労働意識の在り方
■ 「成果型賃金に合理性」・東京高裁判決
http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/top/index.cfm?i=2006062209178b1
( from NIKKEI BIZ PLUS )
個人的感想だが、
この判決は
「 至極当然 」 、と感じる。
資本主義社会において、
「 働かざるもの 食うべからず 」
という単純概念は、
未来永劫に保たれるべき。
会社は、
ボランティアで
人を雇っているんじゃない。
「 労働力 」に対して、
「 対価 」を払っている。
シンプルに。
対価は、労働力に比例して払われるべき。
それが、元々当然のはず。
それが資本主義の成り立ちであり、
経済市場の基本中の、基本。
そこにいるからというだけで
お金をもらえると想うのなら、
それは甘えとしか感じない。
もちろん、
正当な労働力を収めておいて
然るべき成果が反映されていない、、、
というのは大問題であり、
訴えるのは至極当然。
私も、本気で掛け合い、訴える。
しかし成果主義において、
会社が正当な判断を下す
という前提条件の下で、
賃金が低いと嘆くのは
危機感を持った方がいい。
イコール、
会社にそれだけの貢献しか
できていない、という事。
それだけしか
その人にはお金を払えない、
と見られているという事。
会社が正当な判断をするなら、
払うべき相手には
然るべき報酬を支払うもの。
その人の一層の発奮の為にも。
その人を繋ぎとめる為にも。
年功序列か成果報酬か
という点は、
会社が決めて当然。
支払側が決めるべき事。
入社時には年功序列でも、
会社の約款に
「永久に年功序列を保障する」
とでも無い限り、
経営状況や時代の変化によって
成果報酬に変わったとしても
それ自体には何ら問題は無い。
働く度合いは、人それぞれ。
然るべき労働を行い、
然るべき対価を受け取る、
何処まで働くか、
何処まで上を目指すかは
その人次第。
別に上を目指さなくても
その人がそれで良いのなら、
会社にとって然るべき労働力を
提供してくれれば
会社にとってそれで十分嬉しい。
ただ、
望む対価ほどに
会社に労働力を提供できていないなら、
正当な判断が下される前提の元で
会社にそう判断されたなら、
それは自らの問題とも受け取るべき。
単純に対価を訴えるべきではない。
会社は、
社員が「ただそこにいる」から
対価を払っているのではない。
社員が「業務に貢献してくれる」からこそ
対価を支払うもの。
今後の経済市場において、
移り行く時代において、
そこにいるから対価を支払う、
そういう観念では
個人も、そして企業も
生きてはいけないだろう。
度合いは人それぞれでいい。
その人が望むだけの度合いでいい。
それぞれの対価分は
それぞれが労働を収め、
会社が正当な判断を行い、その対価を納める。
その、
然るべき資本主義の在り方においても
今回の判決は、
至極当然だと感じる。
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さて
週末もきた事だし、
気分転換にも (^^ )
◎ 今日の一曲 ◎ カッテニシンコーナ~
Ace Of Base
http://ameblo.jp/hiroblo/entry-10006948292.html
~ Lucky Love ~
http://www.youtube.com/watch
AOB の中でも、
俺の中で三本の指に入る一曲。
車で、部屋で、
よく口ずさんでますが、
心を優しく癒やしてくれる曲やね。(^^ )
あと、
妹の LINN (キンパツノホウ)が、、、
・・・イイねぇ。。(笑) (´ω`)ムフ