年末恒例のCOUNTDOWN JAPAN のフェスに行くことを、断念した。
9月から12月上旬にかけて、コンサートに行った結果、自分の性格やとりまく環境を考慮して、判断した。

(追記:この記事を書いた翌日に、中止が発表されました)

フェスやコンサートについては、年末年始に関して、ここのところの感染者増加により中止する決断を下したところもあり、それはそれで英断ではあるものの、コンサートを予定通り決行する、というもの責められるべきではないと思っている。
前のようにヒステリックな同調圧力により「他がやめてるんだから中止しろ」論は、暴論であり正義感の押し付けである。
(もちろん、「やめるべきだ」と勝手に思うだけなら個人の価値観なのだから問題はない。押し付けがよくないと言っているまでだ)
複数回コンサートに足を運んだ限りでは、これでもかというほど感染症対策に力を入れていて、実際コンサートで感染という話は聞かない。

さて。

コロナ禍にコンサートを行った感想は、生音を浴びて素晴らしいもの、と前の記事で書いたが、


11月22日 BAYCAMP(フェス、ぴあアリーナ)
12月13日 あいみょん(さいたまスーパーアリーナ)


この2つのコンサートに行って、コンサートの内容そのものではなく、その場所やイベント主旨からくるストレス、これを感じてしまったがゆえ、純粋にコロナ以前のように「楽しかった」で終わらなかった。
どういうことか、コロナ禍のコンサートを「ストレス」という観点から書いてみようと思う。



~アリーナクラスのコンサートの場合~



人気アーティストであればあるほど、収容人数が多い会場でコンサートを行いがちである。
ただ、キャパが6千人くらいの東京国際フォーラムと、キャパが1万人を超えるさいたまスーパーアリーナでは、


ぱっと見、密集


というのが、視野でわかる。
もちろん、席は隣とひとつずつ空けてあるし、入場や退場時には規制退場があるので、かなり安全に気を遣っているのはわかるし、リスクは限りなく低いのもわかっている。
でも何故ストレスを感じるか、といえば、コロナの不安ではなく、人ごみにいることの落ち着きのなさ、に起因していると、後になって思った。

我々は3月ごろから、「密集」を避けろ、と言われ生活してきたし、withコロナであってもやむを得ない事情がない限り「密集」の場所は自ら飛び込んで行くことを避けている人が多いのだと思う。
それが、ソーシャルディスタンスを保っていて大丈夫、と言われていても、人がかなりいる空間にいる、という状況が、リラックスできなくなってしまったのだ。

アリーナクラスの空間は、そんなに頻繁に行くことがないゆえ、コロナ禍で人がたくさんいることで緊張してしまい、演奏中であってもリラックスできる体ではなくなってしまった。
これが何よりも悔しかったし、誰もせいでもないし、なんとも微妙な気持ちにさせられた。

とはいえ、あいみょんの「マリーゴールド」で感涙して、それなりに楽しんでいたことは付け加えておく(笑)
僕は、楽しかったと同時に、以前みたいにストレスフリーではない状態になってしまったことを嘆いているだけである。




~室内の音楽フェスの場合~



11月22日、おそらく日本で初めて行われたコロナ禍における本格的室内フェス、BAYCAMPというフェスに参加してきた。

 

 

が、正直言って


フェスはワンマンとはわけが違う


と考えている。
先ほどアリーナクラスのコンサートでストレスを感じたことを嘆いたが、それは「若干」である。
しかし、フェスで感じる「ストレス」の場面は、僕にとって多かったと言わざるを得ない。


ワンマンコンサートになくてフェスにあるもの、

①人の大量移動の発生
②長時間である
③飲食時間がある


この3点は、「フェス」とはそういうもの、という認識を持たないといけない、と思いを新たにした。


①人の大量移動の発生

フェスがワンマンライブと違うのは、指定席ではなく複数のステージがある以上、人の大量移動が避けられない、ということである。
BAYCAMPでは、ずっと同じ席にいようと思っていたが、アクトごとに人の出入りが発生する。
早く出たい、入りたい、トイレに行きたい、いろんな人がいろんな行動をしだすので、正直言ってソーシャルディスタンスは守るのは難しい、と言わざるを得ない。
混雑する電車のホームをイメージしていただければわかりやすいのだが、どんなに気を付けていても「密」が発生する。

遠くでこの現象を見ていた場合でも、この1年「密」をさけて生活していた私たちは、久しぶりに目にする人の大量移動に、大きな圧迫感を感じかもしれない。


②長時間である

もちろん、途中から参加したっていいし、途中で帰ったっていいのだが、フェスの醍醐味は、長時間でありいろんなアクトを見ることができることであった。
が、皮肉にもその長時間であることが、コロナ禍においてはストレスになるかもしれない。

①の「密」の発生のたびに「大丈夫なのか」と不安に駆られる場面もしばしば。
会場の中は人が多いので、見たいアクトがないときにリラックスするのがとても難しい。
基本的に日本人は真面目なので、わりと感染対策をしっかり守ってる人が多いが、わずかでもパリピのように騒いでいる人がいたら、それを見てストレスになることもあるだろう。


③飲食時間がある

コロナ禍においては、むしろコンサートでの感染の話は聞かず、会食により感染を広げているのだそうだ。
フェスはフェス飯として多くの屋台が出ており、それがフェスの醍醐味ではあったが、これがまた皮肉にもストレスになりえると感じる。

もともと不安を抱えながら参加しているのに、その会場でマスクをとって飲食をするのだ。
感染症に気を遣い構造上はフードコートと同じであるとはいえ、フェスのフードエリアで飲食をすること自体が、大きなストレスになるかもしれない




と、ここまで不安を煽るようなことばかり書いたが、トリのキュウソネコカミで跳ねて飛んだり、とライブの醍醐味を久しぶりに感じたので、途中会場外に出るなどうまく工夫しながら、楽しい一日であり、行ってよかった、と感じたことも付け加えておく(笑)
僕が、コロナ前のフェスとは違う戸惑いを感じた、ということを率直に書いたまでである




最近、思うことがある。
コンサートなどのイベント興行は、感染症対策に留意しつつ、確かに前進した。
だがそれは、運営側の努力だけでは足りず、参加者側の協力やモラルの徹底なども欠かせず、双方の努力のもと、進んでいくものなのだろう、ということである。
よく「コンサートは演者とスタッフとオーディエンスでつくりあげるもの」と言われるが、この言葉がコロナ前と意味を少し変えて、説得力のある言葉として響く。

僕は、上記の文章で確かに「フェスなどでストレスを感じた」と書いた。
だが、それは運営側も手探りでやっていて、僕らもどういうものかわからず手探りで参加して、という状態なので、ある程度仕方がないものである。
もちろん「全然ストレスない」という人も、「コンサート怖くて行けない」という人もいるだろうし、ストレス耐性は人それぞれなのだが、有観客コンサートと並行して配信、ということも行われており、それぞれのふさわしい参加スタイルで、エンタメが歩みを止めずに確実に前進しているのは喜ばしい。

僕は、ストレスが多いと判断してCDJ行くのを断念したし、アリーナクラスのコンサート参加に対しても思うところは多い。
が、来年以降のエンタメ界の未来が明るいものであるとしたら、このご時世に感じたストレスは「時代の変革の、有意義な時期に参加したコンサート」として記憶を変えることだろう。

そんな明るい未来を描きつつ、コロナ禍のエンタメ界、コンサート業界を引き続き応援して、無理しない程度にこれからも足を運ぼうと思う。