前回、野々島へ来た時と変わらない看板がありました

防潮堤の高さについて、
宮城県側と、住民の意見が食い違い、
計画がストップしています。
なぜなら、住民は、防潮堤の高さを高くするより、
高台へ逃げる道を整備して欲しいとのことでした。
日頃から島の方々は、津波が来たら高台へ逃げる!
「津波てんでんこ」のことが頭にあると聞きました。
あの震災のときも、島の方々は、
それぞれに高台に逃げたり、
助けあって小中学校へ逃げたそうです。
住民の方々は、高台へ逃げればいいということを知っているのです。
だから、防潮堤を高くして、自分たちの愛する海が見えなくなるよりも、
高台へ逃げられる道を整備することを強く望んでいることがわかりました。
船着場から、島へつながる道は少しずつ整備されています

島の方は、来年に船着場横の整備を完成したいと思っているようです。
毎年、野々島では、8月14日に花火大会が行われています。27年間ずっと続けてきたそうです

震災の年も、規模を縮小しても行ったと聞きました。
岸壁で寝っ転がって花火を見ると
身体に感じるって
町の方が三品さんに伝え、行ったようです。
素敵な花火だった。
また頑張ろう!と、力をもらったと言っていました

震災以降、島の方を対象に行われた花火でしたが、
来年は、花火大会を盛大に行う予定だそうです。
ひろしさん、三品さんからたくさんお話を聞きました。
ひろしさんに見送られて、
ひろしさんは、
「みんながそれぞれ感じたことが、明日の糧になればいい」って。
ひろしさんありがとうございました

明日の糧にしよう‼️