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『さよならの朝に約束の花をかざろう』 
あの花、ここさけ、脚本家の岡田麿里、初監督作!
新宿バルト9に於いて鑑賞



ファンタジーとしての世界観・種族観が秀逸!

でもって、母親(シングルマザー)の愛情や営みだったり、子供の成長だったり、あと戦争も……人々の暮らし向きや、心の中はとてもリアル。個人的にファンタジーであっても、人の思いは現実世界となんら変わりない!という構造はとても好み!


ストーリーは所々引っかかるところもありましたが、画があまりに綺麗すぎて!!!
特にイオルフの里の美しさ!
常に朝日の様な強い光が差し込んでいる空想世界から物語が始まることで、これからマキアが放り出される外の現実世界との対比がとても感じられました。


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もはやこの映画の感動ポイントについては語り尽くされているので、省略します。
僕は、今回の『さよ朝』の中で最も重要且つ1番好きなファンタジー要素だった「ヒビオル」について考察しようと思います。


*ヒビオルとは?
イオルフの民が織る特殊な布のこと。とても高価。彼女たちはヒビオルを織ることを生業としているらしい。
特筆すべき点は、織った布の中に文字を刻みこむことができるということ。イオルフの民は日々、里の聖堂のようなところで布を織りながら文字を刻みこんでいる。ヒビオルとは綺麗な反物であり、日記のようなものでもあるのです。


しかし物語序盤、観客である私たちにヒビオルをただの布として捉えさせない衝撃的な台詞があります。主人公であるイオルフの少女・マキアが孤児になったエリアルと出会った時に発した「私のヒビオル」という台詞。この台詞によって、ヒビオルという物質の性質が一気にあやふやになる。え?布のことじゃないの?(笑)


ここからは僕独自の推論ですが、僕はヒビオルを以下の様に考えることにしました。
「ヒビオル」=「〇〇を愛した人生の記録」

マキアは優しすぎるほど優しい少女です。
彼女以外にも、イオルフの民はみんな極端な性格をしている様に思う。誤解を恐れずにいえば、偏った愛情を抱えたキャラクターが多いと思う。

例えば、家族でも、恋人でも、国でもいいですが、自分が愛する何かについての言葉をヒビオルに綴り続けているために、極端な愛情を持った人間になりやすい。というのがイオルフの国民性だとしたら。
マキアは博愛な心の持ち主で、その優しい気持ちをヒビオルに日々織り込んでいたからこそ、より優しい人間になったんじゃないでしょうか。

話を元に戻します。そう考えるとあの台詞は
「私のヒビオル」→「あなたを愛することを私の人生の記録にする」と意訳できます。未来形ですね。
そうすると、キャッチコピーにもなっている「愛して、よかった」という台詞は「あの時、愛そうと決めたあなたを、愛してよかった」というニュアンスになり、より深みが増すように思います。


さらに、終盤の走馬灯の様なイメージシーン。通常だったら感動を煽るための、お約束な回想になってしまいがちですが、ヒビオルというキーアイテムがあることによって、シーンの理由付けがちゃんとなされているのも映画としてとても誠実だと思いました。人生の記録はヒビオルの中に綴られ続けていたわけだからね。



という風に!『君の名は。』よろしく、一般的な感動ポイントも抑えつつ!僕の様に映画オタク的視点で観る人間も満足させる『さよ朝』!
超絶おススメです!!
日本のアニメーションは凄い!!!!