名古屋のシャンパンラウンジ琥珀です。
最近、仕事の意味をよく考えることがあります。仕事を通して人に何ができるか、世の中に何ができるかなんてことを考えてみることが多いです。
親と会話をしていて、思い出した記憶があるのだけど、若い頃に少しだけ結婚式関係の仕事をかじったことがありました。忘れていたくらいの短い期間の記憶なのだが、あの時も無意識に人が幸せと隣合わせにいることを望むような仕事に憧れていた気がします。
現在、シャンパンを選んだのも大してぶれてなくて、人が幸せと思える瞬間の傍らに身を置きたいと考えている自分が居ます。
シャンパンは祝い酒だし、幸福感が高いイメージの酒だと思います。
でも、実際は人間と言うものはとても複雑で、とても表現し難い生き物。
色々な感情でシャンパンを飲みに来ています。
張り裂けそうなくらい悲しみが溢れている人や、笑顔なんだけど何だか寂しそうに見える人、孤独で辛そうに見える人も居ます。
勿論、シャンパンや空間に癒しを求めてらっしゃる人も沢山居ます。
私は、人がなぜ飲みたくなる心境なのかをよく考えます。
そして、少しでもその人の助けになれることを探します。
景気の悪化や、物価上昇、生活様式の激変、それに伴う喪失感や孤独、不安。
人間関係や夫婦関係、やり場のない表現しきれない感情。ハイになりたい、楽しくなりたい…。
様々な理由から人は飲みたがり、現実逃避したがり、生きています。
お酒と言うものは合法的にそれらを一時的に解決してくれる方法論です。
ハッピーな側面だけではないけど、やはり美しい泡は気分を改善してくれます。
数日前、閉店の時帰りたくなさそうなサラリーマンの新規の方が居て、何となく気分を
察して「片付けている間、飲んでて良いですよ」と会計後だが、出せるお酒を出してあげたことがある。
なぜかそうしたくなったから。
別件で、この前「久々に顔を見に来ました」と言ってくれた女性がいたのだが、接客の流れ的に大して会話ができなかったようにも思った。
彼女は毎日、飲んでますと言っていたが、その日もわさわざ伏見でシャンパン飲む理由があったのだろう。でも、彼女はとても良い笑顔だった。バタバタしてた時だったから、悪かったなあと今でも思っている。
何が言いたい文章かよくわからなくなってきたが、とにかく今日も誰かを接客して、何かを思うのだろう。
本日も17時から営業です。
今日も誰かにお会いしたいでものです。