実家の家族は無事。
自宅にいた妻は無事。
早急に長男と連絡を取らなければならない。
電話を掛けてみる。
周囲は停電だが,基地局は生きていたらしい。
何度かのコールの後,長男と携帯がつながった。
携帯はすぐに切れてしまったが,とにかく長男の声が聞けた事には本当に安心した。
「学校へ戻れ」とメールを出す。
「うん分かった」返信がすぐに帰ってくる。
これ以降は,何度掛けても電話もメールもつながらなかった。
長男本人と,二華の先生から聞いた震災直後の状況を以下にまとめてみる。
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中学校は午前授業。お弁当を食べてから1時間程度部活に顔を出し,帰宅する途中だった。
高校生は自宅学習日のため登校していなかったが,部活のため何名かの生徒が登校していた。
途中の大きな交差点で信号待ちをしていたら,突然揺れが始まった。
周囲の大人が,ビルからの落下物を避けるために中央分離帯に避難していたのを見て,自分も中央分離帯に避難した。
揺れは今まで経験したことがないほど大きく,しゃがんで揺れが収まるのを待つしかできなかった。
揺れがひと段落しどうしようか迷っていたら,父親と電話がつながり,「学校へ戻れ」と書かれたメールが届いた。
程なくして,生徒を探して歩いていた二華の先生に声を掛けられ,学校まで戻った。
学校へ戻ると,生徒は全員体育館へ集められていた。
そこへ地元の人たちが続々と避難してきた。
連坊小学校に入りきれなかった人達が二華へ避難してきたのだ。
そのため二華の生徒は第二体育館へ移動することとなった。
そして多くの生徒がそのままそこで一夜を過ごした。
校長先生は,県庁に電話を掛けた。
二華は避難所になっていないため,毛布や食料の備蓄がない。
3月とは言え季節は冬だから,このままでは生徒が凍えてしまう。
しかし県庁からは「県としてはそのような備蓄はないので,市の方に掛け合って欲しい」とのつれない返事。
そこで今度は市役所に電話を掛けた。
電話網はパンク寸前なのか,なかなかつながらない。
ようやくつながったと思ったら「二華は避難所に指定されていないので,市としては毛布や食料の配給はできない」との返事。
県立の学校なのに,県は助けてくれない。
仙台市内にある学校なのに,市も助けてくれない。
生徒がまだ100名近く残っているのに。
被災者が続々と押し寄せているのに。
校長先生は本当に困ったと思う。
結局,様々な人脈をフルに活用し,
どうにか生徒の毛布を確保したという。
次に食料の確保が必要となった。
近所の生協に相談したところ「二華のためでしたら」と快く食料を支給してくれた。
水道は止まっていたが,屋上のタンクに貯まってる分だけは使うことができた。
電気も止まっていたが,電気を使わないストーブがいくつかあり,灯油の備蓄も十分だった。
地元の方々の様々な協力を得て,生徒は食事をし,毛布とストーブのおかげで寒い思いをせずに済んだ。
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先生もまた,被災者である。
家族や家の安否も心配だ。
そんな中にあって,生徒を守るためによくでがんばってくれたと思う。
親の一人として,二華関係者及び地元の方々には深く感謝している。
とにもかくにも,生徒にとっても,先生にとっても,長い一日の始まりであった・・・。
・・・つづく。