2週間の安静生活はとても辛かったです。







バルーン効果は数日でなくなり、吐き気は止まったものの、頭痛はBP前よりは良いものの、やはり毎日痛かったです。






手の振戦はBP前からあったもののBP後も治らずとても不快でした。



てんかんで振戦が起こる場合もあるのでてんかん専門医に相談したところ、脳波には異常は認められず、手の振戦はてんかんではないという所見でした。


安静生活が終わり、学校に行くことになりましたが、最初は体力がなかったので学校を早退することもしばしばありました。




私は卓球部に所属しておりましたが、早退してしまうことがあったので部活に参加できないことが多かったです。
ですが小学校の時からクラブチームに所属していたため、部内では1位、2位の成績をおさめることができました。BP後は部内で1位をとることができました。大会では、体調がよく出られる場合は3位以内に入っていました。
ライバル校がいて、団体では毎回接戦だったものの、いつも2位でした。


BP後、大会があり、その大会に出るためにBPの日程を調節していました。顧問の先生もAチームで出させてくれるとのことだったので、BP後は部活がない日でも、みんなで練習しに行って、これなら勝てるという思いで前日を迎えました。


ですが前日顧問の先生に呼び出され、

あなたは大会には出させない

そう言われました。あなたは手術をしたから。そう言われました。大会に出るために手術をしたのに、ドクターも大会にでていいよって言ったのに…



私は納得などできず、チームのみんなも納得できずその日はAチームみんなほとんど部活に参加せず顧問と話し合いました。みんなも先生を説得してくれましたが、それは叶わず私は大会に出ることができませんでした。






確かに私は病気です。手術もしました。でもその手術のおかげで、体調も前よりかは良くなり、部活にちゃんと参加していたのになぜ私が大会に出ることができないのか全く意味がわかりませんでした。


その大会の結果は2位…


またライバル校に負けて2位でした。私は応援にまわり応援してたもののなぜか顧問に2回ほど、あなたがいるからチームの輪が乱れるなど言われ怒られました。その先生は理解がなく、病状を説明していた時に珍しい病気なんです。と伝えたところ


あなたは運がいいのね


と笑って言われました。その顧問の先生の言葉はとても傷ついたし、私が病気じゃなければ、なんで私が病気になったのと、何回も何十回も思いました。






なんで自分が脳脊髄液減少症になり、こんな辛い、悔しい思いをしなければいけないのか、なぜこんな病気をバカにしてくる人が健康でのこのこ生きられのか。
全く理解ができません。何も悪いことをしていないのに。そう思う毎日でした。






試合を出してくれない理由のひとつに、部活にちゃんと参加できていないという事でした。私としては倒れないように、調整してたところもあります。でも出してくれないなら無理して部活に参加するしかありません。5カ月後の引退試合にはどうしても出たいので、調子がかなり悪い時でも無理して部活に参加するようになりました。