2021日6月11日、横浜アリーナにて、いきものがかりのコンサートが行われ、参加してきた。(今回も敬称略で)

 

 


このコンサートは、ご存じの通り脱退するギター&ハーモニカ担当の山下穂尊を含めた3人体制の最後の公演であった。
元々「いきものがかり」の名前の由来は、リーダー水野と山下が小学1年生のときに「生き物係」を担当していたという共通点があったことによるものである。
その2人が別の道を歩むという決断は非常に重く、彼らの大きな分岐点となるコンサートともいえ、特別な公演となった。


 

 

 

たとえば「YELL」はどうだろう。
「さよならは悲しい言葉じゃない」という歌は学生の合唱曲を意識して制作されたものであるが、この日においては彼らの人生の物語として響いた。
「ありがとう」でも「3人体制で支えてくれた人への感謝」を強調しているように聞こえたし、3人ボーカルの「夏・コイ」はこの日をもってもう聴けなくなる(であろう?)、という貴重な演奏であった。


いきものがかりといえば幅広いファンの年齢層を考慮してか、他のアーティストが工夫しながらライブを行い始めた昨秋以降においても、有観客コンサートを行うことに対しては慎重な立場であった。
5月に行われる予定だった幕張メッセ公演も中止するなど、コロナ禍でのライブ活動が難しかったであろう立ち位置の音楽グループという印象がある。
山下脱退は4年ほど前から持ち上がっていた話だというから、かろうじて、しかも彼らの地元神奈川県で、区切りのコンサートが有観客で無事行われたことは、本人たちも話していたようにとても喜ばしいことであった。
それを目撃できたことについても、僕自身とても嬉しかった。

このコンサートの感動ポイントは、言うまでもなく山下脱退による「3人体制」の最後、アーティスト側からの様々な方への感謝であったり、ファン側からの感謝であったり、音楽の素晴らしさを超えた「愛」があちらこちらで行き交っていたところにあった。
僕も、彼らと年齢が近いこともあって、ともに同じ時代を生きている歌手、として常日頃親近感を感じており、思い出のある曲は数知れず、感謝の気持ちを抱きながら見ていた。
今回の公演は配信もされており、日本中いたるところで「愛」が行き交っていたかと思うと、心がとても温かくなる。



前置きが長くなった。



このように、今回のいきものがかりの公演は、3人体制の集大成、振り返り、の内容だった印象があり、改めていきものがかりは凄い音楽グループだな、と再認識した。
前述した通りいきものがかりのファンは年齢層が幅広く、今回の公演も客層は老若男女問わず、であった。
こういったファン層の年齢や性別の偏りがあまりない音楽グループは、実は他になかなかいないのではないか、と思ったときに、



いきものがかりが全世代受けしていることは、とても凄いことではないか?



と、考えたのであった。
何故こうなったのか、を改めて考察したくなった。
注目すべきは2点である。




①作詞作曲体制について


いきものがかりの強みは、水野良樹、山下穂尊、吉岡聖恵、全員が曲を書く、ということである。
具体的にいえば、リーダーの水野曲が代表曲が多くおよそ7割を占めていて、2~3割が山下曲で、1割弱が吉岡曲、という割合である。
ところが、曲を聴いても正直言って「誰がつくったか言われなければわからない」と、感じるのは自分だけだろうか。
水野曲が多いので「これも水野さんかな?」と思ったら「山下さんなの?」「えっ聖恵ちゃんもこんな素敵な曲書くんだ」のように、良い意味で驚きを感じることが多い。
いきものがかりに関しては、特に作詞作曲クレジットに注目したくなるアーティストだ

何故こんなに誰がつくったかわからないのか、について考えたときに、作詞作曲の体制にヒントがあると私は考えた。
作詞作曲は主に水野と山下と男性がつくり、女性の吉岡が歌う、というのが多いパターンであった。
よって、男性メンバーの水野山下は吉岡を通して何を伝えるか、を考えたときに、



あらゆる壁を越えた、普遍的なメッセージを届けること



に重きを置いていたように思うのだ。
彼らの歌は、まず男女の壁がなく、ひとりの人間が主人公であることが多く、男女関係なく共感できる曲が多い
「帰りたくなったよ君が待つ街へ、聞いてほしい話があるよ」「さよならは悲しい言葉じゃない」「ありがとうって伝えたくて、今ゆっくりと歩いていこう」と、主人公の性別は限定されない。
さらに、彼らの歌は同世代や年下世代にしかわからない言葉を使わない、ということもあり、年齢の壁をあっさり壊していく

とはいえ「コイスルオトメ」「気まぐれロマンティック」のような女性目線の可愛い曲もあるのだが、男性である水野作であることや、吉岡が「自身はこのような女性ではない」と発言していることから、表現の幅の広さの素晴らしさを思うだけで、特定のリスナー層をターゲットに絞った歌にはなっていない。

結果としてそうなったのか、あるいは目指していたものがそうだったのか、はわからない。
ただ、このような音楽づくりの体制ゆえ、



大衆に届く歌を奏でる音楽グループ



として認識された。
だからこそ、NHKの朝ドラや五輪テーマソング、紅白のトリ、合唱コンクールの課題曲に選ばれるなど、いわば


音楽業界の優等生


的な立ち位置にずっと君臨し続けた。
3人の誰がつくっても音楽性にブレはなく、つくりたい方向性にブレがなかったのも強みであったと言えよう。





②編曲の外注体制


今まで述べたことはいきものがかりを知っている人なら「何を今更」的な内容であるが、本当に僕が語りたかったのはこの編曲体制である。
意外とみんな注目しないところではないか、と思うのでここは熱く語っていきたい。

まず、おさらいとして楽器パートは、吉岡がボーカル、水野がエレキギター、山下がアコースティックギターとハーモニカ、という体制である。
当然このような体制だけでは音源が完成されないのでサポートメンバーが必要なわけで、ピアノやベース、その他楽器も臨機応変に入れていくわけであるが、注目してほしいのは編曲クレジットなのである。



SAKURA         編曲:島田昌典

コイスルオトメ     編曲:田中ユウスケ

気まぐれロマンティック 編曲:江口亮

YELL             編曲:松任谷正隆

ありがとう        編曲:本間昭光

風が吹いている     編曲:亀田誠二




このように、編曲が有名アレンジャーの単独クレジットであることも、いきものがかりを語るうえで欠かせない要素である
楽曲の制作映像を見たことがあるが、例えば水野が弾き語りで歌った歌を、そのまま編曲者に渡して完成形にしてもらっている。

これが、実はバンドサウンドを奏でるミュージシャンの中では、とても珍しい、という事実に気づく。
ベースやドラムがいない音楽グループではゆずポルノグラフィティコブクロなどがいるが、ゆずやポルノは編曲者と共同でアレンジをしているし、コブクロに関しては彼ら自身で行っているようである。

編曲を完全に外注し、それが曲ごとに違う、というのもポイントで、これをするとどんな素晴らしいことが起こるか、というと、



J-POPのおいしいとこどりのサウンドが完成される



ということになる。
耳馴染みの良いイントロや間奏、それに加えてメンバーの演奏、ということになり、より「みんなの歌」感が増すのである。
例えば「YELL」のイントロのピアノをユーミンの旦那さんである松任谷正隆さんが考えた、というだけで、いきものがかりにユーミンサウンドが加わり、より幅広い世代に受け入れやすくなった、とも言えないだろうか。

このようにいきものがかりの楽曲をひとつひとつには、メンバー3人に加えて、編曲者の存在感の大きさ、を思わずにいられないのである。
新作アルバム「WHO?」に関しても編曲者が見事にバラバラなので、その違いに注目しても面白いと思う。

そしてメンバーと編曲者の信頼関係はとても厚く、メンバーは全世代に届くポップサウンドを編曲者に求め、編曲者は作詞作曲者の意図を尊重し丁寧にアレンジされる。
この好循環が、上記したような楽曲の素晴らしい曲たちの完成に至るわけであり、今の全世代型ポップミュージシャンの位置を確固たるものにさせていると感じるのである。





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音楽は多様性が魅力であり、幅広い層に届くのも、ある一定の層にだけ届くのも、どちらもあるから面白いと思っている。
いきものがかりは言うまでもなく前者であり、幅広い層に届く曲づくりを追求したからこそ、今の立ち位置を揺るぎないものにしている

それでいて、彼らのキャラクターだろうか、カリスマと呼ばれる遠い存在ではなく、近いところで励ましてくれるような親近感を覚えるところがある。
全世代に幅広く受け入れられたことはかなり大きな偉業だと思うのだが、それでも近い場所にいる彼ら自身全く奢らない謙虚な姿勢であることも人気が続く理由のひとつだろう。

6月11日をもって山下はグループから離れ、吉岡水野の2人組ユニットとなるわけだが、不思議とショックな気持ちよりも「新しい人生を送るのを温かく見守る」という気持ちにさせられていたし、みんな同じような気持ちだった気がする。
グループの在り方に、我々一般人の人生に重ね合わせたりして、「そういうこともあるよね」と純粋に思えた。
温かい曲に染みると同時に、友達感覚、親近感を感じられる、バランスの良い素敵なグループであると思う。


最後に、ありきたりなまとめにはなってしまいます。

新生いきものがかりと、山下さんの今後の人生が、より良いものになりますよう応援していきたいと思った次第です。

 

 


山下さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。