しかし、長いことBlogを書いていなかったもんである。FaceBookに頼り切って、このサイトを見るのも今年初めてかな。


最近健康のために自転車通勤を心がけているが、カリフォルニアにしては、やたらと寒い朝、自転車を漕ぎながら、1995年1月19日、神戸の町を自転車で走っていた日の事を思い出した。あれは地震の翌々日のことだった。


アメリカでは、今日が1月17日。

次男坊の17歳の誕生日。当時神戸に住んでいた僕たちにとって忘れることのできない日になった。


1994年の春過ぎに親戚の中でもっとも慕っていた叔父と祖父が相次いで亡くなった。生まれて親戚が亡くなるという経験を、父方の祖父母以外にしたことがなかった自分にとっては、「死」と言うことを深く考えさせられたものである。その後、家内が僕と結婚するまで同居していた祖母がなくなり、その直後に義父までもが他界した。1994年は親族を4人も亡くすという、本当に人生を考える年になった。

明けて、喪中の1995年。今年は良い年になると信じていた。

1月末に二人目の子供の出産予定をしていた家内の実家に帰そうと、1月14日からの3連休を利用し、長男を連れて神戸から車で大阪に向った。義母は、義父のいない生活にまだ慣れずとも、新しい孫の誕生を「生まれ変わり」の気持ちを抱いて楽しみにしていた。

3連休も終わり、成人式の振り替え休日であった1月16日の晩には、翌日の出勤のことのみを考えて、まさか一生で忘れられない日になるとは思ってもみなかった。

そして、

朝早く皆が寝静まる中で、ど~んという音とと共に揺れは始まった。


今までの体感の中では一番長い揺れ


たんすが倒れそうになっている。長男と身重の家内を守ることだけが本能的にとった自分の行動だった。

揺れが治まりどこで何が起こったかを知ろうとラジオをつけた。自分の住んでいるマンションの様子をいち早く知りたいと思い、ラジオ関西の周波数を選んで、流れてくるアナウンサーの緊張感漂う声の一言一言に聞き入った。

驚いた.....

ラジオ関西は、自宅のあった神戸市須磨区にある放送局。アナウンサーの声は震えながら、「今、離宮道に出てみましたが、あちらこちらで家の崩壊があり、燃え始めている家屋も見られます」と実況していた。朝、6時半にもなっていない時間であった。

大阪の実家では、蛍光灯が落ちて壊れたり、水屋の中の食器が落ちて割れるという被害はあったものの、とにかく神戸の自宅のことが心配で、早く出勤し、その足で神戸の自宅を見に行こうと思い、まだ朝早い時間に車で大阪市内の会社に向った。出掛けに、家内が、「ちょっとお腹の様子がおかしいけど、まぁ予定日も先の話やし大丈夫やろう。気をつけて自宅を見てきてな」と送り出してくれた。

その後、車を走らせ大阪市内の会社に来て、ほとんどのパーティションが崩れており、僕が会社に着くまでに拾い上げられていたが、卓上のPCはほぼ全部Deskから落ちていたようだ。

色々な問題はあるものの、会社の無事を確認した後、上司に断りを入れ、神戸の自宅に向おうと再度車に乗り込んだ。しかし、会社の駐車場から出て国道に入った瞬間に「道が途切れて走ることは出来ない」というラジオからの情報を受け、こんな日に車で神戸に向うことが無謀であることを悟った。大阪の自分の実家にも電話が通じない状況だったので、神戸とは反対方向で車の流れもあった実家に戻った。

到着したのは、昼を過ぎていた。「船が大時化で揺れているようだった」と母は割れた食器や粉々の額縁の掃除していた。

その頃であろうか、家内から一本の電話が入った。まだ携帯電話の普及する前であったが、僕はいち早く大きなモトローラの携帯を持ち合わせていたので、家内と話すことが出来た。

「破水した」「病院行かな。早く来て」

通常は1時間もかからない実家と家内の実家を、渋滞に巻き込まれ5時間以上かかって戻った。その途中、家内から、義姉から、義母から何度も電話がかかり、情報を伝えてくれる。

最後の電話は、まさに病院の手前の交差点を曲がったところ。


「もう産まれるでぇ~~~~」義母の声は叫びに近かった。


病院の駐車スペースが見当たらず、怒られるの覚悟で、救急用の駐車場にハザードを灯し分娩室に駆け込んだ。

その直後、看護婦さんの「先生、産まれます~~~~」という叫びと共に、新しい命は「次男」という肩書きを持って元気良く泣き声をあげた。

その日を振り返って、朝からの自分の行動を反省したり、前年に亡くなった親族への感謝をしたり、そして、何よりも神戸で被災されている多くの人やまだ状況の分からない自宅のことを心配したりしながら、次男の健やかな表情を見て、地震当日の長い1日が過ぎていった。

この日連絡が取れたのは、一部の親戚のみで、神戸の友人にも全く連絡がつかない状況。不安と次男を胸に翌日どんな行動をとるべきかを考えながらベッドに入った。あまり眠れなかった。

翌日に続く.......









今日は2日続けての検診。別に絶対的に身体の調子がおかしいってわけではなく、まぁ、定期的な検診を怠ってたので、ここでまとめてやってるって感じかな。

胃カメラを飲むってやつ。


でも人生初めての胃カメラなんで、どんな感じかなぁと不安一杯で予約をしていた。

アメリカの胃カメラ検診は、なんと・・・・・


全身麻酔でやるとの事

朝から日帰り手術専門で行うような病院に行って、500ドルも払って、いざチェックイン。

カーテンで仕切られた部屋に入って、しかし、カーテンを閉められることなく、手術着を渡されて着替えろと。

でも、さすがアメリカ。

「ズボン(今日はGパン)は脱がなくていいよ」って。

上半身裸になって、パジャマのような手術着に人前で着替える。

いきなり陽気なメキシコ人がギャグを織り交ぜて笑顔で対応してくれる。


ベット乗せられ、「髪の毛をこれで覆って」とヘアーキャップも渡される。
なんともおもしろいやないかぁ、とスキンヘッドの僕には思えたけど、単にマニュアル通りなだけ。


点滴を打たれて、しばらく待ってたら、いざ手術室へ


小さな部屋で、のどにスプレーされたらその後は全く記憶がない状態。

胃カメラを全身麻酔で行うとは・・・・

気がついたら、いつの間にか最初手術着に着替えた部屋で寝てた。

さすが、アメリカ(2回目)

胃カメラを全身麻酔で行うとは・・・・(これも2回目)

でも全身麻酔は生まれて初めて。

初体験の思い出です。

その思いを作ってくれたお医者さんは↓

$僕の周りで起こっている事
昨日、アメリカから戻った。飛行機

さすがに今回の2週間の旅も移動距離が多かったので、家に午前中に戻ると、ぐったりして通常なら会社に出向くのだが、家でそのまま昼寝。気づいたら夜8時。食事したり、いろいろ雑務をやって、又眠くなって結局朝まで寝てたという、起きだめ、寝だめのできる事にちょっとびっくり。

今朝は、胃や腸のの検診で朝からちょっとドクターオフィスに寄ってきた。病院

検査技師の女性が、ユーモアたっぷりで朝からエコーを使って検診してくれる。

「はい、大きく息を吸って、止めて」

これを繰り返すのだが、

はい、息を吸って、そのまま止めたれませんよね?

「へ?」と思って顔を見ると、


「いや、生きてるかどうかのチェックです?」

ってな感じ。

どこでも、何か冗談言ってくれる陽気なおばちゃんは、まるで大阪のおばちゃんのようであった。

関西人がアメリカ人に似てるとよく言われるのは、このためか?

でも、東京で事務所からタクシーに乗った時の運転手も、「はい、サービスして、おつり300万円!」って言ってた。この人も関西人やったんか?それとも、アメリカ人やったんか?

一言のギャグは、関東人にはどう写るのか?

要確認!