今日のブログは…明るい話ではないですが…日記のようにブログを書いているので、大切なこの日のことも書かせてもらいます。
皆さんが読んでいて嫌な気持ちにさせてしまったら…すみません。


H28.2.6この日の朝、祖父が他界しました。
90歳。今月末、誕生日を迎えたら91歳でした。

高齢なのでここ数年は、床屋や病院の受診以外は家からでず、自分の部屋のTVの前で過ごしている事が多かったけど、トイレや入浴は自分でできていました。
ヘビースモーカーなので、呼吸が荒く努力様な呼吸をしていましたが、ココ数日は、その呼吸がますます荒く唸るような呼吸をしていたので母が受診を勧めても拒否をしていました。 
5日の朝も病院を勧めても行きたくないと拒否していましたが、その日の夕方、母がもう一度促すと行くと言ったようです。
病院までの送り迎えを頼まれ、母と祖父を病院まで乗せていきました。

肺炎で先生から入院を勧められたようでしたが 、祖父は「絶対いや」と答えたようで抗生剤をもらい帰宅。先生や看護師からも90歳には見えない、肌艶がいい、動きが機敏と褒められたようです。2/8は定期受診の日なので、それまでは自宅で様子を見ることにしました。

その日の夜も、出された夕食は全て食べ、毎日の晩酌もしたいとお酒も飲みました。

お風呂も大好きで、今までも体がエラくても熱があっても入っていましたが、この日だけは、母に辞めるように言われ、お風呂には入りませんでした。

2/6の4時過ぎ…父が私の名前を呼ぶ声で起きました。母が部屋を覗きにいった時、布団の上に座った状態で倒れていました。母は、救急に連絡していましたが、もう既に呼吸は止まっていました。救急車がくるまで心臓マッサージをするように救急隊から言われましたが私には出来ませんでした。  

生前から…死ぬ時は、コロッと行きたい
家族には迷惑かけたくないと話していました。
救急隊が来てからは心臓マッサージ・AEDをされ病院へ。病院へいってからも心臓マッサージ、挿管、強心薬を使用し30分程、蘇生を試みてくれましたが反応はないと先生から説明をされました。蘇生は辞めていただくようにお願いし死亡確認をしてもらいました。

それからは…葬儀の準備でバタバタ
親戚だけで静かに見送ろうと家族葬にしました。
遺影の写真を探していると老人会の旅行の写真が出てきました。もう数年、こんな笑顔を見ていないなぁ、と悲しくなりました。

前日までお風呂には入っていましたが、亡くなった時は失禁をしていました。綺麗好きで…動くのがエラくてもオムツは拒否、自分でトイレまで行っていました。私と弟の希望でお風呂に入れてもらいました。石鹸で体を洗い、シャンプーをしてもらい、ここ数日はヒゲも剃れてなかったので綺麗に剃ってもらいました。顔に化粧をしてもらう際、近くで見せてもらいました。安らかな顔で今にも起きそうな顔をしてました。
お棺の中にはお出かけする時に着てきたスーツを入れました。

金沢から息子と孫も到着。横浜からは姪。
亡くなった当日に通夜を行いました。

お経をあげてくれた、お坊さんは
毎月祖母の月命日にお経をあげてくれていた、お坊さんでした。
毎月家にくると祖父と話をし、印象に残っているのは戦争体験の話だったと話してくれました。
毎月、体調は良くないと話していたけど、そんな風には見えなかったのに。と驚いていました。

今思えば…私たちに迷惑をかけないように無理してまでもご飯をたべ、毎日の部屋の中でのストレッチを欠かさずやっていたのかなぁ。

家族葬でお願いしていましたが、近所の人…私の同僚も仕事終わりにきてくれました。感謝です。
葬式の日まで、皆で雑魚寝をし昔話をしながら祖父と過ごしました。

頑固で…お酒が大好き、今までもタバコを辞めるようにいっても辞めない。
亡くなるその日まで、母と喧嘩をしていました。
それでも、母の姿を見ないと、どこいった?と話し、母がいないと心配で。
「何歳まで生きるんだろー?介護が必要になるのかなぁ?」と心配していましたが…最後は、あっけなかったなぁと母は話していました。

葬儀の日…最後のお別れ
大好きな日本酒を唇につけると、飲みたそうに少し口をあけていました。
あっちの世界に言っても大好きなタバコやお酒を飲めるように、お棺の中にいれてあげました。

おじい…
天国に着きましたか?
50年ぶりに、おばあちゃんに会えましたか?
一緒に住んでたのに何もしてあげられなくてごめんね。最近は1人で過ごす時間が多く寂しかったかなぁ。
 
おじいから最後に言われた言葉
「ありがと」忘れないよ。

こちらこそ
今まで…ありがと。