「なぜ、そこまで動けるのか?」

休日の勉強会、セミナーの企画・運営、地域コミュニティの立ち上げ。

本業で忙しいはずなのに、報酬のない活動にも驚くほどのエネルギーを注いでいる人たちがいます。

私の身近にも、そんな人たちが何人もいます。

MBAで共に学んだ同級生や先輩、後輩たちです。自ら旗を掲げ、社外へと活動の場を広げ、精力的に動いています。

そうした人たちを見ていると、ときどきこんな声を耳にします。

「本業に余裕があるからできるのでは?」

「時間に恵まれているからでしょう」


けれど、間近で接している私には、必ずしもそうは思えません。

彼らもまた、本業を抱え、さまざまな制約の中で生活しています。

時間が余っているから動けるというより、限られた時間の中で、動くことを選んでいる。

その違いは、決して小さくないと感じています。

「余裕があるから動く」のか、「動くことで資源が生まれる」のか

MBAでワーク・エンゲージメント(仕事への活力や熱意)を学んだとき、人の活力は精神論だけで説明できるものではないと知りました。

仕事の進めやすさや周囲の支援、本人の自信といった「資源」が、意欲や活力を支えているのです。

一方で、研究では、資源がエンゲージメントを高めるだけでなく、エンゲージメントが後の資源の獲得につながるという相互作用も示されています。

この考え方は、社外で精力的に活動する人たちの姿にも重なります。

最初から十分な時間や人脈、自信があったわけではないかもしれません。

まず一歩を踏み出す。

人と出会い、経験を積み、仲間ができる。

その積み重ねが、新たな機会や自信につながり、次の行動を後押しする。

そんな好循環が生まれているのではないでしょうか。


もちろん、時間や家庭の事情、職場環境などの条件は人それぞれです。誰もが同じように動けるわけではありません。

それでも、条件がすべて整うのを待つのではなく、今できることから始める。

そこに、彼らの行動力の一端があるように感じます。

なぜ、無報酬でも動き続けるのか

MBAの仲間やコミュニティの運営に携わる人たちを見ていて感じるのは、彼らが単に自己犠牲で動いているわけではない、ということです。

金銭的な報酬はなくても、活動を通じて得られるものがあります。

本業だけでは得にくい経験や人とのつながり、自分の力を試す機会です。

私には、大きく3つの理由があるように思えます。

① 学んだことを実践できる

AIやDX、経営理論など、大学院や独学で学んだ知識も、実際に使ってみなければ身につきにくいものです。

社外の勉強会や自主企画は、学んだことを実践し、反応を確かめる機会になります。

人に説明する。意見を交わす。イベントを企画し、参加者に届ける。

こうした経験を通じて、自分の理解が深まり、知識を実践的な力へと変えていくことができます。

もちろん、無報酬だからといってリスクがないわけではありません。準備には時間がかかりますし、思うような成果が得られないこともあるでしょう。

それでも、自ら企画し、実行する経験には、本業の役割だけでは得にくい学びがあります。

② 会社の外に、自分自身の信用を築く

会社の肩書や役職は、組織の中では大きな意味を持ちます。

しかし、一歩外に出れば、肩書だけで信頼を得られるとは限りません。

何を考え、何ができるのか。

人とどう向き合い、どのような価値を提供できるのか。

社外の活動では、そうした一人の人間としての姿勢や実績が問われます。

異業種の人たちと協力し、勉強会やイベントを運営する。約束を守り、地道に活動を続ける。

その積み重ねが、個人への信頼につながっていきます。

そして、そこで築かれた人とのつながりは、いざというときに相談できる相手や、新しい仕事のきっかけになるかもしれません。

こうした信頼やネットワークは、社会関係資本とも呼ばれます。

会社の看板だけに頼らず、自分自身の信用を育てていくこと。

それは、これからのキャリアを考えるうえでも、大切な意味を持つのではないでしょうか。

③ 自分の行動が、誰かや社会の変化につながる

「地域を新しい技術で盛り上げたい」

「志を同じくする仲間と、産業の未来を考えたい」

そんな思いを持って活動している人もいます。

日々の仕事では、自分の役割や組織の目標が優先されることも少なくありません。

一方、社外の活動では、自分がやりたいことを起点に、人を集め、場をつくることができます。

自分の企画に誰かが参加してくれる。

そこで生まれた対話から、新しいアイデアが生まれる。

誰かの挑戦を後押しできる。

そうした手応えは、金銭的な報酬とは別の充足感をもたらすのだと思います。

そして、その充足感が、また次の活動への意欲につながっていくのでしょう。

行動の先に、キャリアの選択肢が広がる

こうした社外での活動は、目の前の経験だけでなく、中長期的なキャリアにも影響を与える可能性があります。

例えば、次のような道です。

本業への還元

社外で得た知識や人脈、異なる業界の考え方を会社に持ち帰る。

それが、新規事業やDX推進、組織改革などに生かされることがあります。

パラレルキャリア

本業を続けながら、講師や地域団体の活動、社外のプロジェクトなどにも関わる。

複数の活動の場を持つことで、自分の能力を生かせる領域が広がります。

独立・専門家としての活動

専門知識や実践経験、社外で築いた信頼を生かして、独立やコンサルティングに挑戦する。

もちろん、社外活動をしたからといって、仕事の依頼や顧客が自動的に増えるわけではありません。それでも、活動を通じて築いた実績や人とのつながりが、新たな機会につながる可能性はあります。

地域や業界をつなぐ役割

企業、行政、大学、地域の団体などをつなぎ、それぞれの知識や資源を組み合わせる。

一つの組織の中だけでは実現しにくい取り組みを、異なる立場の人たちと協力して形にしていく役割です。

こうした選択肢は、会社の中で与えられる機会を待つだけでは、なかなか見えてこないかもしれません。

社外に出て人と出会い、経験を積むことで、自分にできることや、これから進みたい方向が少しずつ見えてくる。

行動することは、キャリアの選択肢を増やすための一つの方法なのだと思います。

私が、行動できる人に敬意を抱く理由

誰かの活動を外から眺め、感想を述べることはできます。

しかし、自分で企画を立ち上げ、人を集め、実際に運営するとなれば話は別です。

準備には時間がかかります。

思いが伝わらないこともあれば、参加者が集まらないこともあるでしょう。周囲から理解されないことだってあるかもしれません。

それでも、自分の考えを形にしようと動く。

その姿勢に、私は深い敬意を抱きます。


「環境が整ったら動こう」

そう考えているうちに、時間だけが過ぎてしまうこともあります。

一方で、完璧な準備ができていなくても、できる範囲で一歩を踏み出す人がいます。

もちろん、行動しないことが常に悪いわけではありません。立ち止まって考えることも、休むことも必要です。

それでも、自分の思いを実現するために、リスクや手間を引き受けて動く。

その姿を見ていると、言葉で語ることと、実際に行動することの間には、大きな違いがあると感じます。

だからこそ、私は彼らの姿に惹かれるのだと思います。

おわりに――自分の歩幅で、小さく動く

彼らのように、いきなり先頭に立って大きな旗を掲げる必要はないのかもしれません。

自分にできることも、使える時間も、人それぞれです。

まずは、関心のあるコミュニティに足を運んでみる。

仕事で考えたことや、学んだ知識を、自分の言葉で発信してみる。

誰かの活動に参加し、小さな役割を引き受けてみる。

そんな一歩からでも、世界は少しずつ広がっていくはずです。

私にとって、このブログで考えを整理し、外に向けて発信することも、その一つです。

書くことで、自分の考えが整理される。

発信することで、これまで接点のなかった人にも届くかもしれない。

それもまた、私なりの小さな挑戦です。

行動力のある仲間たちを見て、「すごいな」と感嘆するだけで終わらせない。

彼らと同じことをする必要はなくても、自分にできる一歩はあるはずです。

いつか環境が整うのを待つのではなく、今の自分にできることから始めてみる。

仲間たちへの敬意を胸に、私も自分の歩幅で、一歩ずつ進んでいきたいと思います。



私の勤める拠点で、ある業務を長年統括してこられたキーパーソンが、早期退職されました。

現在、その業務は私のチームが中心となって対応しています。大きなトラブルはありません。

ただ、日々の対応を重ねるほど、あることを実感するようになりました。

この業務は、仕組みで廻っていたのではなく、人で廻っていた。

手順書も、ルールも、様式も、会議体もありました。

それでも、実際に物事を前に進めていたのは、「あの人に聞けば分かる」「あの人が言うなら動こう」と思わせる、その人の経験や人望でした。

品質マネジメントシステム(QMS)の事務局という立場にいながら、足元でこの問題を痛感することになったのは、皮肉でもあり、学びでもあります。

暗黙知と関係資本。二つの「人のチカラ」

「人のチカラ」とひとくくりにしていましたが、整理してみると、大きく二つに分けられそうです。

① 暗黙知(能力・経験)

どの案件にリスクがあるかを見抜く勘

例外的な事態に対応する判断基準

過去の経緯や失敗から得た知識

経験を積んだ人ほど、こうした知識を自然に使いこなしています。しかし、本人にとって当たり前になっているため、言葉にするのが難しいこともあります。

経営学では、野中郁次郎氏らの研究で知られる「SECIモデル」が、暗黙知と形式知の相互変換を考える手がかりになります。

② 関係資本(人望・信頼)

気軽に相談できる関係

部門を越えて協力を得られるつながり

「あの人の頼みなら」と周囲が動いてくれる力

こちらは、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)という考え方にも通じます。

知識や経験だけでは、仕事は前に進みません。周囲との信頼関係があってこそ、判断が実行に移されることもあります。

この二つは、どちらも重要ですが、仕組みに引き継ぐ難しさは異なります。

経験や判断基準は、時間をかければ言語化できる部分があります。

一方、人望や信頼関係は、手順書に書いてそのまま引き継げるものではありません。

「置き換える」のではなく「分解して、再配置する」

では、人のチカラをどうすれば組織に残せるのでしょうか。

考えた末、現時点では、個人の機能を丸ごとコピーするのではなく、三つに分けて考えるのがよいのではないかと思っています。

1.判断を「見える化」する

まずは、キーパーソンが経験から身につけた判断を整理することです。

例えば、次の三つを問いかけてみます。

どんな情報を見ていたのか

何と比較していたのか

何を根拠に判断していたのか

最初から完璧な手順書を目指す必要はありません。

すべてを言語化するのは難しくても、重要な判断基準が少しでも見えるようになれば、後任者が迷う時間を減らせます。

大切なのは、文書を増やすことではなく、経験の中に埋もれていた判断のポイントを共有することです。

2.情報の流れを「人経由」から「仕組み経由」に変える

「あの人に聞けば分かる」という状態は、情報が特定の個人に集中している状態でもあります。

これを少しずつ変えていきます。

案件の経緯を一か所で確認できるようにする

判断した理由を記録に残す

相談窓口を個人名ではなく、役割やチームで明確にする


こうした取り組みは、QMSとも深く関係しています。

もちろん、ISO 9001が特定の文書管理方法や情報共有の仕組みを一律に指定しているわけではありません。

それでも、組織の知識を個人だけにとどめず、必要な人が利用できるようにするという考え方は、今回の課題に重なります。

QMSを運用する立場にいながら、こうした問題を自分たちの身近な課題として改めて考えることになりました。

3.関係資本は「移転」ではなく「再構築」する

難しいのは、こちらです。

人望や信頼は、前任者から後任者へ、そのまま移せるものではありません。

新しい体制で、改めて関係を築いていく必要があります。

ただし、再び一人の人望に頼るだけでは、同じ問題を繰り返しかねません。

例えば、

現場との対話の機会を定期的に設ける

個人ではなくチームとして相談を受ける

小さな約束を守り、着実に信頼を積み上げる

こうした取り組みを、日常の業務に組み込んでいくことが考えられます。

個人が持っていた信頼を、そのまま引き継ぐことはできなくても、信頼が生まれる仕組みはつくれる。

そう考えれば、関係資本も組織として育てていけるのかもしれません。

PDCAで言えば、いまは「C」の時期

振り返ると、私たちの組織は「P(計画)」と「D(実行)」には力を入れてきました。

一方で、「C(評価)」と「A(改善)」では、業務がどれほど特定の人に依存しているかを、十分に点検してこなかったように思います。

そこで、これからは次のような問いを定期的に投げかけてみたいと考えています。

担当者が1か月不在でも、業務は廻るか

判断の根拠を、本人以外が説明できるか

「あの人しか知らない」ことは何か

こうした点検は、業務継続の観点からも意味があります。

特定の人がいなければ業務が止まる。その状態を把握し、影響の大きさに応じて対策を考える。

つまり、属人性を組織のリスクとして捉えるということです。

問題が起きてから慌てるのではなく、平時から弱点を把握しておく。それも、QMSの継続的改善につながるはずです。

仕組み化と現場の負担。その間で悩む

ここまで書いてきましたが、正直に言うと、まだ答えは出ていません。

仕組み化を急ぎすぎれば、現場に「また書類が増えた」という負担感を生むかもしれません。

反対に、今までどおりのやり方を続ければ、次のキーパーソンがいなくなったとき、同じ問題が起こる可能性があります。

どこまで標準化し、どこからは人の経験や判断に委ねるのか。

そのバランスを見極めるのは、簡単ではありません。

もう一つ、考えさせられたことがあります。

早期退職は、本人にとって人生の選択です。当然、その意思は尊重されるべきものです。

一方、組織にとっては、これまで誰かに頼っていた仕事や、十分に仕組み化できていなかった部分が見えてくる機会にもなります。

退職する人の問題ではなく、残る組織が考えるべき問題なのだと思います。

私自身も50代。いずれ、自分が職場を離れる日が来ます。

自分がいなくなっても業務が廻る仕組みを残すこと。

それは、単なる引き継ぎではなく、自分が積み重ねてきた仕事の仕上げなのかもしれません。

まとめ

今回の経験から、考えたことを整理しておきます。

暗黙知は、判断の見える化や情報共有によって、組織に残せる部分がある。

関係資本は、そのまま移せない。チームとして信頼を築く仕組みが必要になる。

属人性は、業務継続のリスクとして定期的に点検する。

仕組み化は、書類を増やすことではなく、必要な知識と協力が途切れない状態をつくること。


まだ、明確な答えを出せたわけではありません。

それでも、今回の経験を通じて、仕事を廻すことと、仕事が廻り続ける仕組みをつくることは、別の課題なのだと気づきました。

この悩んでいる過程も、記録に残しておこうと思います。

同じように、特定の人の経験や人望に支えられている職場で働いている方は、どのように知識や信頼を次の世代につないでいるでしょうか。

ぜひ、皆さんの考えも聞かせてください。


広島出身の硤合憲三さんにノーベル化学賞

10月7日、2026年のノーベル化学賞が発表されました。

受賞したのは、東京理科大学名誉教授の硤合憲三さんと、フランスのアンリ・カガン名誉教授です。

硤合さんは1950年生まれの広島県出身。授賞理由は「不斉有機合成における非線形効果および自己触媒作用の発見」です。

簡単にいえば、分子の「右手型」と「左手型」のうち、一方を増幅していく化学反応を明らかにした研究です。

生命を構成するアミノ酸などが、なぜ片方の「型」に偏っているのか。その謎を考えるうえでも重要な研究とされています。

同じ広島県出身の方が世界的な舞台で評価されたことは、ひとりの広島人として素直にうれしいニュースでした。

ただ、ニュースを見ているうちに、別のことが気になってきました。

ノーベル賞の賞金は、いったいどこから出ているのだろう。

そして、

なぜ125年も続けられるのだろう。

2026年の賞金は1,200万クローナ

2026年のノーベル賞は、1部門あたり1,200万スウェーデン・クローナ。

2025年までの1,100万クローナから100万クローナ増額されました。

硤合さんとカガンさんは2人で受賞したため、賞金は等分されます。

1,200万クローナを1クローナ=約15円で単純換算すると、約1億8,000万円。

2人で分けるので、1人あたり約9,000万円です。

ノーベル賞には、

物理学賞
化学賞
生理学・医学賞
文学賞
平和賞

の5つがあります。

一方、経済学賞は少し事情が違います。

正式名称は「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」で、1968年にスウェーデン国立銀行が創設したものです。

つまり、アルフレッド・ノーベルの遺言に記された5部門とは別の賞です。

2026年は5部門だけでも、賞金総額は6,000万クローナになります。

しかも、これだけではありません。

選考委員会への報酬や授賞式、事務局の運営などにも費用がかかります。

では、そのお金はどこから出ているのでしょうか。

原資はアルフレッド・ノーベルの遺産

話は19世紀に戻ります。

アルフレッド・ノーベルは、スウェーデン生まれの化学者・発明家・実業家です。

ダイナマイトの発明などによって財を築き、1896年に亡くなりました。

そして遺言で、自分の財産の大部分を基金にして運用し、その収益を人類に大きな貢献をした人々への賞金として配分するよう指定しました。

ノーベルの遺産は、財団設立時には約3,100万クローナ。

現在の価値に換算すると、約22億クローナとされています。

重要なのは、ノーベルが単純に「財産を毎年使ってください」としたわけではないことです。

財産を基金にして運用し、その収益を賞金にする。

ここに、ノーベル賞が長く続いてきた秘密があります。

もし元本を取り崩していたら?

仮に3,100万クローナをそのまま取り崩して、毎年賞金を支払っていたらどうでしょう。

もちろん、125年も続くはずがありません。

そこでノーベル財団は、残された資産を運用してきました。

そして現在、その規模は驚くほど大きくなっています。

2025年末のノーベル財団の総投資資本は、

約67億4,400万クローナ。

日本円にすると、1クローナ=約16.8円として約1,130億円です。

125年前の約3,100万クローナから、大きく成長しています。

もちろん、ずっと右肩上がりだったわけではありません。

市場が下落する年もありましたし、インフレや税負担によって財団の資産が厳しい時期もありました。

「賞金だけ」なら資産の約0.9%

ここで面白い数字があります。

2026年の5つのノーベル賞の賞金総額は、

1,200万クローナ × 5部門=6,000万クローナ。

これを約67億4,400万クローナの投資資本と比較すると、

約0.9%

です。

つまり、賞金だけを見ると、財団の資産に対する年間の取り崩し負担は1%未満です。

ただし、財団には賞金以外の支出もあります。

2025年の賞金、選考委員会への報酬、授賞式、運営費などを合わせた支出は約1億4,810万クローナでした。

資産に対して約2.2%です。


「賞金だけなら約0.9%、財団全体の支出なら約2.2%」

と考えると分かりやすいでしょう。

しかも、かなり分散して運用している

では、その巨大な資産をどう運用しているのでしょうか。

2025年末の資産配分を見ると、

株式ファンド:約56%
不動産・インフラ:約8%
債券・現金:約13%
オルタナティブ:約22%

などとなっています。

株式だけに集中しているわけではありません。

不動産やインフラ、債券、ヘッジファンドなどを組み合わせて、長期的な運用を行っています。

財団が掲げる運用目標は、

インフレを差し引いた実質ベースで、長期的に年3%以上のリターンを確保すること。

です。

もちろん、毎年3%以上増えるという意味ではありません。

実際、2025年の投資資本の運用収益率は約0.9%でした。

2024年は11.6%でしたから、年によって大きく変動します。

だからこそ、短期ではなく長期で考えているわけです。

実は「賞金を減らした時期」もある

ここは、ノーベル財団を考えるうえで重要なところです。

「投資しているから、永遠に賞金を払い続けられる」

という単純な話ではありません。

2012年には、ノーベル賞の賞金が1,000万クローナから800万クローナへ引き下げられました。

財団の財務基盤を強化するためです。

その後、資産が回復すると賞金も徐々に引き上げられ、2023年には1,100万クローナに。

そして2026年には1,200万クローナとなりました。

つまり、

賞金額も財団の財務状況に合わせて調整されてきた

のです。

「尽きない仕組み」というより、

尽きないように、賞金額や運用方法を調整し続けてきた仕組み

と考えたほうが正確でしょう。

「永続する基金」の設計

経営学を学んだ身として見ると、ここには個人の資産運用にも通じる考え方があります。

ポイントは3つです。

① 取り崩し率を意識する

資産に対して、毎年どれだけ使うのか。

ノーベル財団の場合、2026年の賞金だけなら資産の約0.9%。

財団全体の支出でも、2025年は約2.2%でした。

② インフレを考える

資産が名目上増えていても、物価がそれ以上に上がれば実質的な価値は減ります。

だからこそ、ノーベル財団は「インフレ調整後で年3%以上」という長期目標を掲げています。

③ 分散して長く運用する

株式だけに賭けるのではなく、債券、不動産、インフラ、オルタナティブなどに分散する。

そして、1年の成績ではなく、何十年という時間軸で考える。

この考え方は、個人の資産形成にも通じるものがあります。

私の場合に置き換えてみると

私自身、早期退職やSide FIREを考える年代です。

これまでは、

「資産はいくらあれば足りるのか」

と、どうしても総額に目が向きがちでした。

でも、ノーベル財団の仕組みを見ていると、

資産総額だけでなく、「毎年いくら使うのか」を考えることが大切

だと改めて感じます。

1億円の資産があっても、年間1,000万円使えば10年で元本が尽きてしまいます。

一方で、年間300万円程度の支出なら、運用しながら長く資産を維持できる可能性があります。

もちろん、個人とノーベル財団はまったく同じではありません。

財団には寿命がありません。

専門家が運用しています。

そして、個人には病気や介護、長生き、税金など、財団にはないリスクもあります。

ですから、ノーベル財団の仕組みをそのまま個人に当てはめることはできません。

それでも、

「資産をいくら持っているか」だけでなく、「その資産から毎年どれだけ取り出すのか」を考える。

これは、個人の資産形成にも参考になる考え方だと思います。

ダイナマイトの富が、125年後も働いている

アルフレッド・ノーベルが残した財産は、今では約1,130億円規模にまで成長しています。

その資産から生み出されたお金によって、毎年、世界中の研究者や文化人、平和活動家などが表彰されています。

ダイナマイトによって築かれた財産が、125年後には「人類に最も大きな貢献をした人」を称えるために使われている。

そう考えると、少し不思議な感じがします。

そして、今回の硤合憲三さんの受賞をきっかけに、ノーベル賞の「賞金」にも目を向けてみました。

そこで見えてきたのは、単に「大きな財産があるから賞金を払える」という話ではありませんでした。

元本を守りながら運用する。
インフレに対応する。
支出をコントロールする。
市場が悪いときには賞金額も調整する。

そんな地道な仕組みが、125年という時間を支えていました。

お金は、ただ持っているだけではありません。

使い方と仕組みを決めれば、世代を超えて働かせることができる。

今回のノーベル化学賞のニュースは、そんな「お金の時間軸」まで考えさせてくれる出来事でした。