最近のことびっくりマーク

 

長らく更新していませんでした。

 

学部での最後の試験や大学院入学試験など、さまざまあり、更新する気にもなれず。

 

 大学院に関しては、悩みに悩みました。自分の大学、それも学部生時代と同じ系統の研究科に行くか、それとも自分の大学だけれども学部生時代とは違う研究科に行くか、はたまた他大学の研究科に行くか。まさにトリレンマ。

 

 実際に、他大学の研究科も受験しました。そして合格しました。確かに学部生時代と同系統の研究ができるため、そこも非常に魅力的ではありました。

 

 ただ、結果的に私の選んだのは、想像の斜め上を行く「自分の大学だけれども学部生時代とは違う研究科に行く」だったのです。理由はいくつかあるんです。まず、自分の自由な研究ができる。キャンパス周辺は、大好きな昆虫が近くにいる環境。そこの研究科の先生からの強い「うちに来ないか」との催促(本当にありがたい)。

 

 

 なやみの種

 

 でも、なやみもあるんです。大学院試験を真剣に考えるようになったきっかけが、まさにそこの他大学の研究科(まさに私が受験し、合格したところ)に行きたいと思ったこと。その研究科は研究レベルも高く、研究者になるのであれば十分なキャリアでもあるのです。まさに、もってこいの環境。そんな素晴らしいところを、私はケってしまったのです。今考えれば、そこの研究科に入り、実際についていけるだろうかという不安がかなりあったのではないか、と。

 

 同大学の先生からは「違う大学院に行くという経験が重要なんだ」と言われました。

 

 「私は”甘え”たんだ」と嫌でも最近考えずにいられないのです。「違う環境に行けば荒波にもまれ、アウエーになる。それが確固たる自分を構築するんだ」といった類のイメージが自分を責めるのです。研究というのはすんごく狭い世界。学閥なるものもまだまだ存在する。そんな世界に足を入れる時に、堅牢なバックグランドを失ったのです。

 

 これからどうすればいいのだろうか。

 

 

これからの道

 

 これからどうすればいいのだろうか。最近、そればっかり考えています。

 

 ただ、幸か不幸か、もうわかっています。そう、そういった道を歩まなければいいというだけ。学歴や学閥、「だれだれ先生のもとで研究した」とか、そういった陳腐な道を歩まなければいいというだけ。

 

 学閥諸々のつまらないもので判断するのではなく、創造的で面白い研究を平等に評する道に行けばいいというだけ。無理かもしれないけど、できるかもしれない。

 

 「無ければ創ればいいだろう?」というのが、これから行こうと決めた研究科の先生の口癖なのです。不安はまだまだあります。きっとこれからがより厳しい難題が、私に降りかかってくることでしょう。でもその時は、(覚悟を決めて)苦しみ、悩めばいいだけのこと。

 

 研究科の先生の言葉、それだけが今の自分の支えなのです。