのベストな選択は何かを知る一番のヒントなのかもしれないと、最近そんな風に思う。
嫌なもんは嫌なんだよ
最近、食べ物に対して 口に入れた瞬間の「不味っ」「旨っ!」がハッキリしてきて
一瞬でも不味いと思ったら、それ以上口にしなくなった。
今までは、多少不味くても「まぁ…こんなもんだよね。うん…食べれなくは…ないしね」っていう感じで誤魔化し誤魔化し完食してたんだけど
一口食べて「アカン」と思ったら 誰が何と言おうと口が「長島!レインボーブリッジ封鎖!」なのだ(古)
この前なんて、母が作った鶏唐南蛮を食べていた時、明らかに一口サイズじゃない鶏の唐揚げをかじったら 真ん中のまで火が通っておらず、うっすらと赤くなっているのを発見して
「ちゃんと仕事しなさいよ美恵子」と若干呆れつつも、レンジで再度チンすれば食べれるでしょとあまり深刻に捉えず チンしてまた食べることにして。
で、再び食べてみたらチンしても変で。見てみたら今度はちゃんと中まで火が通ってるんだけど、やっぱり油で完全に揚げたそれとは雲泥の差で。
思わず「こんな不味いの食えるか!」と仕事で遅く帰ってきてみんな寝静まってる中ひとり箸をバン!投げてブチギレしてしまった。
そしてそんな自分に物凄い驚いた。
私は基本的に、どんなに不味い料理を出されても 心のなかで「不味い」とは思っても、それをけして表には出さない人間だ。
それが「不味い」と口に出すだけでは終わらず、箸を投げ しかもいつまで経ってもプリプリと怒りが収まらない。
恐らく、食べ手の事を一切考えずに作ったであろう 作り手の鶏の下処理をする時の「めんどくさーい、めんどくさーい」という姿
鶏を美味しく調理しようとしたら、あんなサイズには切らないはず。
そして、そういった鶏に 対する冒涜。
その一切の事が私の逆鱗に触れ、不味さを一層際立たせたのかもしれない。
でも、少し前の自分だったら 食べてしまってたようにも思う。
それが、もう誤魔化せない体になってしまった。
「自分をもう誤魔化したくない」
そう強く思うようになってから、色んな事に対しての好き嫌いがハッキリするようになった。