昨日、日帰りで高知の桂浜まで行ってきました。

本来の目的は、香川で讃岐うどんを食べること。

朝から「今日はうどんだ」と決めて出かけたのですが、予想以上の好天に恵まれました。

空は高く、風も気持ちいい。

うどんを食べているうちに、だんだん欲が出てきました。

予定変更。せっかくなら高知まで

当初のお目当ては、丸亀の「綿谷」でした。

ところが、連休中でお休み。

そこで、善通寺にある「長田 in 香の香」へ向かいました。

釜揚げうどんで知られるお店です。

おいしいうどんをいただき、ひとまず当初の目的は達成。

でも、外は気持ちのいい秋晴れです。

「この天気なら、もう少し遠くまで行けるのでは?」

調べてみると、高速道路を使えば高知まで足を延ばせそうです。

うどんだけで帰るのは、なんだかもったいない。

せっかくの好天です。思い切って、桂浜を目指すことにしました。

浦戸大橋からの大渋滞

桂浜周辺に到着したのは、15時前。

ところが、ここで連休の洗礼を受けることになりました。

浦戸大橋を渡ったあたりから、車がびっしり。

少し進んでは止まり、また少し進んでは止まり……。

桂浜の駐車場に入るまで、1時間弱もかかってしまいました。

高速道路を使って走ってきた道のりより、最後の数キロのほうが長く感じるという、なんとも皮肉な話です。

それでも、窓の外にはちらちらと海が見えます。

「せっかくここまで来たのだから」

そう思いながら、気長に順番を待ちました。

太平洋が目の前に

ようやく到着した桂浜。

夕方が近づき、空には少しずつ雲が増えていました。

朝のような青空とはいきませんでしたが、それはそれで趣のある景色です。





弓なりに広がる砂浜と、どこまでも続く太平洋。

瀬戸内海の穏やかな海を見慣れていると、波の大きさも、水平線の広がりも、まるで違って感じられます。

雲の切れ間から差す光が、海面にまだらな模様を描いていました。

寄せては返す波の音を聞いていると、渋滞の疲れも、日々のあれこれも、少し遠くなっていくようです。

予定外の寄り道でしたが、ここまで来てよかった。

素直にそう思える景色でした。

龍馬像の前で

桂浜といえば、やはり坂本龍馬像です。

浜を見下ろす丘の上に、太平洋を見つめる姿が立っています。





懐手をした龍馬像。

雲の多い空を背にすると、青空の下で見る姿とはまた違い、少し陰影のある表情に見えました。

実は、私が坂本龍馬に興味を持つようになったのは、若い頃のことです。

けがをして入院していたとき、先輩が司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を差し入れてくれました。

それが、龍馬との最初の出会いでした。

物語の中で描かれる龍馬の行動力や、時代の変わり目を生きる姿に引き込まれたことを覚えています。

そんな思い出もあって、今回、龍馬像を目の前にすると、若い頃に本を読んでいたときのことが懐かしく思い出されました。

幕末の若者は、この海の向こうに何を見ていたのでしょうか。

しばらく像を見上げながら、そんなことを考えていました。

坂本龍馬記念館で感じた、少しの物足りなさ

その後は、高知県立坂本龍馬記念館にも足を延ばしました。





龍馬像を見たあとですから、期待も自然と高まります。

ところが、実際に見学してみると、少し物足りなさが残りました。

手紙などの展示は複製が中心で、パネルによる解説も多い印象です。

訪れたときには特別展で刀剣の展示もありましたが、入館料を考えると、せっかくのコンテンツが十分に生かされていないのではないか。そんなもやもやした気持ちも残りました。

もちろん、歴史資料を保存し、正確に伝えることには大きな意味があります。

ただ、龍馬という人物には、それだけでは語り尽くせない魅力があるように感じます。

そもそも、私が龍馬に興味を持ったきっかけは、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でした。

小説やドラマを通して、龍馬の人柄や行動力、時代を切り開いていく姿に魅力を感じてきたのです。

だからこそ、史実を中心に紹介する記念館に、どこか物足りなさを感じてしまったのかもしれません。

小説やドラマで膨らんだイメージと、史料を通して知る歴史上の人物。

その間には、どうしても距離があるのでしょう。

とはいえ、これは記念館だけの問題ではなく、私自身が龍馬に何を期待していたのか、ということでもありそうです。

実際に足を運んだからこそ、そんなことを考える機会になりました。

 



 



予定外の寄り道も悪くない

朝は、うどんを食べに出かけただけのつもりでした。

それが、気持ちのいい秋晴れに誘われて高知まで足を延ばし、太平洋を眺め、若い頃に本で出会った龍馬の像を見ることに。

渋滞にはまったり、思ったほど青空が広がらなかったり。

すべてが思いどおりというわけではありませんでしたが、それも含めて旅の思い出です。

もし予定どおりにうどんを食べて帰っていたら、こんな一日にはならなかったでしょう。

たまには、行き先を決めすぎず、その日の気分に任せてみるのもいいものですね。

うどん、そして桂浜

もちろん、うどんもしっかりいただきました。

おいしいうどんを食べて、太平洋を眺め、龍馬像の前に立つ。

思いがけず、欲張りな日帰りドライブになりました。

完璧な青空ではなかったけれど、あの海を見られただけでも十分です。

また、こんなふうに天気のいい日に、ふらっと出かけてみようと思います。

ただし、次回は連休の混雑も計算に入れて。

うどんを食べてから行き先を考える。

そんな気ままなドライブも、悪くないものです。



「なぜ、そこまで動けるのか?」

休日の勉強会、セミナーの企画・運営、地域コミュニティの立ち上げ。

本業で忙しいはずなのに、報酬のない活動にも驚くほどのエネルギーを注いでいる人たちがいます。

私の身近にも、そんな人たちが何人もいます。

MBAで共に学んだ同級生や先輩、後輩たちです。自ら旗を掲げ、社外へと活動の場を広げ、精力的に動いています。

そうした人たちを見ていると、ときどきこんな声を耳にします。

「本業に余裕があるからできるのでは?」

「時間に恵まれているからでしょう」


けれど、間近で接している私には、必ずしもそうは思えません。

彼らもまた、本業を抱え、さまざまな制約の中で生活しています。

時間が余っているから動けるというより、限られた時間の中で、動くことを選んでいる。

その違いは、決して小さくないと感じています。

「余裕があるから動く」のか、「動くことで資源が生まれる」のか

MBAでワーク・エンゲージメント(仕事への活力や熱意)を学んだとき、人の活力は精神論だけで説明できるものではないと知りました。

仕事の進めやすさや周囲の支援、本人の自信といった「資源」が、意欲や活力を支えているのです。

一方で、研究では、資源がエンゲージメントを高めるだけでなく、エンゲージメントが後の資源の獲得につながるという相互作用も示されています。

この考え方は、社外で精力的に活動する人たちの姿にも重なります。

最初から十分な時間や人脈、自信があったわけではないかもしれません。

まず一歩を踏み出す。

人と出会い、経験を積み、仲間ができる。

その積み重ねが、新たな機会や自信につながり、次の行動を後押しする。

そんな好循環が生まれているのではないでしょうか。


もちろん、時間や家庭の事情、職場環境などの条件は人それぞれです。誰もが同じように動けるわけではありません。

それでも、条件がすべて整うのを待つのではなく、今できることから始める。

そこに、彼らの行動力の一端があるように感じます。

なぜ、無報酬でも動き続けるのか

MBAの仲間やコミュニティの運営に携わる人たちを見ていて感じるのは、彼らが単に自己犠牲で動いているわけではない、ということです。

金銭的な報酬はなくても、活動を通じて得られるものがあります。

本業だけでは得にくい経験や人とのつながり、自分の力を試す機会です。

私には、大きく3つの理由があるように思えます。

① 学んだことを実践できる

AIやDX、経営理論など、大学院や独学で学んだ知識も、実際に使ってみなければ身につきにくいものです。

社外の勉強会や自主企画は、学んだことを実践し、反応を確かめる機会になります。

人に説明する。意見を交わす。イベントを企画し、参加者に届ける。

こうした経験を通じて、自分の理解が深まり、知識を実践的な力へと変えていくことができます。

もちろん、無報酬だからといってリスクがないわけではありません。準備には時間がかかりますし、思うような成果が得られないこともあるでしょう。

それでも、自ら企画し、実行する経験には、本業の役割だけでは得にくい学びがあります。

② 会社の外に、自分自身の信用を築く

会社の肩書や役職は、組織の中では大きな意味を持ちます。

しかし、一歩外に出れば、肩書だけで信頼を得られるとは限りません。

何を考え、何ができるのか。

人とどう向き合い、どのような価値を提供できるのか。

社外の活動では、そうした一人の人間としての姿勢や実績が問われます。

異業種の人たちと協力し、勉強会やイベントを運営する。約束を守り、地道に活動を続ける。

その積み重ねが、個人への信頼につながっていきます。

そして、そこで築かれた人とのつながりは、いざというときに相談できる相手や、新しい仕事のきっかけになるかもしれません。

こうした信頼やネットワークは、社会関係資本とも呼ばれます。

会社の看板だけに頼らず、自分自身の信用を育てていくこと。

それは、これからのキャリアを考えるうえでも、大切な意味を持つのではないでしょうか。

③ 自分の行動が、誰かや社会の変化につながる

「地域を新しい技術で盛り上げたい」

「志を同じくする仲間と、産業の未来を考えたい」

そんな思いを持って活動している人もいます。

日々の仕事では、自分の役割や組織の目標が優先されることも少なくありません。

一方、社外の活動では、自分がやりたいことを起点に、人を集め、場をつくることができます。

自分の企画に誰かが参加してくれる。

そこで生まれた対話から、新しいアイデアが生まれる。

誰かの挑戦を後押しできる。

そうした手応えは、金銭的な報酬とは別の充足感をもたらすのだと思います。

そして、その充足感が、また次の活動への意欲につながっていくのでしょう。

行動の先に、キャリアの選択肢が広がる

こうした社外での活動は、目の前の経験だけでなく、中長期的なキャリアにも影響を与える可能性があります。

例えば、次のような道です。

本業への還元

社外で得た知識や人脈、異なる業界の考え方を会社に持ち帰る。

それが、新規事業やDX推進、組織改革などに生かされることがあります。

パラレルキャリア

本業を続けながら、講師や地域団体の活動、社外のプロジェクトなどにも関わる。

複数の活動の場を持つことで、自分の能力を生かせる領域が広がります。

独立・専門家としての活動

専門知識や実践経験、社外で築いた信頼を生かして、独立やコンサルティングに挑戦する。

もちろん、社外活動をしたからといって、仕事の依頼や顧客が自動的に増えるわけではありません。それでも、活動を通じて築いた実績や人とのつながりが、新たな機会につながる可能性はあります。

地域や業界をつなぐ役割

企業、行政、大学、地域の団体などをつなぎ、それぞれの知識や資源を組み合わせる。

一つの組織の中だけでは実現しにくい取り組みを、異なる立場の人たちと協力して形にしていく役割です。

こうした選択肢は、会社の中で与えられる機会を待つだけでは、なかなか見えてこないかもしれません。

社外に出て人と出会い、経験を積むことで、自分にできることや、これから進みたい方向が少しずつ見えてくる。

行動することは、キャリアの選択肢を増やすための一つの方法なのだと思います。

私が、行動できる人に敬意を抱く理由

誰かの活動を外から眺め、感想を述べることはできます。

しかし、自分で企画を立ち上げ、人を集め、実際に運営するとなれば話は別です。

準備には時間がかかります。

思いが伝わらないこともあれば、参加者が集まらないこともあるでしょう。周囲から理解されないことだってあるかもしれません。

それでも、自分の考えを形にしようと動く。

その姿勢に、私は深い敬意を抱きます。


「環境が整ったら動こう」

そう考えているうちに、時間だけが過ぎてしまうこともあります。

一方で、完璧な準備ができていなくても、できる範囲で一歩を踏み出す人がいます。

もちろん、行動しないことが常に悪いわけではありません。立ち止まって考えることも、休むことも必要です。

それでも、自分の思いを実現するために、リスクや手間を引き受けて動く。

その姿を見ていると、言葉で語ることと、実際に行動することの間には、大きな違いがあると感じます。

だからこそ、私は彼らの姿に惹かれるのだと思います。

おわりに――自分の歩幅で、小さく動く

彼らのように、いきなり先頭に立って大きな旗を掲げる必要はないのかもしれません。

自分にできることも、使える時間も、人それぞれです。

まずは、関心のあるコミュニティに足を運んでみる。

仕事で考えたことや、学んだ知識を、自分の言葉で発信してみる。

誰かの活動に参加し、小さな役割を引き受けてみる。

そんな一歩からでも、世界は少しずつ広がっていくはずです。

私にとって、このブログで考えを整理し、外に向けて発信することも、その一つです。

書くことで、自分の考えが整理される。

発信することで、これまで接点のなかった人にも届くかもしれない。

それもまた、私なりの小さな挑戦です。

行動力のある仲間たちを見て、「すごいな」と感嘆するだけで終わらせない。

彼らと同じことをする必要はなくても、自分にできる一歩はあるはずです。

いつか環境が整うのを待つのではなく、今の自分にできることから始めてみる。

仲間たちへの敬意を胸に、私も自分の歩幅で、一歩ずつ進んでいきたいと思います。



私の勤める拠点で、ある業務を長年統括してこられたキーパーソンが、早期退職されました。

現在、その業務は私のチームが中心となって対応しています。大きなトラブルはありません。

ただ、日々の対応を重ねるほど、あることを実感するようになりました。

この業務は、仕組みで廻っていたのではなく、人で廻っていた。

手順書も、ルールも、様式も、会議体もありました。

それでも、実際に物事を前に進めていたのは、「あの人に聞けば分かる」「あの人が言うなら動こう」と思わせる、その人の経験や人望でした。

品質マネジメントシステム(QMS)の事務局という立場にいながら、足元でこの問題を痛感することになったのは、皮肉でもあり、学びでもあります。

暗黙知と関係資本。二つの「人のチカラ」

「人のチカラ」とひとくくりにしていましたが、整理してみると、大きく二つに分けられそうです。

① 暗黙知(能力・経験)

どの案件にリスクがあるかを見抜く勘

例外的な事態に対応する判断基準

過去の経緯や失敗から得た知識

経験を積んだ人ほど、こうした知識を自然に使いこなしています。しかし、本人にとって当たり前になっているため、言葉にするのが難しいこともあります。

経営学では、野中郁次郎氏らの研究で知られる「SECIモデル」が、暗黙知と形式知の相互変換を考える手がかりになります。

② 関係資本(人望・信頼)

気軽に相談できる関係

部門を越えて協力を得られるつながり

「あの人の頼みなら」と周囲が動いてくれる力

こちらは、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)という考え方にも通じます。

知識や経験だけでは、仕事は前に進みません。周囲との信頼関係があってこそ、判断が実行に移されることもあります。

この二つは、どちらも重要ですが、仕組みに引き継ぐ難しさは異なります。

経験や判断基準は、時間をかければ言語化できる部分があります。

一方、人望や信頼関係は、手順書に書いてそのまま引き継げるものではありません。

「置き換える」のではなく「分解して、再配置する」

では、人のチカラをどうすれば組織に残せるのでしょうか。

考えた末、現時点では、個人の機能を丸ごとコピーするのではなく、三つに分けて考えるのがよいのではないかと思っています。

1.判断を「見える化」する

まずは、キーパーソンが経験から身につけた判断を整理することです。

例えば、次の三つを問いかけてみます。

どんな情報を見ていたのか

何と比較していたのか

何を根拠に判断していたのか

最初から完璧な手順書を目指す必要はありません。

すべてを言語化するのは難しくても、重要な判断基準が少しでも見えるようになれば、後任者が迷う時間を減らせます。

大切なのは、文書を増やすことではなく、経験の中に埋もれていた判断のポイントを共有することです。

2.情報の流れを「人経由」から「仕組み経由」に変える

「あの人に聞けば分かる」という状態は、情報が特定の個人に集中している状態でもあります。

これを少しずつ変えていきます。

案件の経緯を一か所で確認できるようにする

判断した理由を記録に残す

相談窓口を個人名ではなく、役割やチームで明確にする


こうした取り組みは、QMSとも深く関係しています。

もちろん、ISO 9001が特定の文書管理方法や情報共有の仕組みを一律に指定しているわけではありません。

それでも、組織の知識を個人だけにとどめず、必要な人が利用できるようにするという考え方は、今回の課題に重なります。

QMSを運用する立場にいながら、こうした問題を自分たちの身近な課題として改めて考えることになりました。

3.関係資本は「移転」ではなく「再構築」する

難しいのは、こちらです。

人望や信頼は、前任者から後任者へ、そのまま移せるものではありません。

新しい体制で、改めて関係を築いていく必要があります。

ただし、再び一人の人望に頼るだけでは、同じ問題を繰り返しかねません。

例えば、

現場との対話の機会を定期的に設ける

個人ではなくチームとして相談を受ける

小さな約束を守り、着実に信頼を積み上げる

こうした取り組みを、日常の業務に組み込んでいくことが考えられます。

個人が持っていた信頼を、そのまま引き継ぐことはできなくても、信頼が生まれる仕組みはつくれる。

そう考えれば、関係資本も組織として育てていけるのかもしれません。

PDCAで言えば、いまは「C」の時期

振り返ると、私たちの組織は「P(計画)」と「D(実行)」には力を入れてきました。

一方で、「C(評価)」と「A(改善)」では、業務がどれほど特定の人に依存しているかを、十分に点検してこなかったように思います。

そこで、これからは次のような問いを定期的に投げかけてみたいと考えています。

担当者が1か月不在でも、業務は廻るか

判断の根拠を、本人以外が説明できるか

「あの人しか知らない」ことは何か

こうした点検は、業務継続の観点からも意味があります。

特定の人がいなければ業務が止まる。その状態を把握し、影響の大きさに応じて対策を考える。

つまり、属人性を組織のリスクとして捉えるということです。

問題が起きてから慌てるのではなく、平時から弱点を把握しておく。それも、QMSの継続的改善につながるはずです。

仕組み化と現場の負担。その間で悩む

ここまで書いてきましたが、正直に言うと、まだ答えは出ていません。

仕組み化を急ぎすぎれば、現場に「また書類が増えた」という負担感を生むかもしれません。

反対に、今までどおりのやり方を続ければ、次のキーパーソンがいなくなったとき、同じ問題が起こる可能性があります。

どこまで標準化し、どこからは人の経験や判断に委ねるのか。

そのバランスを見極めるのは、簡単ではありません。

もう一つ、考えさせられたことがあります。

早期退職は、本人にとって人生の選択です。当然、その意思は尊重されるべきものです。

一方、組織にとっては、これまで誰かに頼っていた仕事や、十分に仕組み化できていなかった部分が見えてくる機会にもなります。

退職する人の問題ではなく、残る組織が考えるべき問題なのだと思います。

私自身も50代。いずれ、自分が職場を離れる日が来ます。

自分がいなくなっても業務が廻る仕組みを残すこと。

それは、単なる引き継ぎではなく、自分が積み重ねてきた仕事の仕上げなのかもしれません。

まとめ

今回の経験から、考えたことを整理しておきます。

暗黙知は、判断の見える化や情報共有によって、組織に残せる部分がある。

関係資本は、そのまま移せない。チームとして信頼を築く仕組みが必要になる。

属人性は、業務継続のリスクとして定期的に点検する。

仕組み化は、書類を増やすことではなく、必要な知識と協力が途切れない状態をつくること。


まだ、明確な答えを出せたわけではありません。

それでも、今回の経験を通じて、仕事を廻すことと、仕事が廻り続ける仕組みをつくることは、別の課題なのだと気づきました。

この悩んでいる過程も、記録に残しておこうと思います。

同じように、特定の人の経験や人望に支えられている職場で働いている方は、どのように知識や信頼を次の世代につないでいるでしょうか。

ぜひ、皆さんの考えも聞かせてください。