霊感商法が社会の悪としてピックアップされている。

 

その霊感商法、客観的視点で見る限りは悪に分類されるのだろが現実には容易に判断ができるものではない。

 

宗教的要素が混じっている以上、明確な基準の設定は極めて困難である。

 

フランスの反セクト法を引き合いに日本も法整備をするべきだという声もあるようだが、日本のように八百万神、神道の国には馴染まないだろう。

 

昔、エホバの証人の信者が宗教上の理由から輸血を拒否する意思表示をしていたにもかかわらず、病院側が救済を優先、無断で輸血をしたことが裁判沙汰になった。

 

信者は輸血をしなければ死ぬかもしれないという覚悟も事前に承知した上で手術に臨んだが、術中に多量の出血を伴ったことで輸血を行ったとされている。

 

この裁判、最高裁での判決で自己の宗教上の信念に反した行為であり、原告の人格権を否定したものであるとし病院側が敗訴したということがあった。

 

宗教とは人生観そのものを左右、支配し得る重要なものであり、個人がどのような意思、思考をもって入信、信仰しようとも第三者が軽々に関与できないというのが判例で示されている。

 

人がそれをカルトと見做そうが、当事者の意思に反する行為に楔を打ち込むのは尋常ではないことを踏まえ、洗脳されないために何が必要かを考えることが肝要だろう。